うつ病、自殺未遂、生活保護をサバイブした女性がそれでも「男がいないと一人で生きていけない」現実

 ブラック労働、うつ病、自殺未遂、生活保護……凄絶体験を自伝的エッセイ『この地獄を生きるのだ』『わたしは何も悪くない』として発信、NHK「ハートネットTV」「あさイチ」でも紹介され反響を呼んだ漫画家・文筆家の小林エリコさん。共依存状態だった母親の支配下から抜け出すべく一人暮らしを始めた19歳の頃から、無事生活保護を切り社会復帰した現在に至るまでの「苦難の道程」を振り返ります。

 ***


■正社員なのに月給は12万円


 一人暮らしを初めてしたのは短大生の時だった。

 実家から家族が全員出ていくという、比較的変わった一人暮らしの幕開けだった。私は家族が出て行った日、家の大掃除をした。カーペットを捲り上げ、ガーガーと掃除機をかける。冷蔵庫の中には母が残していった漬物や作り置きの食事があったが、それらを躊躇なくゴミ箱にぶち込んだのち、誰の支配も受けない生活を1年半ほどした。

 その後、事情があり、再び家族と暮らすことになったのだが、私は就職浪人をして、ほとんど自室にこもりきりだった。酒を飲み荒れる私を見て、友人は「家を出た方がいい」と口を揃えて言った。私もこのままでは自分がダメになると思い、東京の上石神井で一人暮らしを始めた。20歳の初夏だった。

 ほどなく仕事を見つけ、働きながら一人暮らしを始めたのだが、正社員なのに月給は12万で、残業代も社保もない。アパートに帰ると一人で缶ビールを飲んだ。お金もなくて、どこにも遊びに行けない私はきっと、悲しそうな顔をしていたと思う。

 そんな私に声をかけてきたのは会社の先輩だった。先輩は私より8歳上で、痩せ型の男だった。しばらくして、仕事帰りに先輩とよく飲みに行くようになり、ある日先輩から「好きだ」と告白され、びっくりした。しかし、彼氏がいたことがない私は嬉しくなり先輩を受け入れることにした。

 私は人生初の彼氏に浮かれていたが、相手はそうではなかった。先輩は私の家に何回も来ていたが、私は先輩のアパートどころか最寄り駅すら教えてもらえない。そして、先輩は「同郷の男の友人と住んでいる」と言うのだが、その友人には決して会わせてもらえなかった。先輩はアパートに固定電話を引いていたので、何回かかけたけれど同郷の友人が出たことは一度もなかった。

 先輩が家に来ない平日はつまらなかった。一人でスーパーに行き、食材を買う。お金がないので、たいしたものが買えず、鶏胸肉ともやし、缶ビールを2本買った。それらをスーパーの袋に詰め、一人で家路を急ぐ。時々男女のカップルとすれ違う。夫婦だろうか、恋人だろうか。私はなんとなく胸の奥が苦しくなった。下げたスーパーの袋は重く指に食い込む。鶏胸肉を切り、もやしと一緒に鍋で煮た。それにポン酢をかけて食べる。缶ビールを一人で開けて、テレビをつけた。私は寂しくて先輩が家にいてくれたらいいのにと思った。

 先輩は週末に家に泊まるようになった。私は嬉しかったけれど、一緒にDVDを見ている最中にセックスを強要されて困ってしまった。先輩に抱かれながら、レンタルビデオ店の入会金とビデオのレンタル料の金額が頭でぐるぐるしていた。

 日曜日に新宿に出かけようということになり、二人で電車に乗った。私は男の人とデートできるのが嬉しかったけれど、先輩はつまらなそうだった。喫茶店でコーヒーを飲みケーキを食べて、本屋さんをのぞいたりした。

 その後、先輩が路地裏に消えた。店構えを見るといかがわしい店のようで、私は一緒に入るのをやめて店の前で待った。先輩が嬉しそうに私によこしてきたのはピンクローターだった。私が彼氏から始めてもらったものは大人のオモチャだった。

 先輩は思い返すと、随分ひどい人だったと思う。私が作った料理を「まずいから」という理由で拒否し、スーパーのお惣菜を私の目の前で食べたし、「これ、やるよ」と言って渡してきたものは花束でもアクセサリーでもなく、中古ゲーム店で買い取りされなかった「チョコボの不思議なダンジョン」というゲームソフトだった。

 そんな人とでもなぜ付き合い続けていたのかといえば、私は初めてできた彼氏を手放したくなかったからだ。先輩が来る前、薄いアパートの壁の向こうから男女の楽しそうな声が聞こえてきて、いつも私は憂鬱だった。私は一人になるのが嫌だった。

 私はしばらくして、貧困と過労で自殺未遂をした。一命を取り留めたのち、精神病院に入院した。私は先輩の家に電話をかけた。先輩は「二度とかけてくるな」と言った。


■「惰性」で9年間付き合った男


 精神病院を退院して、実家に戻ってきた。私は仕事が見つからず、持病のうつ病がどんどん悪化した。しばらくして、医者に勧められて精神科のデイケアに通った。

 しばらく通っているうちに年下の男性から告白された。太っていて眼鏡をかけていて、全く趣味ではない。本も一切読まず、学校も中学から行っていないという彼の話はあまり面白くなかった。

 けれど、私は「付き合ってもいいよ」と返事をした。精神病院を退院し、職もない私は社会の底辺の人間であって、人から好かれる要素はなかった。そんな私が人からの好意を拒否する権利があると思えなかった。それに、私はたいそう寂しかった。実家で母と暮らす毎日に飽きてきて、何か刺激が欲しかった。

 その意味では彼はとても刺激的だった。児童ポルノに手を出し、大量のDVDを買い込んでいた。「生でセックスをしてみたいので、アフターピルを飲んでくれ」と真顔で言ってきたし、一緒に本屋さんに行った時、彼が店員から呼び止められたので、何事かと思ったら万引きをしていた。

 私は別れたいと考えた。しかし、精神科デイケアという狭い世界で生きているとそれを実行に移すのが難しい。私たちはデイケアでは仲良しカップルのように思われていた。

 ある日彼に聞かれた。「なんで俺と付き合っているの?」。私は間髪入れず「惰性」と答えた。彼は惰性の意味がわからなくて固まっていた。それくらい頭が悪かった。彼は自分が中卒で頭が悪いということをコンプレックスに思っていて、時折、私に対して暴力的になったので、路上で泣きながら彼に許しを請うたこともある。

 彼は見捨てられる不安が強くて束縛が激しかった。私がちょっと外出するとメールや電話が何回も来るので安心して外にも出かけられない。

 ある日、デイケアのメンバーとファミレスでご飯を食べたら「俺が家でこんなに苦しんでいるのに、お前は楽しみやがって」と首を絞めてきた。彼は生活保護を受けていて、引きこもって毎日アパートでゲームをしていた。私は首を絞められながら、こんなところで死ぬのかな、でもそれも私らしいのかもしれないと諦観していた。

 そのうち、働き始めた私を彼は引き止めるようになり、仕事中にもたくさんメールや電話が来て、仕事がままならなくなってきた。そして、帰宅すると駅まで私を迎えにきている。一緒にスーパーに行き、食材を買う。私が作った料理を働いていない彼は「おいしい」と笑顔で食べる。

 私はこの人と別れないと自分の人生がダメになると確信し、全力で別れることにした。家の合鍵をなんとか返してもらったが、それでも、突然アパートに押しかけてくる。激しい嵐の夜、元彼は傘もささずに私のアパートにやってきた。嵐でひどいから入れてくれということだろう。私はずぶ濡れの元彼の姿を見て笑いながらドアを閉めた。

 それからは連絡が少なくなったと思う。書ききれないほどひどいことをされて言われてきたが、思い起こせば、あの日々の中で「寂しい」という感情はなかったと思う。苛立ちや怒りが多い9年間ではあったが、寂しさだけからは避難できていた。


■彼氏と別れたら訪問販売が激化


 別れてからは凪のような日々が訪れた。私は一人になって清々しかった。

 しかし、男性の出入りがなくなった私のアパートは訪問販売の格好のマトになった。家にいる時に、何回もインターホンが鳴る。誰かが来る用事もなく、何かを注文もしていない。覗き窓からドアの外を見ると、私服の知らない男が立っている。私は息を潜めて男が帰るのを待った。

 しばらくして、訪問販売は激化し、ひどい時にはドアを蹴られ、怒鳴られた。私は頻繁に警察を呼ぶようになった。この社会では男の人がいないと女は一人で生きていけないのだと悟った瞬間だった。

 その後、何人かの男性と付き合ったが、うまくいかず、40歳を過ぎても独身のままだ。

 アパートの鍵を開け、家に入る。何年も「ただいま」「おかえり」を言っていない。「おはよう」も「おやすみ」も無い。結婚している友達は独身の私が羨ましいと言う。本当にこんな寂しい生活が羨ましいのだろうか。

 キッチンで冷蔵庫から食材を取り出す。野菜を刻み、フライパンに油を引く。豚コマをフライパンに入れるとジュウという音がして、赤い肉が肌色になる。切ったニンニクの芽、洗ったもやしを入れて軽く炒め、焼肉のたれを入れる。夕食はあっという間に出来上がった。ストロングゼロの缶を開け、勢いよく飲み干す。

「死にたい、死にたい、死にたい」

 思わず声に出してしまう。涙が滲んでくる。私は自分の意思に反するように、肉を口に放り込む。泣きながら咀嚼し、アルコールを飲み干す。私は惨めだ。

 テレビをつけてニュースを確認する。テレビの上には大好きなアニメに出てくるキャラクターのぬいぐるみが飾ってある。ピンク色のユニコーンを模したそれは静かに笑って空を見つめている。思えば、ここ数年でぬいぐるみが随分増えた。ケアベアが数体、お腹を押すと鳴くネコ。魔法少女のアニメのマスコットキャラ。柔らかくて可愛い姿形をした彼らは私のそばから決して去ることがない。生きていないのだから当たり前だ。

 私は結局、生きている人たちと仲良くやることができない人間なんだと思い知る。片思いの相手に振られたり、告白してきた男と付き合ったら暴力を振るわれたり。一人でいるのが嫌だ。でも、私を欲してくれる人は世界のどこにもいない。その真実が両肩の上に重くのしかかる。

 目をつぶってストロングゼロを飲み干す。台所の脇にはたくさんの缶チューハイの空き缶が袋に投げ込まれている。私の悲しさと侘しさを表す空き缶たちがひっそりと息を殺して私を見ていた。「僕たちだけはあなたを見放さないよ」。

 空き缶たちに言われた気がした。

小林エリコ(こばやし・えりこ)
1977年生まれ。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ紙「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。著書に『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)『わたしはなにも悪くない』(晶文社)がある。『家族劇場』(大和書房WEB)『わたしがフェミニズムを知らなかった頃』(晶文社スクラップブック)を連載中。

2019年9月5日 掲載

関連記事(外部サイト)