ガラケー女人違い、弁護士大量懲戒請求…SNS社会「歪んだ正義」の暴走

 猫も杓子もおしなべてSNSの当世である。その席巻ぶりの凄まじさには「一億総SNS化」などという言葉も浮かんでくるが、趣味の範囲で楽しむなら問題はあるまい。しかし安易に無責任な発信をすると、以下のような、なんともトホホな事態を招いてしまうのだ。

 良い話よりも醜聞のほうが広まりやすいのは人の世の常である。ところが、例のあおり運転殴打事件では、良い話でも醜聞でもなく、単なる人違いで、一人の女性が深く傷ついてしまった。

 彼女は、デマ情報によって“傷害容疑で指名手配された男の車に同乗していたガラケー女”にされたのだ。

 犯人蔵匿・隠避容疑で逮捕された喜本奈津子容疑者の氏名公表前の時点である。

 高速道路上で暴行の様子を携帯電話で撮影する喜本にモザイクがかけられ報じられるなか、ネット上では、「ガラケー女」探しが過熱。匿名のSNSにより“こいつだ”と目された女性のインスタグラムなどが特定されると、顔も名前もネットに晒され、燎原の火の如き勢いで拡散された。女性の名前が一時ツイッターのトレンドになったほど。

〈糞BBA(註・ババア)!(中略)早く出頭しろ?〉

〈刑務所の冷や飯もインスタ映えしますかね?〉

 といった“歪んだ正義”が溢れ、彼女が経営する会社への苦情の電話もひっきりなし。容疑者の2人が逮捕されるまでの1日あまり、女性は生きた心地がしなかったに違いない。濡れ衣を着せられた彼女は2人の逮捕の数日後に記者会見を開き、悲痛な思いを口にした。

「気軽なリツイートが情報を拡散させる怖さを考えてほしい」

 ふつうの暮らしを送る女性が、突然、このような恐怖に突き落とされたのだ。

 人違いの原因となったのは二つ。面識のない宮崎文夫容疑者が、なぜか女性のSNSをフォローしていたこと。そして喜本容疑者の服や帽子、サングラスが、SNSで女性が公開していた自身の写真に写っているものと似ていたこと。

 たったこれだけのために、彼女の日常は暗転し、恐怖に怯えることとなった。しかも、ネットにはまだ彼女の名前などが残っている。もはや、人の噂も七十五日などと構えていられない。

 かつて、ネットは見るだけのものであった。20年ほど前、かの筑紫哲也はネット上の書き込みを「便所の落書きのようなもの」と紹介したが、時の流れは人々の意識もネットの位置づけも変えた。いまや、老若男女問わず、一般市民が参加し、発信して自己顕示欲を満たすツールともなっている。

 もちろん、SNSはビジネスでも有効活用できるし、事件や事故の「証拠」となりうる記録も残せる。挙げればキリがないほどの利点がある。しかし、「ガラケー女」の人違いの一件は、「SNS社会の弊害」の象徴と呼んでも差し支えあるまい。

 この一件と同じ、「SNS社会」ならではの騒動がある。かねてから問題となっていた、弁護士への大量懲戒請求だ。司法記者の解説。

「この問題は、2016年、日弁連や各地の弁護士会が朝鮮学校への補助金停止に反対する声明を出したのがきっかけです。翌年、『余命三年時事日記』というブログが、補助金停止は当然として、声明に賛同した弁護士会役員などの懲戒請求を呼びかけた。それに呼応した人々から、全国の21弁護士会に計約13万件もの懲戒請求が寄せられたのです」

 弁護士1人あたり、千件ほどの懲戒請求をかけられる異常事態だ。

「懲戒請求者の多くが、ブログを読んだ一般市民です。懲戒請求の書類はブログ側が用意し、対象の弁護士名も記入済みでした。賛同したブログの読者は、署名、押印して送り返すだけ。対する弁護士は、業務を妨害されたとして損害賠償を求める訴訟を起こしています」

 とりわけ問題は、日弁連などの声明にまったくかかわっておらず、身に覚えのない弁護士が多数、ターゲットにされていることだ。「金」という姓だけで懲戒請求された弁護士もいた。

 ブログを見て実際に懲戒請求をし、弁護士から訴えられた女性は振り返る。

「2年前、友人から教えてもらってブログを見たんです。靖国神社に奉納しているというので“いいことをしてるなあ”と感じて寄付をしました。すると、弁護士への懲戒請求の書類が大量に入ったレターパックが送られてきて……。深く考えずに返送しました。まさかこんなことになるとは、思いもしませんでした」


■地元の懲戒請求者を提訴


 騒動の発火点となった「余命三年時事日記」とはいかなるブログなのか。ネット右翼などに詳しい、文筆家の古谷経衡(つねひら)氏の話。

「問題の発端となった『余命三年時事日記』は老舗のネトウヨブログです。2000年代前半に開設され、現在の管理人は3代目。老舗ゆえ、読者の年齢層も高めで、50代から70代が主な読者となっています。懲戒請求の一件は、お金と時間に余裕がある方々が、偏った知識を得てしまったのでしょう。若い人に比べるとネットリテラシーが低いこともあり、軽い気持ちで懲戒請求の書類を返送してしまったのだと思います」

 さらには、先の司法記者曰く、次のような事態も起きていて……。

「8月23日、札幌弁護士会所属の弁護士3名が、彼らに懲戒請求をかけてきた52名を相手取り、札幌地裁に提訴しました。これまで各地の弁護士が請求者を訴えるときは相手をランダムに抽出していたのですが、今回は札幌の弁護士が、地元北海道内に住む請求者だけを選んで提訴したのです」

 その3名のうちの一人、皆川洋美弁護士はこう話す。

「私は960通の懲戒請求をかけられました。『余命三年時事日記』を見ていたわけではないので、懲戒請求の呼びかけは知らなかったのですが。共同不法行為として損害賠償請求をし、弁護士1名につき550万円を、52名に連帯して払ってもらいます」

 相手を道内に絞ったのは、自分の生活圏に請求者がいる可能性もあるため。請求者が、日ごろ接する医者やタクシー運転手などかもしれず、落ち着いて暮らせない。ふだん接触がある人が請求者なのだとしたら、訴訟によって反省をうながせれば、との思いがあるという。

 同じく960通の懲戒請求を出された、東京弁護士会の北周士弁護士は言う。

「ネット空間での発言は、ある程度の自由が許されると思います。しかし、現実空間での業務妨害に当たる行為はいけません。ブログを読んで意見を主張するのと、実際に懲戒請求を送るという行為のあいだにはハードルがあると思うのです。私も請求者をランダムに選んで訴えましたが、一度に全員を提訴すると紙の重さが3トンにもなるんですよ」

 このような請求合戦はいまなお各地で進行中だ。不特定多数を煽って“暴走”に火をつけた“震源地”、「余命三年時事日記」の管理人はどう考えているのか。弁護士からの提訴対象にはなっていないが、本来、もっとも責任を問われる存在と思うのだが……。

 埼玉県内の管理人宅を訪ねると、インターフォンからは「あー、本人はおりません」という高齢男性の声。

「(管理人は)昔からの囲碁仲間の一人で、私は留守番を頼まれているだけなんです。連絡先は内緒にするように言われているのでね。口が裂けても言えない。でも、(管理人は)日本の国益にそぐわないような活動をしている人たちを弾圧というか、告発してますから」

 と、単なる囲碁仲間と思えぬ同志意識が透けて見える、含みを持った答え。先の古谷氏は言う。

「懲戒請求を出した請求者も、彼ら相手に訴訟まで起こす弁護士も、ネット社会に踊らされているという感じは否めないですね」

 それぞれの「正義」に基づく行動が、トホホな事態となっているのもまた事実である。

「週刊新潮」2019年9月5日号 掲載

関連記事(外部サイト)