「サザエさん」は時代劇か否か(古市憲寿)

 アニメ「サザエさん」でマスオさんの声優だった増岡弘さんが引退した。「サザエさん」は今年で放送50周年を迎える長寿番組。サザエさん一家の中で同じ役柄を演じ続けている声優は、サザエさん役の加藤みどりさん、タラちゃん役の貴家堂子(さすがたかこ)さんの2人しかいない。

 50周年とはただ事ではない。原作の新聞連載は1946年から始まっているから、それから数えると実に70年以上が経つ。

 一応「サザエさん」は「現代」の物語である。少なくとも新聞連載時は、敗戦後から高度成長期までの同時代の東京が舞台だった。

 しかし今や、都心で磯野家のように7人、3世代が住む家族は多くないだろう。夕飯時に家族がそろってちゃぶ台を囲むという光景も珍しくなった。

 アニメでは、携帯電話や薄型テレビが描かれることもあるが、磯野家の人々が普段使うのは黒電話にやたら本体がでかい(画面は小さい)ブラウン管テレビ。彼らの日常はおそらく1970年頃で止まっている。基本は半世紀前の世界に、ほんの少しだけ現代が入り込むという世にも奇妙な異次元の物語になりつつあるのだ。

 だが興味深いのは「サザエさん」には古いところがあるとはいえ、決して時代劇にはなっていないこと。大河ドラマが描くような江戸時代や、明治時代の物語とは違う。

 それは作中で描かれる世界が、現代と地続きだからだろう。言い換えれば、この数十年間で日本社会が劇的には変わらなかったことを示してもいる。

 戦後社会は、情報環境だけを見れば大きな変化を遂げた。テレビが珍しかった時代の人々からすれば、スマホで動画を楽しむ我々は未来人に見えるだろう。

 しかし家族構造はどうか。確かに「サザエさん」のような3世代同居は減ったとはいえ、今でも1割程度は存在する。サザエとマスオの専業主婦、正社員というカップルも、決して過去の遺物ではない。サザエさんは24歳の設定だが、彼女と同世代で育児をしている女性の有業率は最近でも45.9%に留まる(「就業構造基本調査」2017年)。

「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」も「現代」の物語だ。まれに母親が専業主婦という設定が批判されることもあるが、違和感なく受容されている。

 作品の連載開始はそれぞれ1969年と1990年である。50年前と約30年前だ。

 もし1970年の人が1920年(50年前)や1940年(30年前)の物語を読んだら、決定的に「古い」と感じただろう。戦争前と高度成長後の日本では、社会のあり方も価値観も決定的に違う。1900年(70年前)に至っては言わずもがなである。

 それに比べると戦後の変化は緩慢だった。特に高度成長が達成された1970年以降の社会は、揺らいでいるとはいえ、抜本的な改革はまだだ。大企業は力を持っているし、正社員と専業主婦に憧れる若者は多い。

「サザエさん」が時代劇になる時に初めて、本当の意味で日本社会は変わったと言えるのだと思う。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

「週刊新潮」2019年9月12日号 掲載

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