池袋暴走事故、厳罰求める署名約39万筆 “署名の効果”を専門家に聞いた

■署名に刑罰を重くする力はあるのか


 妻と子の命が、ある日、突然、奪われた……。12人の死傷者を出した池袋の乗用車暴走事故。遺族が厳罰を求めて集めた約39万の署名は、加害者の罪を重くすることができるのか。専門家に「署名」の意味を聞いてみた。

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 今年4月に東京・池袋で起きた乗用車の暴走事故。当時87歳の男性が運転していた車は、2つの赤信号を無視して約150メートルも暴走。通行人を次々とはね、12人の死傷者を出す大惨事となった。

 この事故で話題となったのが、車を運転していた旧通産省工業技術院・元院長の飯塚幸三容疑者(88)に対する警察やマスコミの“扱い方”だ。多くの死傷者を出したにもかかわらず飯塚容疑者が逮捕されなかったことや、マスコミが「容疑者」ではなく「元院長」などの曖昧な呼称を用いたことから「上級国民に対する贔屓だ」と多くの批判が集まっていた。前科がない交通事故の加害者は、死亡事故でも執行猶予がつく例が多く、被害の大きさに不釣り合いに思える結論が予想されることも、やるせなさを深めていた。

 そんな中、この事故で妻と子を亡くした男性(33)が「飯塚容疑者に対する厳罰」を求めて署名を集め始めた。男性は8月30日に開いた会見で、署名は29万1639に達したと発表。8月末で終える予定だった署名活動を9月15日まで延期し、最終的に39万の署名が集まった。

 男性は「軽い罪で終わるという前例を作りたくない」と語るが、この「署名」に加害者の刑罰を重くする力はあるのだろうか。霞ヶ関総合法律事務所の古橋将弁護士に話を聞くと、次のような答えが返ってきた。

「刑事裁判の事実認定は証拠によってされます。そして量刑は、認定した事実を前提として判断されます」

 何やら謎解きのような言葉だが、これには前提として、「実際に起こったこと」と「刑事裁判で事実と認定される内容」は異なる、ということを知っておく必要がある。例えば、Aという人物が実際にはB・C・Dという3人の人物を殺していたとしても、裁判上で証拠により事実認定されたのがBに対する殺人だけなら、Aは1人に対する殺人の罪にしか問われないのだ。

 この「事実認定は証拠による」という法則は、署名活動にも当てはまる。

「『〇〇という人が厳罰を求めている』という事実、あるいは『遺族が署名を〇枚集めている』という事実が実際に存在していても、証拠がないと刑事裁判における事実として認定されません。つまり、単に署名が集まっているという社会的な事実があるだけでは、裁判への影響はない、というのが法の前提になります」(同・古橋弁護士)

 逆に、裁判所に証拠として提出し採用されれば、量刑への影響はあり得るということになる。古橋弁護士は被告人の弁護人として、被告人の知人から減刑を求めた300枚以上の署名を集め、裁判所に証拠として提出したことがあるという。

「裁判員裁判で『減刑を嘆願する署名が300枚以上集まった』事実を立証するため、証拠を提出したことがあります。裁判所は、量刑判断に関して、被告人がした行為の重さを中心におおよその枠を決め、再犯の可能性など犯罪事実以外の事情も考慮して最終的な量刑を決めるという考え方を採用しています。私が担当したケースでは、『犯罪事実以外の事情』として、『知人等から減刑嘆願書が寄せられていること』も事情として考慮されました」(同・古橋弁護士)

 被害者側ではなく、被告人の減刑を求めるという点で逆のケースではあるが、署名が裁判所に「証拠として」採用され、量刑判断の材料のひとつとされる場合が実際にあるというのだ。

 では、被害者側が……今回の場合、亡くなった母子の夫が集めた署名を、証拠として裁判所に提出してもらう方法としては、どのようなものがあるのか。

「検察官に署名そのものを渡し、証拠調請求してもらう方法があります(ただし、実際に請求するかは検察官の裁量です)。また、証拠として採用されるかは、被告人側の証拠意見や裁判所の判断によります」(同・古橋弁護士)

 池袋暴走事故の被害者の夫は、東京地検に提出する方針を明らかにしているため、今回のケースはこれに当てはまる。しかし、署名が裁判に影響を与えるためのハードルは、いくつもありそうだ。

「少し難しいところなのですが、立証しようとする事実次第では、関連性がないとして証拠採用されないこともあります。例えば、『(事件と関係のない)Aという人が署名をして厳罰を求めている』という事実を立証しようとしても、関連性が認められる可能性は低いでしょう。『遺族が署名を39万枚集めた事実』なら、遺族感情の激しさを表す一事情とすることはあり得るかもしれません。仮に、遺族が証人として法廷で話をする機会があるなら、その際に口頭で署名が集まった旨の話をすることも考えられます。遺族感情は、判決に影響を与える一事情といえます」(同・古橋弁護士)

 単に署名を集めるだけではなく、検察官に署名を提出する、もしくは証人として法廷に立ち、署名が集まった旨の事実を伝えれば、様々なハードルを乗り越える必要はあるものの、裁判に影響を与える可能性はありそうだ。


■闇サイト殺人事件で集まった約32万の署名は…


 被害者の親族が署名を集めた事件としては、2007年に発生した「闇サイト殺人事件」がある。この事件は、面識のない男3人が「闇の職業安定所」というサイトを通じて知り合い、会社員の女性(当時31)を拉致したうえで殺害したというもの。被害女性の母親が当時、約32万の署名を集め、検察側がこれを証拠として法廷に提出した。

 結果は、2人に死刑、自首した1人に無期懲役の判決。名古屋地裁は2009年3月、「この種の犯罪は凶悪化・巧妙化しやすく、模倣される恐れも高い。社会の安全にとって重大な脅威というほかはなく、厳罰をもって臨む必要性が誠に高い」として、極刑を選択した。

 この時、名古屋地裁は検察側が提出した被害者遺族の署名を証拠採用しなかったが、結果として「殺した人数が1人の場合、死刑にはならないことが多い」という当時の常識を覆した形になった。

 ただ、32万人分の署名は証拠採用されていないから、量刑の判断には使われていないのだろう。しかし、署名の存在が社会の関心や恐怖を表したものとして、裁判官に届いていた可能性がることも否定できないのではないだろうか。

「裁判官も人間です。内面までは分かりませんが……。証拠として採用しなかったということは、少なくとも量刑判断には用いていないという建前になります。なお、『犯罪の社会的影響』については、最高裁判所が死刑選択の際の考慮要素として挙げるなど、これが量刑事情となることは一般的に是認されています。ただし、『犯罪の社会的影響』という曖昧なものの意味するところや考慮の在り方については、法の世界でも様々な議論がされているところです」(同・古橋弁護士)

 今回の暴走事故も、高齢者ドライバーや免許返納についての議論を促進させるなど、社会的影響は大きいといえる。「飯塚容疑者に対する厳罰を求める署名」が事故の風化防止に一役買ったことも事実だろう。

 署名を検察官や裁判所がどのように扱うのか、現時点ではわからない。しかし、約39万人もの署名を集めた遺族の想いが、飯塚容疑者の刑罰や量刑に影響を与える可能性はゼロではない。

週刊新潮WEB取材班

2019年9月21日 掲載

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