広島平和記念資料館がリニューアル “言葉少な”に(古市憲寿)

 広島平和記念資料館へ行ってきた。開館は1955年だが、3度目の大改修工事が実施され、今年の春にリニューアルオープンした。

 かつて僕は世界の戦争博物館巡りを趣味にしていた。改修前にも何度か訪れているが、その時の印象は「真面目」な「普通」の博物館。世界の戦争博物館が現代アートや最新テクノロジーを駆使しているのに対して、平和記念資料館は実直に原爆の悲惨さや、原爆投下に至るまでの歴史的経緯を描く施設だった。

 それが満を持してのリニューアルである。年間150万人以上が訪れる施設はどう変貌を遂げたのか。

 一言でいうと「言葉少な」なミュージアムになっていた。暗い館内には、多くの写真や絵画、展示物が並べられている。救護所の悲惨な様子や皮膚の焼けただれた少女の姿を切り取った写真、命を奪われた子どもたちの服。

 再現映像やミニチュア模型、マネキンなどの「偽物」を極力排除し、「本物」ばかりが集められた資料館に生まれ変わっていた。

 実はマネキンに関しては一悶着があった。かつてこの資料館の目玉の一つが、焼けただれた皮膚と、ボロボロの衣服で炎の中をさまよう3体のマネキン像だった。見覚えがある人も多いのではないか。

 しかし広島市は、人形よりも実物展示が重要と考えマネキンの撤去を決める。インターネット上では反対運動まで起こったが、決定は覆らなかったようだ。

 新しくなった資料館では、「名前」と「人の歴史」が強調されていた。ただ遺品を展示するのではなく、持ち主と原爆被害に遭うまでの人生が説明される。その意味で、感情移入しやすい資料館になったと思う。マネキンなしでも、十分に原爆の悲惨さは伝わってきた。

 一方で、歴史に関して資料館は非常に「言葉少な」である。誰がこれほど悲惨な戦争を引き起こしたのか。それはどうしてで、誰が悪いのか。そうした歴史的経緯をこの資料館で知ることはできない。わかるのは1945年8月6日、とにかく悲惨な出来事が起こったということだけである。

 まるで天災のように戦争が語られるのだ。天災には敵も味方もない。この資料館は無国籍的だ。

 その無国籍性は、原爆死没者慰霊碑に刻まれた「過ちは繰返しませぬから」という言葉にも通じる。そのような態度を「日本は戦争加害者でもあったはずで、その自覚が足りない」と批判することもできる。

 一方で、現代の広島が必ずしも国家の歴史を背負う必要はないのかも知れない。2019年の広島市と、1945年の大日本帝国では、立場や思想がまるで違う。

 この地には、オバマ前大統領をはじめとして、世界中から「核兵器なき世界」を願う人々が訪れる。本当は広島でスピーチをする暇があるなら自国の核を放棄しろという話だが現実はそう簡単ではない。広島という地では、国家や歴史などの複雑な現実から切り離されている面があるから、希望も語りやすいのだろう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

「週刊新潮」2019年9月26日号 掲載

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