京アニ放火殺人 警察はなぜ被害者実名報道を決断したのか 元警察官僚、古野まほろ氏が分析

京アニ放火殺人 警察はなぜ被害者実名報道を決断したのか 元警察官僚、古野まほろ氏が分析

放火殺人事件があった京都アニメーションのスタジオ

 7月に起きた京都アニメーションの放火殺人事件。京都府警は事件から40日後に犠牲者35人全員の実名を公表した。異例づくめの公表までの経緯から、様々な憶測も流れる本件について、元警察官僚で作家の古野まほろ氏に話を聞いた。


■実名報道の何が難しかったのか


――結局、今般の実名報道については、何が難しかったのか。

「本質的には、(1)被害者の方・被害者遺族の方の権利利益と、(2)メディアの権利利益という、対立する2つのことがらについて、京都府警察が最終ジャッジの役割を果たさなければならなかったことだ。その判断はとても難しい(以下、話が複雑になるので、警察による発表とメディアによる報道の区別はとりあえず措くこととする)」

――被害者の方などの権利と、マスコミの権利は、対立するものではないと思うが。

「それはもちろんそうだが、少なくとも、お亡くなりになった被害者の実名を『発表しない/する』は、発表を望まない方にとっては、二者択一の、真っ向から対立する選択肢だ。

 このとき、メディアが自制しない限りは、京都府警察の最終ジャッジによって、(1)(2)のうち片方は守られ、もう片方は守られないことになる。これに引き分けも中間点もない。ゆえに、『どちらを守るか』苦悩・苦渋の決断を迫られる」

――京都府警の苦悩・苦渋とは、具体的にはどのようなものか。

「(1)(2)がいずれも、権利利益の中で、トップクラスに重要であることによる苦悩だ。
 ここで、(1)が重要なのは論を俟たない。『プライバシーの保護』『個人情報の保護』『守秘義務の遵守』等々は法令が明確に求めるところだし、そもそも警察は、被害者の方・被害者遺族の方に敬意と同情をもって接し、その尊厳を傷つけることのないようにする責務を負った行政機関だからだ。

 そのことは、既に平成8年から再確認され、更に認識が深まっている、警察の最重要課題である。警察は、本質的に、被害者のためにある行政機関だ」

――他方で、マスコミの「知る権利」も非常に重要だ。

「だから難しくなる。知る権利は、我が国憲法上の権利だからである。
 国民一般の『知る権利』がまず保障され、そしてそれに奉仕するものとして、メディアの『報道の自由』がやはり保障される。どのみち、いずれも憲法第21条により保障される重要な権利だ」

――その対立をどう解決するか、京都府警は苦悩したということか。

「そうなる。非常に重い権利利益どうしのバッティングを、どうジャッジするかという苦悩がある。

 私自身、詳細は措くが類似の事案として、某県警察による外国機関に対する情報提供が守秘義務違反に問われたとき、『情報を提供する公益』と『秘密を守る公益』のジャッジを迫られ、警察本部長と徹夜を含め何日も熟議した経験がある」

――今回は実名発表ということになったが、その判断は妥当だと考えるか。

「外野として、報道によって情報を知る者として言えば、個人的には……同意をされない遺族の意向に反して実名をメディアに発表するのは、にわかには賛成できない。もし自分が重大事件の遺族となったらと思うと、いっそう賛成できない。前述のとおり、そもそも警察は被害者のためにある行政機関だ。

 しかしながら、そのようなことは当然、京都府警察において熟議に熟議を重ねたであろう。しかも個人的には、今の京都府警察本部長は私が公私にわたり御指導をいただいた方で、その人格、見識、判断力等を私はよく存じ上げている。また京都府警察という組織についても、暴走するというよりは石橋を叩く組織であることを私は知っている。まして、外野としては知り得ない諸事情/報道されない諸事情も必ずある。

 そうしたことを踏まえれば、外野がいきなり『実名発表は妥当だ』『いや妥当でない』と即断するのには、無理がある」


■京都府警と警察庁の間に対立はあったのか


――京都府警と警察庁とで、意見の齟齬や対立があったとの報道もあるが。

「本件について最終的な判断をするのは、その権限と責任を有する京都府警察だが(都道府県警察制度)、実務上、これほどの重大事案における重要判断について、警察庁と協議をしないということはそもそもあり得ない。また、このような重大事案への対処は、行政において先例的価値を有することになるから、全国警察に与える影響も大きく、その意味でも両者の協議は不可欠だ。そして協議となれば、そこに意見の違いも出るだろう。それぞれの立場と判断もあるから、私の経験上も、まあ……激しい応酬すらあり得る。

 ただ最終的には、本件は後述する『実名発表に関するルール』をどう適用するか、その当てはめの判断である。そしてルールの当てはめに関する協議であれば、難易度は様々だが、警察においては日常茶飯事だ。最後は、両者が合意できる案で両者の決裁が終わる。というか、両者の決裁が終わらなければ案は実行されない」

――警察庁の警察官僚が、「捜査を徹底するように」「遺族を守れ」と捜査指揮をした安倍総理や国家公安委員会委員長に忖度し、早期に実名発表をしたかった京都府警に無理矢理ストップをかけた、という旨の記事もある。

「ちょっと意味が分からない。そもそも、『捜査を徹底するように』なる指示を捜査指揮などとは呼べない。被疑者について捜査すべきこと、現場・関連箇所について捜査すべきこと等がうなるほど山積している以上、捜査を徹底することは、言われずともアタリマエの方針で義務だからだ。

 また前述のとおり、警察は本質的に被害者のためにある行政機関なのだから、被害者の方・被害者遺族の方を守るのも、これまたアタリマエの方針で義務である。

 要は、総理にしろ国家公安委員会委員長にしろ、『しっかり仕事をしなさい』という、重要だがアタリマエの大綱方針を示したと。ここで、常識で考えれば、『しっかり仕事をしなさい』なる大綱方針に対して、忖度だの圧力だのが介在する余地はなかろう。

 また、京都府警察としても、一般論としては、警察庁と対立するよりは、きちんと協議をととのえ、いわば『死なばもろとも』『言質はとった』『後で文句は言わせない』という状態にした方が望ましいのだから、一方的に圧力を受ける立場というわけでもない」

――本件については、「実名公表反対の署名活動」が行われ、約1万5,000人分の署名が集まったのだが、それが警察に提出される前日に、更なる実名公表がなされた。これに対し、特にネットでは「逃げるように公表した」との批判が強いが。

「国民世論の沸騰は理解できるが……前述のとおり、私も個人的には反対派だ……ただ、実名公表の判断は、飽くまでも京都府警察が自らの権限で行うべきものであり、それに対しとことん、法的にも実務的にも重い責任を負うものである。つまりそこに違法があれば、京都府が賠償責任すら負うものであるし、関係警察官が最大で免職の懲戒処分を負うものである。

 さかしまに、私を含め国民世論の側は、法的にも実務的にも、何の責任も負わない。

 その意味で、京都府警察は、熟慮と覚悟の上、この判断をした。とすれば、あらゆる批判を甘受し、説明責任を果たす覚悟もしている(実務的にもその準備は必ずできている)。そんなとき、『署名提出から逃げる』という考え方はとらないであろう。

 それに、本件はどうあっても批判されるのだから、もし署名提出『当日』に公表したなら例えば『面当て』と批判され、もし署名提出『翌日』に公表したなら例えば『大慌てで』と批判されてしまうだろう。そう考えると、『逃げる』云々の批判は、結果論に過ぎるきらいもある。

 ただし……私は当該署名の具体的スタイルをよく知らないが……それがもし請願法の規定による請願の要件を満たすときは、警察の側に受理義務・誠実処理義務が発生するから(請願法第5条)、とりわけ誠実処理義務との関係で、一定の検討時間を費やす必要が生じ得る。そのときは、実名公表のタイミングは更に延びるから、請願提出の日程によって、状況はまた違ったろう」


■全て出すのも、全て出さないのも問題がある


――いっそのこと、「全て実名とする」というルールの方が分かりやすいのではないか。

「いや、そもそも公務員には守秘義務がある(国家公務員法第100条・地方公務員法第34条)。原則として個人情報を提供してはならない義務もある(行政機関個人情報保護法第8条)。犯罪捜査については秘密厳守義務もあれば(犯罪捜査規範第9条)、被害者又はその親族の心情を理解する義務・その人格を尊重する義務もある(同第10条の2)。

 要は、これまでの実例の積み重ねはともかく、被害者の方・被害者遺族の方の情報を『出さない』のがむしろ法令の原則だ。だから、全て実名とするルールというのはあり得ない。

 ところが他方で、前述のように、国民の『知る権利』、メディアの『報道の自由』は憲法上の権利なので、そうした守秘義務等を絶対のものとし、あらゆる実名を発表しないというのもまた適正でない」

――全て出すのも、全て出さないのも問題があるということか。

「そうなる。すると結局、個別具体的に、一件一件ごと、ケースバイケースで、発表するしないを判断せざるを得ない。ちなみにこの『ケースバイケース方式』は、『どのような場合に公務員の守秘義務が解除されるか?』に関する行政実例で採用されている考え方でもある。

 しかも、それに加え、今般のような実名発表に関しては、そうしたルールがより具体的に、閣議決定までされている。閣議決定であるから、行政の一員である警察は、そのルールを遵守して、実名発表の是非等を判断することになる」

――その閣議決定とはどのようなものか。

「『犯罪被害者等基本計画』(平成28年4月1日閣議決定)がそれである。現行のものは第3次計画だが、計画そのものは平成17年12月から存在している」

――そこに、実名発表の基準などが定められているのか。

「実名発表とするかどうかにつき、警察が、どのような配慮をしなければならないかを規定している(第2の2(7)のオ)。

 具体的には、

『警察による被害者の実名発表、匿名発表については、犯罪被害者等の匿名発表を望む意見と、マスコミによる報道の自由、国民の知る権利を理由とする実名発表に対する要望を踏まえ、プライバシーの保護、発表することの公益性等の事情を総合的に勘案しつつ、個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配意する』

とある。

 ポイントとなるのは、要は、(1)被害者の方等の意見+プライバシーの保護と、(2)メディアの要望+発表の公益性を、(3)総合的に勘案し、(4)個別具体的に判断するということ……もっとシンプルに言えば、『(1)と(2)を一件一件熟慮して天秤にかけろ』ということだ」

――それは、平成28年なり、平成17年なりに決められたルールなのか。

「違う。それ以前から、記者発表におけるルールとして定着していたものが、平成17年に改めて明文化・文書化されたに過ぎない。また重ねて、行政機関としては当然の内容だ」

――そのルールによって、今回は、メディアの要望と発表の公益性の方に天秤が傾いたと。

「そういうジャッジを京都府警察がしたということだ。

 そのことについては、京都府警察の捜査第1課長が、『社会的な関心が高く、事件の重大性や公益性などからも情報提供をすることがよいと判断した』と説明しているとおり。この言葉遣いからも、前述の閣議決定におけるルールに沿っていることが分かる」


■被害者の実名発表をしていない「相模原事件」


――ルールがあまりに一般的・抽象的すぎるのではないか。それに、警察が恣意的に公表・非公表を決めるのは、マスコミの「知る権利」を踏まえれば極めて不適切では。

「事件が100あれば100全て関係者も状況も異なる。例えば、『どんな場合に逮捕状を請求すべきか』『ガサ入れの日程はどう決めるべきか』『職務質問はどんな対象について実施すべきか』といった判断について、一律で詳細なルールを定めるのは不可能だろう。それはまさに、事案ごとシチュエーションごとの『生きた』個別具体的の判断による。警察の権限と責任における判断による。そこに警察の恣意があれば、裁判所の統制を受ける。

 なら、報道発表の在り方・情報提供の在り方についても同じではないか。

 警察が『個人の権利と自由を保護』する目的を国民から与えられている以上(警察法第1条)、また、警察が個人の法的利益や、人としての尊厳の保護を責務としている以上(警察法第2条参照)、そして前述のとおり警察が被害者のための行政機関である以上、警察がその権限と責任において、被害者の方・被害者遺族の方の心情を酌み取りつつ、その権利利益を守るための判断をすることは恣意的でも何でもない。もし恣意的だというのであれば、議会で多数派を占めるなどして、現行法令・現行ルールを改正すればよいのでは」

――そのルールに対しては、日弁連や日本新聞協会などの強い批判があるはずだ。

「従前からのこのルールが平成17年に文書となった際、確かに、有識者会議においても大きな議論があった。ただその議論においては、メディア出身の委員が『原則実名』を強く主張する一方、被害者団体出身の委員等その他の委員はこのルールに賛成か、あるいは『原則匿名』を支持していた。またパブリックコメントにおいては、実名報道に反対する意見が多数であったと聞く。加えて、このルールについての議論の過程で、メディアによる二次被害・メディアスクラムについて、相当踏み込んだ厳しい批判もあったと承知している。

 すると、『警察は原則実名発表すべき』という意見は、既に平成17年の時点で、むしろ少数派だったのではないかと私には思えてくる。ここで、むろん、正しいことと数とは無関係であるから、警察とメディアとが、メディアの『報道の自由』の今日的意義について、更に真摯な対話を積み重ねてゆくべきと考える」

――マスコミに対しては、これまでは、ほとんどの重大事件において実名発表をしてきたのではないか。その積み重ねがあるから、メディアとしても実名発表を強く求めるのではないか。

「警察としては、飽くまで先のルールを適用した結果、『実名発表をする』との判断を積み重ねてきたものであり、『原則は実名発表だ』『実名発表をするのが基本だ』とかいった考え方を採用してきたわけではないはずだ。

 実際、重大事件についても、例えば平成28年のいわゆる『相模原事件』(19人刺殺)において、事件捜査をした神奈川県警察は、被害者遺族の要望を理由に、被害者の実名発表をしていない。だから実名発表が原則といった話にはならない。

 ただ……喩え話として適切かどうか迷うが……これまで1万回コイントスをして1万回ともオモテが出ていたときに、次の1万1回目だけウラが出たとしたら、ずっとオモテを期待していた者は『なんでだよ』『ありえない』と感じるだろう。警察としては、『そりゃ当然二者択一なんですからウラが出ることもありますよ』との立場だが、メディアとしては、『今回だけウラというのはそりゃひどい』……と言いたくもなろう。

 そのあたりは、これまでの実務と先例の無数の積み重ね、はたまた、メディア/記者と警察の信頼関係といった要素も考慮する必要がある。警察と記者は馴れ合うものではないし、情報提供はこれまで縷々述べたとおり、飽くまで法令に基づく警察の主体的判断によるべきものだが、しかし両者は必ずしも敵対関係になく、ともに社会正義を追求する面もある。むろん協力関係に立つ面もある。私も現場にいたころは、公私にわたり、記者と長時間ああでもないこうでもないと議論しながら、信頼関係を築くよう心掛けた。

 ゆえに、警察がルールにしたがって公平なジャッジをしなければならないとき、そこは不偏不党に、他方当事者であるメディアの正義をもおもんぱかる必要がある。警察がそもそも被害者のための組織であること、だから被害者の方・被害者遺族の方に比重を置くべき組織であることを踏まえれば、なおさらだ」


■「匿名発表が原則」が常識になる時代が来る?


――実名報道でなければ、「事件を社会全体で共有できない」「教訓にできない」「捜査の検証もできない」「誤った情報の拡散を防げない」「再発防止の取り組みにもつながらない」あるいはそもそも「忘れられてしまう」「生きた物語として報道できない」といった意見もある。

「本件事件の『負傷者の方』34人については全て匿名発表となっているが、それで御指摘のような弊害があるのだろうか。

 個人的には、誤った情報の拡散を防ぐという点については同意できるが、他の点については、一概に/一律に、実名という情報を必要としないのではないかとも感じる」

――今般の事件では、「マスゴミ」なる言葉に代表されるように、被害者側に立ち、メディアを批判する世論が大きかった。このことが、今後の実名発表の在り方に影響を与えると思うか。

「長く刑事事件の当事者としては無視されてきた『被害者』『被害者遺族』という存在が、平成を通じて『再発見』され、今では当然に守られるべき対象と認識されるに至っている。それには、大勢の人々の尽力と長い歳月を要した。言い換えれば、長い歳月にわたる大勢の人々の尽力によって、『刑事事件で守られるべきは被疑者のみ』といった常識あるいはイデオロギーが変わってきた。

 そしてこの傾向は、今般の事件における国民世論の沸騰からして、強まりこそすれ弱まることはないだろう。

 とすれば、やがては、重大事件における本件のような実名発表の割合が減少してゆくのだろうし、ひいては『匿名発表が原則』という、メディアからすれば真逆のことが常識になる時代が来るのかも知れない。

 いずれにせよ、警察としては、本件を教訓として、『被害者の方・被害者遺族の方の権利利益』と『報道の自由・知る権利』のバランシングを、より慎重かつ適切に行ってゆくこととなるだろう。また、そうした判断の根拠・理由を、国民に対して適切・丁寧に説明してゆく努力が求められると考える」

古野まほろ
東京大学法学部卒業。リヨン第三大学法学部修士課程修了。学位授与機構より学士(文学)。警察庁I種警察官として警察署、警察本部、海外、警察庁等で勤務し、警察大学校主任教授にて退官。警察官僚として法学書の著書多数。作家として有栖川有栖・綾辻行人両氏に師事、小説の著書多数。

デイリー新潮編集部

2019年10月1日 掲載

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