関電問題の核心、メディアが触れない「森山元助役」影響力の源泉

関電問題の核心、メディアが触れない「森山元助役」影響力の源泉

「高浜原発のドン」の古巣

■「関電」が震え上がった「高浜原発のドン」呪縛の核心(2/2)


 福井県高浜町の元助役から関西電力幹部に多額の金品が渡っていた問題。相手が畏怖の対象ゆえ金品を返せなかったとする幹部の釈明が伝えられるが、どうもしっくりこない。なぜか。元助役の“隠然たる力”がいかなるものか、その核心が抜け落ちているからである。

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 この問題に関する報道では、元助役の森山栄治氏は地元の有力者と紹介されるだけ。原発に詳しくて地元に顔が利く、という範疇から出ない。関電幹部ともあろう有力財界人が金品を返せなかったのは、決して機嫌を損ねたり激高されるのが嫌だったからではあるまい。

 メディアがそこに触れないから、なぜ小柄な老人が関係者をこれほど畏怖させるだけの強大な影響力を有していたかが、まったく分からないのである。

 高浜原発とともに生きた森山氏の経歴を約(つづ)めて記すと、次のようになる。1928(昭和3)年に高浜町に生まれた森山氏は、地元の高校を卒(お)えると大阪に出る。3年間、専門学校程度の工業教育を受け、58(昭和33)年、京都府の綾部市役所に技術職の臨時職員として採用された。職場はおもに水道関係や建設関係であった。翌年から正職員採用となり、土木課の係長まで務めると、69(昭和44)年に退職。ここが元助役にとって一つの転機となる。綾部市役所から故郷の高浜町役場に入ったのだ。このとき41歳。その後はトントン拍子で出世し、高浜原発1号機が営業運転を開始した翌年の75(昭和50)年には収入役に。そして77(昭和52)年から10年間、事務方トップの助役を務めた。

 元助役の大きな影響力の源泉に迫っていきたい。まずは、高浜町の渡邊孝町議による証言。

「森山さんは部落解放同盟の力を笠に着て、役場でも出世していきました。彼を綾部から高浜に呼び戻したのは、当時の浜田倫三町長(故人)です。高浜原発1号機の設置許可が下りた時期で、賛成派と反対派の衝突が激しかったんです」

 その反対派を抑えるために、「若い時分から解放同盟の活動をやっていた彼が、“ヘッドハント”された」と、別の町議が述懐する。

「町のトップの引きならば、出世の道を駆け上がったことも頷けますよね。彼は3・4号機のときにもきちんと対策をこなした。同時に町政全体への影響力も大きくなり、助役になったころには、町にある学校の新任教師は、校長よりも先に森山さんに挨拶に行っていたぐらいです」

 町の郷土誌にも、その活動は記されている。

〈原子力発電所の誘致に献身的に取り組み、原子力発電に係わる安全性の確保について広く啓蒙する一方、(中略)人権教育にも力を注ぎ、人権問題の啓蒙啓発活動により町民に意識付けを行ったことは大きな意義があったと言える〉

 元助役はこのようにして、町政にも高浜原発にも顔が利く存在となっていたのだ。関電幹部が彼との関係悪化をおそれて金品を返せなかった理由が、ここにある。


■“森山詣で”


「しかし、昭和40年前後の高浜町は職員の給与が滞るほどの赤字財政でした。以前、財政破綻した北海道の夕張のような感じだった高浜町に原発を誘致し、関電から数十億の寄付も引っ張り出した。森山さんが果たした役割は大きいですよ」

 と、高浜町役場の関係者が言う。

「実際、03年には地方自治への功績で瑞宝双光章を受章しましたし、原発関連で科学技術庁長官賞も受賞しています。ほかにも社会教育功労や自治功労といった受賞も多いのです」

 それらの活動は同時に、森山氏のネットワークが高浜町全体に構築されていくことを意味していた。

「たとえば、教師が解放同盟を悪く言えばすぐに“通報”が入り、糾弾する。関電社員もさまざまな情報を集めてくる。原発関連の工事のために業者が“森山詣で”をする。助役をやめて民間企業と仕事をするようになると、高浜原発絡みの仕事はほぼ意のままに動かせる状態になっていました。特定の企業の非常勤顧問となり、関電に原発関連事業を発注させる。この10年で売り上げが6倍以上も伸びたとされる企業もある。他方、地元で立ち上げた警備会社は原発関連の警備で潤っている。面白いことに、お孫さんなどは京大を出て検事となっています」

 こうして森山氏は「高浜原発のドン」となった。人柄や経歴についてさらに掘り下げるべく、部落解放同盟福井県連合会を訪れると、

「うちは一切関係ない。関係ないやん。(森山氏の在籍は)50年も前の話。いたのは1年、2年だけやで。あとは役場やったから。一切関係ない。それやのになんで来るんや。同和問題と結びつけたいんやろ」

 解放同盟に在籍していた事実のみの確認となったが、彼が上りつめる過程でまとった、そこはかとない不気味さは消えなかった。

「うちの人間はなるべく近寄らないようにしていた」

 と、関電の経営陣の一人だった男性が明かす。

「森山さんは自分から解放同盟という言葉を使うことはなかったですが、みんなそういう背景は知っていますから。“わしの言うこと聞かなかったら住民たきつけて原子力止めるぞ”と口にしたと報告を受けたことがあります。うちにとっては、それはもう、土下座してでもなにをしてでも辛抱しなければならない。ふだん彼は京都に住んでいて、京都の料亭にいる彼から呼ばれたら、うちの社員は何時でもどこからでも駆けつけてサイフ役を果たしていた。愛人の面倒をみろと言われればそうしたと思う」

 高価な金品ではなく、新米が届けられたときには、

「会社に相談したら“丁寧なお礼状を書いてください”と言われましたしね。今回、問題となっている件は、本当にどうしようもなかったんですよ。ある支店長などは、ほとんど会ったこともないのに就任祝いが届き、異動するまでずっと夏は昆布、冬は数の子が届いたそうです。1万円ほどのね。異動したら昆布と数の子が7千円、5千円と下がっていった。つまり、それだけ細かい情報を握られていたわけです」

 以上が本件の本質である。突如、浮上した関電と高浜原発の闇。“ドンの呪縛”の本当の怖ろしさが分かるのはこれからかもしれない。

「週刊新潮」2019年10月10日号 掲載

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