認知症の母が口紅をつけ満面の笑顔で――閉ざされた家族が再び社会へ開かれたきっかけとは【ぼけますから、よろしくお願いします。】

 ある年の元旦に、認知症発症後の母親が発した言葉がタイトルになった映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』。ディレクターの信友直子さんが監督・撮影・ナレーターを務めたこの作品は、ミニシアター単館上映で2018年11月から公開されるや話題を呼び、上映館全国100館近く、動員数10万人を超えるドキュメンタリー映画としては異例のヒットとなっています。

 陽気でしっかり者の母親が徐々に「出来なくなっていく」一方、家事はいっさい妻任せで90を超えた父親が「やらなければならなくなる」様子を時に涙ぐみ、離れて暮らす自責の念や夫婦・家族の絆を噛みしめつつ見つめる娘。そして、認知症はどう進むのか、家族に認知症患者がいるとはどういうことか、老老介護の現実とは……それらを冷静に記録していこうとする取材者――2つの立場で踏ん張り、あるいはその間で揺れながらカメラを回し続けた信友さんが、映画に盛り込めなかった数々のエピソードを語る好評連載最終回です。

 筆者が撮っていた両親の映像が、たまたまフジテレビADの目に触れたのがきっかけで、同局「Mr.サンデー」で特集に組まれることに。それも筆者の両親が、揃って番組制作を快諾したおかげでした。そして、番組の準備が、行き詰りそうになっていた信友家の状況が好転するチャンスを運んできます。

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■最初の雪解け、奇跡の予兆


 フジテレビの「Mr.サンデー」で2016年の夏に放送されることが決まり、どのような構成にするか、プロデューサーや構成作家との打ち合わせが始まりました。

「Mr.サンデー」はドキュメンタリー番組ではなく情報番組なので、うちの両親の生活を追いかけた映像とともに、視聴者に必要なさまざまな情報を織り込んで放送することになります。

 スタッフと相談した結果、今回の特集では、自分や家族が認知症になったらどうすればいいのか不安に思っている人のために、有効な情報をいくつか紹介することになりました。

 具体的にはまず、「家族が認知症ではないかと思ったら、ここに相談に行きましょう」と、ワンストップ相談窓口である地域包括支援センターを取材することにしたのです。

「地域包括支援センター」というのは、全国の各区市町村にある、認知症などに関してのよろず相談窓口のようなところです。認知症を診てくれる病院が地域のどこにあるかや、要介護認定の申請の仕方、要介護認定を受けたらどんな介護サービスを受けられるかなど、認知症に関することはここに行けばすべて教えてもらえるという、とても便利で親切な行政機関(民間に委託している場合もあります)なのです。

 もちろん呉市の、私の実家の近くにもあり、私も存在は知っていて常々相談に行きたいと思っていたのですが、両親が介護サービスを断固拒否していたので、今までは親の意に背くような気がして行けていませんでした。

 なので、この取材は、個人的にも「渡りに船」というか、とてもありがたい取材でした。番組の取材で行くと言えば、父も反対できないんじゃないか……そういう読みがあったからです。

 番組の流れは、こういうふうにしようと思っていました。

 まず、私が今まで撮ってきた両親の日常生活を映像で紹介する。その後に、私が実家近くの地域包括支援センターに相談に行き、そこの職員さんに両親の映像を見てもらって、介護のプロの視点からアドバイスをもらう。

 職員さんに、老夫婦だけの生活がいかに心配かを具体的に指摘してもらい、そして市としてはこういう援助ができますよという説明をしてもらう。

 そして、信友家は親の反対でまだ利用していないけれども、公的な介護サービスというのがあって、家事援助をしてくれるヘルパーさんの派遣や、本人が入浴や食事、楽しみのために通えるデイサービス施設があるのだという説明をする……。

 そのために、デイサービス施設の取材や、実際にヘルパーさんをお願いされているご家庭の取材なども、するつもりでした。

 そして、私の目論見としては、そうやってできあがった番組を両親に見てもらうことによって、何がしかの両親へのメッセージにならないかなと。父が、今の母とのひきこもり生活を見直してくれるきっかけになればいいなと。

 そんな淡い期待を抱いていたのです。

 そう、この時点では、まさかあれだけ拒絶していた介護サービスを、両親が受けると言い出すなんて、思ってもいませんでした。

 奇跡が起こったのは、いっぺんにではなくて、少しずつ、少しずつでした。

 まずは最初の雪解け、奇跡の予兆についてお話しします。

 番組を作るために、私が娘として、あらかじめ両親におうかがいを立てておかなければいけない案件は、2つありました。

 ひとつは、私が近所の地域包括支援センターに行って、両親の映像を見せること。

 そしてもうひとつは、テレビカメラマンが呉に来ることです。

 地域包括支援センターには、私は相談者兼番組のレポーターとして行くわけですから、今までのように私がカメラを回すわけにはいきません。職員さんと私とのやりとりを撮る、別のカメラマンが必要になります。

 私は東京から、仕事でよく組んでいる、河合くんというカメラマンに来てもらうことにしました。河合くんは、私も気心が知れているから仕事がしやすいのですが、人当たりが良いので、取材先の人たちにもすぐに気に入られる好青年です。

 しかし、父にカメラマンを呉に呼ぶことを伝えると、

「カメラマンが来る? うちにも来るんか」

 と、とたんに警戒モード。

「あのねお父さん、市役所の近くに、認知症のことは何でも相談できる、市の相談所があるんよ。そこに私が行ってお母さんのことを相談してみることにしたん。それをカメラマンが撮ってくれるんよ」

「なんであんたが、市にそんな相談に行くんな? わしらが市からあれをせえ、これをせえ、言われたらかなわんぞ」

「お父さんらは何もせんでええんよ。私が番組の取材のために行くだけ。これは私の仕事じゃけん」

「……ほうか、あんたの仕事ならしょうがないな。ほんなら行ってきんさい」

 お父さんごめん、だまし討ちみたいになって。

 しかし、次の瞬間に父が放った言葉は、当分忘れられないほど強烈なものでした。

「カメラマンか何か知らんが、知らんヤツをこの家に入れるなよ。わしらのことを撮るのは、あんたのカメラだけにせえよ」

 ……はい、わかりました。お父さん。ああ、こわ。

■口紅をつけた母


 河合カメラマンが東京から来てくれることになり、一足先に実家に帰っていた私は、

「ちょっと迎えに行ってくるわ」

 と両親に告げて、空港バスのバス停まで迎えに行きました。

 河合カメラマンには、

「父が頑固でね、知らない人は家に入れるなって言ってるから、家に入るのは難しいかもしれない。でも、せっかく呉まで来てくれたんだし、とりあえず挨拶だけしてみようか」

 そう言って恐る恐る実家に連れて行ったら、ビックリすることが……。

「まあまあ、おいでなさいませ」

 母がニコニコと出迎えてくれただけでも驚いたのに、なんと母は口紅をつけている!

 いったい何年ぶりでしょうか。

「いつも直子がお世話になっとりますねえ。狭い家じゃが、まあお上がりなさい。どうぞ、どうぞ」

 いきなり昔の社交性が戻ってきた母。私は感動して泣きそうだったのですが、

「どうしたんお母さん、口紅つけとるじゃない」

 敢えて茶化すと、

「あんたが、東京から仕事先の人が来てじゃ言うけんねえ。あんたが仕事でお世話になっとる人なら、お母さんもきちっとしとかんといけん思うて」

 母はさっき私が「仕事仲間を迎えに行く」と出て行ったのを一生懸命覚えてくれていて、化粧をして出迎えてくれたのです。

 ああ、やっぱり挨拶だけでもしてもらおうと連れてきてよかった。家に入れるなよ、という父の言葉に従って連れてこなかったら、せっかくの母のおめかしが報われないところだった。

 母に「まあお上がりなさい」と言われて、我が家に通された河合カメラマン。

 信友家にとっては、何年かぶりの来訪者でした。

 座敷で新聞を読んでいた父は、耳が遠いので玄関でのやりとりに気づかなかったようで、突然目の前に現れた若い男に、

「どうしたんな!?」

 と素っ頓狂な声。

「東京から来てくれたカメラマンの河合くんよ。玄関で挨拶だけしてもらおうと思うたら、お母さんが『お上がりなさい』言うたけん、あがってもろうた」

「……ほうか、それは、いらっしゃい」

 慌てて、家長としての威厳を取り繕う父。私には「知らんヤツをこの家に入れるなよ」と威勢のいいことを言っていましたが、いざ本人を前にすると、「帰れ」とも言えず、思わず「いらっしゃい」と言ってしまう――私は内心、父に申し訳ないやら笑えるやら。

「お母さんが口紅つけとるんじゃけど、お父さんが塗らしたん?」

「え? 口紅? いや、わしゃ知らんぞ。お母さんがそんなことしとるんか」

 父も、母が久しぶりの訪問者におめかししてウキウキしている姿を見て、感じるところがあったのでしょう。

「ほんなら、コーヒーでも淹れようかい。あんた、コーヒー好きですか」

「はい、大好きです。信友さんから、お父さんの淹れるコーヒーはおいしいと聞いてるので、楽しみです」

 さすが好感度の高い河合くん。コーヒー愛好者を自称する父の自尊心を、心地よくくすぐってくれました。

■少女時代の面影


 何年かぶりに、父はお客さんのためにコーヒーを淹れました。

 そして、何年かぶりに口紅をつけて、若い男の人と上気してしゃべる母。その浮かれぶりは、娘として嬉しいような恥ずかしいような、目のやり場に困る気持ちです。

 また河合くんが、女心をつかむのがうまいんです。

「お母さんは、お誕生日はいつですか?」

「私はね、1月5日。昭和4年1月5日」

「昭和4年。へえ、見えないですねえ。お若いですねえ」

「何を言うてんね、もう八十いくつのおばあさんじゃに……」

 河合くんのお世辞に、母はパッと花が咲いたような満面の笑顔。

「子供のころはね、お誕生日の人は教室の前に出て、みんなに祝うてもらいよったんじゃけど、私は1月5日で冬休みじゃけん、学校で祝うてもらえんでねえ。さえんかったんよ」

 へえ、そんな話、私も聞いたことなかったわ。

 幼いころの記憶は、こんなにも鮮明に残っているんだなあ。

 口紅をさして少し若く見える母の、はにかんだような笑顔に、少女時代の面影が見えるような気がして、私もほのぼのとした気持ちになりました。

 父は、耳が遠いので、あまり会話には参加しませんでしたが、嬉しそうな母を見ながら、

「えかったのう。お母さんがあがいに(あんなに)楽しそうに笑うのは久しぶりに見たわ。ほいじゃが、わしも気がつかんかったが、いつの間に口紅つけたんかのう……」

 とても感じ入ったようでした。

 そして、河合くんが父に、

「コーヒー、ごちそうさまでした。とってもおいしかったです」

 とお礼を言うと、

「ほんま? ありがとね」

 父は声を弾ませました。よほど嬉しかったのでしょう。河合くんも聞いているというのに、お得意の鼻歌を歌い始めたりして。

 なんだか、ここ何年か淀んでいた家の空気が、にわかに動き始めたようでした。

 そう、この何年かぶりの第三者の訪問が、今思い返してみると、信友家の分岐点になったのです。

 この日から、信友家はまた、社会へと開かれてゆくことになったのでした。<了>

 この後、筆者が実際に地域包括支援センターに相談してみるという河合カメラマン同行の取材がきっかけで、信友家は介護サービスを開始することになります。ヘルパーさんの訪問や、デイサービス利用などが始まりましたが、母親の認知症の症状はゆっくりと進んでいき……。

 これまでの連載を含め、今の信友家の様子までを収めた単行本『ぼけますから、よろしくお願いします。』(新潮社刊/本体価格1364円)が10月24日に発売されます。認知症介護に直面した家族のリアル――ぜひ、お手にとってみてください。

信友直子
1961年広島県呉市生まれ。東京大学文学部卒。森永製菓入社後、「グリコ森永事件」当時に広告部社員として取材を受けたことがきっかけで、映像制作に興味を持ち転職。1986年「テレパック」、1995年「フォーティーズ」を経て2010年フリーディレクターとして独立。主にフジテレビでドキュメンタリー番組を手がける。2005年子宮筋腫により子宮摘出手術、2006年インド旅行中に列車事故で重傷、2007年乳がんを発症など波乱の人生。乳がんの経験はセルフドキュメント「おっぱいと東京タワー」(フジテレビ、ザ・ノンフィクション)として放映。

(C)「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

2019年10月17日 掲載

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