“男性がトイレまでついてくる”“授乳をじっと見られる”災害避難所の性被害は「大したことじゃない」のか?

「わたしはフェミニストじゃないけど、女はたしかに生きるの大変かもね」

 そう言ったのは、わたしの友人だ。野球とサンタナの音楽が好きな大酒飲みで、アルバイト先で知り合って以来、もう十何年の付き合いになる。今は結婚して子どもがいて、年に1、2回しか会わない。会えば音楽や政治や社会問題や将来について、酒を飲みながら話し合う。

「でも、わたしは柊ちゃんみたいに直接女性差別を見たり、被害に遭ったりしたことがないからなあ」

 彼女は、まるで自分がそんな大層なことを語る資格なんてないとでも言いたげだ。わたしはそれを聞いて、胸の内で即座に問い返す。

 それ、本当に?

■女性差別の被害者って誰のこと?


 彼女が「直接出会ったことがない女性差別やその被害」と言ったのは、わたしがこれまでに遭遇してきた性犯罪や性暴力のことだ。性風俗店に来る犯罪スレスレの迷惑客や、電車や夜道で遭遇した痴漢やぶつかり男たち。なるほど、それらとの遭遇はたしかに被害と呼ぶに相応しい。

 けれど、女性差別による被害というのは、そういった一見分かりやすい暴力だけの話ではない。上記に挙げた3点などを示して「被害に遭った」と主張した際に「その程度で被害者ヅラをするな」「冤罪かもしれない」「ブスの勘違い」などと言われるのが常態化していることをも含めて、女性差別なのだ。

 友人と話しながら、いまだ女性差別が当たり前になっている社会で生きるうちに、多くの女性たちが「女性差別なんて自分には無関係だ」と考えるようになっているのではないか? と改めて疑問がわいた。

 かつて、女性に参政権がなくて、勉強する権利もなくて、それが当然だとされていた時代があり、多くの女性が「上司にセクハラされた? そんなもの軽くかわしなさい」「電車で痴漢された? きみが魅力的ってことだよ」と、言われていた。それが当然だとされていた時代は、それほど遠い過去のことではない。


■献血ポスター炎上と「直接の性被害」


 つい先日、日本赤十字社と漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」がコラボレーションしたポスターについてSNSで議論が巻き起こった。ポスターでは、漫画的手法でデフォルメされた大きな乳房で紅潮した頬の女性キャラクターが「センパイ! まだ献血未経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか?」と笑っている。

 このポスターについては、公共性の高い組織である日本赤十字社が女性を性的オブジェクト化したイラストを使用したという点だけでなく、男性(センパイのこと)が注射を怖がって献血できないことをからかうようなセリフを採用し(男性が注射を怖がっていけない理由はないし、様々な事情で献血できないひとに対するハラスメントになりかなねい文言だ)、それを公共の場に掲示したことで、議論が噴出した。

 このポスターについてTwitter上で様々な意見が飛び交う中、とある男性のツイートが目に入った(画像参照)。

 世の中には、より程度の大きな被害に遭っている者がいるのだから、それっぽっちのことでギャーギャーと騒ぎ立てるな、というわけだ。

 世の中には重大で悲惨な被害があるのだから、それより小さな被害には目をつぶれというのは、あらゆる被害を矮小化し、被害者の口をふさぐ、卑劣で野蛮な二次加害である。しかしこういった「みんな我慢してるんだから我慢しろ」といった意見は少なくない。

 こういった著しく偏った二次加害的意見が拡散されることの重大な問題のひとつは、「それもそうだよな……」と女性が思い込まされてしまうという点だ。

 飲み会の席でしつこく下ネタの標的にされたり、体に触られたり、顔や体形についてからかわれたり、道端で意図的にぶつかられたり、夜道で後をついて来られたり、ナンパを断って「調子に乗るなブス」と捨て台詞を吐かれたり……そういったことは、レイプされたり殺されることを考えたら、大したことじゃない。被害ですらない。そう考えている女性は多いだろう。日本社会では、その程度のことは笑って受け流すのが、できた女性の嗜みなのだ。たとえそれを自分がどんなに苦痛に感じていようと、仕事をクビにされたりレイプされたり殺されたりするよりはマシなのだから、我慢してしかるべきなのだ。

 そういった女性に対する見えない強要と抑圧によって、性犯罪被害の少ない安全な国・日本は成り立っている。


■災害の避難所でも起こっている女性差別


 10月12日、未曽有の規模の台風19号が日本列島を席巻した。今回の台風も大きな被害を出し、全国で88名の死者が出た(10月25日現在)。

 被災して避難所での生活を余儀なくされた際、そこで起きる問題についても、男女では大きな隔たりがある。

 避難所での自治は男性が担うことが多く、女性固有の事情に配慮が行き届きにくい。また、日本は自然災害大国であるにもかかわらず、令和の現在にいたって未だ体育館に雑魚寝の避難所が多くを占める。プライバシーのない避難所生活では、女性が性犯罪に巻き込まれることも少なくない。

 2016年に熊本地震が起きた際、熊本市男女共同参画センター「はあもにい」は、避難生活を送る被災者向けに性犯罪に関するチラシを制作している。そこには阪神淡路大震災での性被害の事例が挙げられた。

〈段ボールで更衣室を作ったら上から覗かれた(13〜16歳)〉
〈避難所で成人男性からキスしてと言われた。トイレまでついてくる(6〜12歳)〉
〈授乳しているのを男性にじっと見られる(30代女性)〉

 それに対してチラシでは、多くのスペースを割いて女性たちに自衛するよう訴えている。

〈自分を大切にしてください〉
〈単独行動はしないようにしましょう〉
〈見ないふり・知らないふりをせず助け合いましょう〉

 加害者に対する牽制の文言は、〈性的な嫌がらせやいたずらなど尊厳を傷つける行為も犯罪です〉という1点だけだ。

 被災者が等しく大変な状況でありながら、女性はさらに性的な危険にも晒される。そしてその危険に対する具体的な対処法は、本人による自衛しかないとされるのだ。

 上記のチラシには当然、悪意は微塵もないだろう。しかし加害者に対する強い牽制や威圧も、またない。自衛のみを促して加害者側への警告に欠けるこのようなチラシは、「性犯罪が起きるのは仕方ありません。あなたが自衛しなければ被害に遭っても仕方ないですよ」というメッセージを多分に含む。

 悪意なく発信されるそのメッセージは、女性の人権や尊厳が男性のそれよりも軽視され差別されていることを言外に含んで、読む者に届く。

 実際に、そういった差別を無意識に内面化してしまった女性が、「(男性が)若いんだから仕方ないね」と、見て見ぬふりをして助けてくれなかったという報告もあるほどだ。

 さて、しかしながら、前述のツイートの理屈にこの件を当てはめるならば、「この程度のことは女性器切除や性奴隷や酸攻撃に比べれば大したことがないので、黙っているべき」ということになる。

 着替えを覗かれたところで女性器を切除されるような肉体的被害はないし、トイレまでついて来られたからといって、いきなり性奴隷にされたわけではない。授乳をまじまじと見つめられた程度のことは、酸で顔をめちゃくちゃにされるよりは些末なことだ。広い世界にはもっともっと凄惨な被害があるのだから、避難所生活でのセクハラ程度のことは、被害だと訴えるに値しない。その程度のことで警察や行政の手を煩わせると、もっと重大な事件に割くリソースが減ってしまう。黙って耐えるべきだ。

 かのツイートには1万6千のいいねがついている(10月28日現在)が、ツイートをした彼や共感や賛同を示すひとたちは、紛争や戦争で死んでいる者がいるのだから、無灯火の自転車に轢かれそうになったからといってガタガタ言うな、と言われても平気なのだろうか? あるいは、貧困で毎年何万人も死んでいるのだから、ブラック企業で残業代が出ないくらいで文句を言うなと言われて、その通りだと感じるのだろうか?

「建物の窓が割れているのを放置しておくと、防犯に対して無関心だというサインになり、やがてすべての窓が破られる」というのは、有名なジョージ・ケリングの割れ窓理論だ。

 この理論の通り、軽微な女性差別を見過ごすことが常態化した現在の日本社会では、薄着の女性は見知らぬ男性からジロジロ見られてもしょうがないとされているし、男性とふたりで酒を飲んで酔っぱらったら、セックスに合意したものと見なされてしまう。ナンパに対して無視を決め込むと「調子に乗るなよ、ブス」と言われてしまうので、「せっかくのお誘いですが、今日は時間がないので失礼します」と丁寧な言葉で断らなければならない。それらはすべて、ヒビが入って割れた窓だ。

 様々な性犯罪や女性への暴力事件を紐解いていけば、「触られたそうにしていたから」「酔って無防備な姿にムラムラしたから」「無視されて腹が立ったから」といった、割れて放置された窓を見て自分もやっていいのだ、と解釈した犯行理由を探し出すことは、それほど難しくないだろう。

 わずかな女性差別の発露を見逃し続けることは、やがて、盗撮や暴行やストーカーやレイプや殺人に発展していく。たかがポスターの性的誇張表現、たかがセクハラ……それらはすべて実害であり、より重大な被害と地続きなのだ。


■自分の感情を信じられない女性たち


 痴漢に遭えば、「その程度ですんでよかったね」「勘違いじゃないの? 冤罪ってこともあるんだよ」と言われ、女性を性的に誇張した広告を批判すれば「広告とあなたは関係ないだろう」「2次元に嫉妬するな」と言われ、日本女性の多くは自分の感情を信じられなくなっている。

 不快を表明することはヒステリーで、男性の性欲を受け入れる(あるいは受け流す)のが、大人の女性の嗜みだとされている。だが、男性は女性の恐怖や不快を受け止めることはない。女性の胸元を強調したポスターへの批判が不愉快だと感じれば、批判した女性に対して、「ババアが何を勘違いしてやがる」と感情的にまくしたてることを、自分たちに許可している。これは一見してあきらかに不均衡である。

 なおかつ日本は男性優位社会だ。首相以下多くの政治家は男性であり、企業の重役もテレビ番組の司会者も学校の偉い先生も家庭の大黒柱も、ほとんどが男性である。女性は男性よりも賃金を低く設定され、妊娠出産で長期休暇を取る可能性があるから出世できず、大学入試で不当に不合格にされ、社会への進出を大きく阻まれている。そんな不平等を、「男性のほうがリーダーシップがあるから」「男性のほうが理論的だから」「男性のほうが学力が高いから」などと体のいい言葉で偽った上で、男性の意見が通りやすい社会ができている。

 女性を無力化する社会で、優位な立場にある者から「お前の感情は間違っている」とくり返し言われれば、それをはね返し続けるほうが難しいだろう。

 女子高校生を対象にした性差別のアンケートと自己肯定感に関する記事では、メディアやインターネットで日常的に性差別を目撃したり経験したりする、という回答とともに、「今の自分を好きだと感じる」と答えたのはわずかに8.3%という結果が出ている。

 さらに「私は価値のある人間だと思う」「私はいまの自分に満足している」に「そうだ」と回答したのは、それぞれ男子14.1%女子5.3%、男子12%女子5.6%であるとのこと。

 この数字の相関は「わたしが辛いのは、わたしが女として間違っているからだ」と信じて苦しむ子どもたちの悲鳴に聞こえる。

 女性の苦しみは間違ってなどいないのだ。間違っているのは女性への加害を黙認し、「あなたより辛い目に遭っているひとがいるんだから我慢しなさい」などと言って口をふさぎにかかる社会のほうだ。

 加害するな、と声を上げることは難しいかもしれない。

 女性の性的オブジェクト化を不快だと表明することは、勇気がいるだろう。

 本当にそう言っていいのか?

 わたしの感情が単なるヒステリーってことはないだろうか?

 こんなことを被害だなんて言っていいんだろうか?

 わたしは本当に正しいのか?

 そこで立ち止まり、それより先に進めなくなる気持ちが、わたしには痛いほどよく分かる。「そんなモノだ」とあきらめるほうが簡単で、短期的には安らかだからだ。

「わたしは柊ちゃんみたいに直接女性差別を見たり、被害に遭ったりしたことがないからなあ」

 でも、それって本当に?

 辛いことを直視しろ、と強要することはできない。けれど、どうかこのテキストを読んだすべての女性に知っておいてほしい。

 あなたがもしも、女性として不快だと感じることがあるならば、女性として生き難いと感じることがあるならば、それはこの社会に女性のあなたを軽んじ、蔑む思想があるからなのだと。それこそを、女性差別というのだということを。

柊 佐和(ひいらぎ さわ)
フリーライター。フェミニスト。元セックスワーカー。1983年生まれ。高卒で入社したブラック体質の就職先を1年で退職しアルバイターになる。27歳から断続的にライターとして活動。セックスワークを経てフェミニズムと出会う。SNSを通して日本の女性差別とセックスワークの構造に対する批判を展開する。
twitter @00_carbuncle_00

2019年11月1日 掲載

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