少女連続監禁事件容疑者、祖父は「安倍晋太郎元秘書」父は「医師国家試験に受からず自殺」

少女連続監禁事件容疑者、祖父は「安倍晋太郎元秘書」父は「医師国家試験に受からず自殺」

容疑者の自宅

 大阪に住む小6少女、そして茨城県の15歳の女子中学生が、男の自宅に“監禁”されていた事件。未成年者誘拐容疑で逮捕された伊藤仁士(ひとし)容疑者(35歳、以下、表記略)は、

「ツイッターで助けを求めていた子を助けてあげた。正しいことをした」

 逮捕前の調べでこう説明し、誘拐容疑を否定している。

〈弱い人間の力になれる優しい人になる〉

 と伊藤が文集に記したのは中2の時だった。

 精神科医の片田珠美氏は、

「容疑者は、思いやりや罪悪感のない『情性欠如者』かもしれません。凶悪事件の犯人には情性欠如者が多く、例えば、大教大附属池田小事件の宅間守も情性欠如者と診断されています」

 と分析する。伊藤本人はかつて掲げた理想を貫いただけだったのかもしれないが、どこで現実を見誤ってしまったのか。その人生を駆け足ながら振り返ってみよう。

 1984年生まれの伊藤仁士は30年ほど前に父親を亡くしている。

「それまでは東京・新宿で暮らしていました。仁士が5歳くらいだったと思いますが、彼の父親が運転するクルマで事故を起こし、病院に運ばれる前に亡くなってしまいました。そこから彼の母親は子供と栃木に移り住んだのです」

 と話すのは、仁士の父親の弟で、仁士から見ると叔父に当たる人物だ。

「仁士の父親は外科医をしていました。愛知医科大を卒業してからそのまま医科大で働いていたのではないかと思います。奥さんとは名古屋で出会ったと聞いています。結婚式を挙げず、お宮だけだったので馴れ初めはわかりません。父親が亡くなってから子供たちに強くなって欲しいと、私が剣道を勧めたのでした」

 子供たちは、仁士、弟、妹の3人きょうだい。ちなみに妹は父の“遺志”を継ぎ、産婦人科医となっている。


■引きこもり


 仁士は地元の小中学校に学び、公立のトップ高校を狙えるほど優秀だったものの不合格。宇都宮短大附属高に進学したが、「この時に挫折感を味わい、歯車が狂い始めた」と証言する中高の同級生は少なくない。そこからはラーメン店のバイトや自動車教習所でパートタイマーなどとして働くも、長く続かず。親族の一人も、

「引きこもりだったと(親類一同が)認識していたのは間違いない」

 と認める。それは、先の叔父が、

「栃木での暮らしが厳しいとは聞いていません。ウチの父(仁士の祖父)が亡くなった時にも財産分与を行いましたから、子供たちにも貧しい思いはさせていないと思います」

 と言うように、働かなくても食べていける環境が影響したのかもしれない。

 更に転機が訪れたのは、ちょうど1年前のことだった。近所の住民は、

「仁士君のおばあちゃんの足が悪く、這って歩くのが精いっぱいの状態になりました。それまで彼は母親と一緒に暮らしていたのですが、介護をする関係で、母がそのおばあちゃん宅に住むことになったんです」

 と明かす。つまり、仁士は2階建て163平方メートルの家で一人暮らしとなった。2人の女子を家に引き入れることに成功した背景には、こういう事情があったわけだが、とはいえ、見ず知らずの人物がやってきたら早晩周辺が気づくはずだが……。

「いやぁまったく気づきませんでした。そもそも母親らご家族が仁士君に触れることはなく、“いない人”のような扱いでした。元々、彼の外出はほとんどなかった。その女の子たちも同じように出入りがなかったとして、ご家族も知らなかったのなら、私たちにわかるはずがないですよね」

 と、別の住民。自身を無視するかのように扱う母や、ドロップアウトしていなければ自分もそうなっていたはずの医師の妹。晴れて一人暮らしとなった後すぐの連続監禁が、彼女らへの当てつけだとするのは穿ちすぎだろうか。


■晋和会の秘書代表


 資産家だったという仁士の祖父は安倍晋三首相の父・晋太郎元外相の秘書だった――。

 これは、伊藤家について取材をする中で遭遇した驚きのエピソードである。先の叔父にこの点を尋ねると、

「仁士の祖父は五十男(いそお)と言います。会社員です。確かに安倍晋太郎さんの秘書は10年ほどやっていました」

 会社員? 10年ほど秘書? ならばと安倍家と親交のある元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏に聞くと、

「伊藤五十男ですよね。安倍家は親族が少ない分、秘書がしっかり支えていました。当時の安倍陣営の拠点は永田町のTBRビル5階の『晋和会』、同6階の『晋友会』、そして赤坂のホテルニュージャパンの隣にあったビルの『安倍晋太郎後援会』。それぞれ古参の私設秘書が取り仕切っていて、最も集金力のあった晋和会の秘書代表が伊藤だった。ガッチリした体躯でね。金儲けが上手で金庫番と言って差し支えないでしょう。会社員? う〜ん、もともと山口の農協トップの秘書を務めていて、頭角を現して晋太郎さんの秘書に収まったんです」

 その息子、つまり仁士の父親については、

「確かに愛知医科大に入りましたよ。当時、私立大学振興政策のため、自民党の代議士は各私大の担当を持っていました。晋太郎さんは71年にできた愛知医科大を受け持っており、その繋がりもあって、72年に秘書の息子が2人そこに入学します。そのうちの一人が伊藤五十男の息子(仁士の父)です。ただ、医師国家試験になかなか受からず、いろいろあって自殺されたと聞いています」(同)

 仁士の叔父は事故死だと言っていたが、自殺?

 実際、大学の卒業生名簿に当たってもその名は見つからず。濱岡氏が挙げたもう一人の秘書の息子は1期生の卒業者として明記されているのだが……。同期の面々に取材すると、複数が、

〈確かに入学して机を並べたものの、途中で姿を見なくなった。在学中に自殺したようだ〉

 と答えた。さすがにそれでは仁士の年齢と平仄が合わないが、その後の取材で、仁士の父は85年卒だとわかった。卒業同期に聞くと、

「いたのは覚えていますが、かなり歳が離れているので、周囲とほぼ会話はありませんでしたね」

 亡くなったのは卒業の3年後である。入学から13年間をどう過ごしたのか。ともあれ、父の死が仁士にもたらしたトラウマは如何ばかりだっただろう。

 再び、片田氏の分析。

「容疑者が孤独であったことも今回の犯行に至った要因だと考えられます。容疑者は、“茨城の女子の話し相手になってほしかった”と言い訳していますが、まんざら嘘でもないと思います。ただ、話し相手が欲しかったのは自分ではないでしょうか。新潟少女監禁事件の犯人である佐藤宣行も“かけがえのない話し相手だったので、解放することはできませんでした”と供述しました。容疑者も、15歳の女の子がかけがえのない話し相手だったのでしょう」

「週刊新潮」2019年12月5日号 掲載

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