梅沢富美男が「厚生労働省“体罰”指針案」を読んで思ったこと

梅沢富美男が「厚生労働省“体罰”指針案」を読んで思ったこと

梅沢富美男氏が唱える正論

■家庭の躾けにまでお上が介入 厚労省「体罰」指針の暗愚(1/2)


 転ばぬ先の杖とはいうが、それを発育途上の子供に与えたら足腰も育たなくなるだろう。厚労省の体罰指針も似たようなもので、家庭の躾けにまで細かく口を出し、社会の荒波に耐えられない子供を生み出そうとしている。これを暗愚と言わずになんと言うか。

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「やまびこ挨拶」をご存じだろうか。コンビニエンスストアなどで、自動ドアが開くと店員が「いらっしゃいませ、こんにちは」などと声をかけると、ほかの店員も一斉に同じ言葉を繰り返すあれである。ちなみに、どの店員もまず客の顔など見ていやしない。

 これは店員の統率や万引き防止には役立つらしいが、客からは、心がこもっておらず不快だ、という声が少なからず上がるという。

 言うまでもないが、挨拶は臨機応変で柔軟でなければ相手の心に響かない。やまびこ挨拶の事例は、人との接し方のマニュアル化に無理があることを物語っている。ましてや、人格形成の途上にある子供が相手であれば、なおさら難しいことは容易に想像できる。

 ところが今月3日、子供への接し方マニュアルとでも呼ぶべき指針案が、お上である厚労省のお達しとして発表されたのである。体罰を「身体に苦痛を与える罰」などと定義し、その具体例を示した、いわば国を挙げての躾けマニュアルで、有識者による「体罰等によらない子育ての推進に関する検討会」に示し、概ね了承されたという。そこでは、以下の例はすべて体罰だとされている。

「口で3回注意したけど言うことを聞かないので、顔を叩いた」「大切なものにいたずらをしたので、長時間正座をさせた」「友達を殴ってケガをさせたので、同じように子供を殴った」「他人のものを盗んだので、罰としてお尻を叩いた」「宿題をしなかったので、夕ご飯を与えなかった」

 また、指示するのではなく問いかけるべきだとされ、ほめることが推奨されている。さらには、「きょうだいを引き合いにしてダメ出しや無視をする」などの言動も体罰と同等だとし、子供への接し方も具体的に示されている。たとえば、走っている子供を注意する際には、「走らない!」ではなくて、「歩きましょう」と声をかけるべきだという。

 むろん、この指針案が出されたのには、それなりの背景がある。躾けと称する体罰による虐待死が相次いだのを受けて、来年4月施行の改正児童虐待防止法で親による体罰が禁じられる。それに先立ち、親を啓蒙しようというわけである。

 身勝手で凄惨な虐待を放置できないのは、論をまたない。しかし、東京都国立市の元教育長で教育評論家の石井昌浩氏は、

「乳飲み子に大けがをさせたり、連れ子を殴り殺したりといった行為は、断固として防がなければいけません。でも、それならば児童相談所の役割を見直すとか、警察と学校をうまく連携させるとか、先に考えるべきことがあると思います」

 と言ったうえで、

「躾けと体罰の線引きはケースバイケースで変わるもの。厚労省は、どんな場合でも通用する大枠を示すだけでよかったのではないかと思います」

 と、指針案に向け、具体的な疑問を投げかける。

「いま子育てを頑張っている親御さんにしたら、言うことを聞かない子供に“座りなさい”ではなく“床か、この椅子か、どちらかに座ってね”と伝えるだなんて、きれいごとだ、と言いたくなるでしょう。幼稚園児と小学生でも指導法は大きく違ってきます。厚労省の指導法は幼児向けで、やんちゃな小学生が厚労省の勧める言い方で指導されたら、親をバカにします。そもそも子供は親の言うことを聞かず、自分の都合で動こうとするものです。私も2児を育てた経験がありますが、小さいころは素直に聞くことなんて、まずなかった。やさしく声をかけてもおだてても言うことを聞かない、という子もいます。ずっと遊びたがって勉強は嫌がる子供を、時におだて、時には厳しく躾けるのが、親や教師の役目です」

 石井氏は、ほめて育てること自体に異議を唱えているのではない。ただ、

「“ほめて育てましょう”だなんて、いまの親は当たり前にわかっていて、それでもうまくいかない現場を知ってくれ、と言いたくなると思います。ほめるのが必要なのは当然ですが、時に厳しく指導しなければならない局面もあり、そのバランスが大切です。善悪の判断がまだつかない子供には、ダメなものはダメだと厳しく指導すべき瞬間もあります。猫なで声で“○○してね”と言っても動かない子供は動きません」


■梅沢富美男氏が唱える正論


 子育てに一家言ある俳優の梅沢富美男氏にも、指針案を読んでもらった。

「意外に思われるかもしれませんが、僕は体罰反対派です。言ってわからなければ、殴ってもわからない」

 と前置きしながら、「ただ」と言葉を継いで、こう意見を語った。

「正解がなく、一筋縄でいかないのが子育て。厚労省の指針案にある例が全部体罰になるなら、いま子育てをしている親御さんたちは、どうしていいかわからなくなるでしょう。子供に暴言を吐き、暴力を振るうのは、言語道断です。ただ、指針案では“友達を殴ってケガをさせた”“他人のものを盗んだ”という場合も、子供を殴ったり、お尻を叩いたりしてはダメだと言いますが、この場合、子供がしたことは犯罪です。躾けが子供をサポートして社会性を育む行為であるならば、人としてしてはいけないことをした子供に、殴られれば痛いと教え、盗みを働いたら罰を受けることを教えるのが、躾けでなく体罰だとするのは、いかがなものでしょうか。度を超すから躾けが体罰になるんです。罰せられるべきは、躾けの範囲をはるかに超えた虐待をするバカ親であって、虐待で死なせた場合の刑罰を重くするのが先ではないかという気がします。指針案が、一生懸命子育てをしている親を縛るものになってほしくないですね」

『ほめると子どもはダメになる』(新潮新書)の著書がある、大阪大学大学院の元助教授で、MP人間科学研究所代表の榎本博明氏も、

「虐待防止のためにすべての親の体罰を禁じる、という論理そのものがおかしい。慈善事業を装った詐欺行為が横行しているからといって、詐欺をなくすために慈善事業をすべて禁止するようなものです」

 と言って、こう続ける。

「授業で体罰について、大学生たちと話す機会がよくありました。お尻を叩かれたり、食事抜きにされたりしたという学生もいましたが、それを恨んだり、トラウマになっていたりする学生はいなかった。むしろ厳しく躾けてくれた親に感謝している子が圧倒的に多く、食事抜きのわびしさのなかで、もうこんな悪さはしたくないと思った、と言います。このように、体罰と虐待は子供に与える影響も異なるのに、一緒くたにして論じるのがおかしいと思います」

(2)へつづく

「週刊新潮」2019年12月19日号 掲載

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