相模原殺傷事件「娘を下の名前で呼んで欲しい」遺族の申し出を却下した司法の硬直

相模原殺傷事件「娘を下の名前で呼んで欲しい」遺族の申し出を却下した司法の硬直

遺族がコメントとともに公開した、中学1年生の美帆さん(遺族提供)

■相模原殺傷遺族の手記が浮き彫りにした司法の硬直(1/2)


 1月8日に始まった「相模原45人殺傷事件」の公判で、ほとんどの被害者は「甲Aさん」「乙Aさん」といった“記号”に置き換えられた。当初は「下の名前で呼んでほしい」という遺族の申し出まで却下していた裁判所・司法の硬直は末期的である――。

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 養老孟司氏は『遺言。』(新潮新書)の中で、「都会」とは〈意味で満たされた〉場所だとした上で次のように書いている。

〈意味のあるものだけに取り囲まれていると、いつの間にか、意味のないものの存在が許せなくなってくる。その極端な例が神奈川県相模原市で生じた19人殺害事件であろう(2016年7月に障害者施設で引き起こされた)。障害があって動けない人たちの生存に、どういう意味があるのか、そう犯人は問うた〉

 人の名前に関しても同じことが言えるのではないか。

 名前の「意味」は、「個々人を区別するための呼称」と定義できよう。しかし、名前はそれだけによって形作られているものではない。積み重ねられてきた一家の歴史、親が名前に込めた思い、名をつけられた本人の愛着、その名とともに歩んできた足跡……。そこには確かに、その人が生きてきた証が息づいている。しかし「甲、乙、丙」という記号に置き換えられた瞬間、それらは全て消え去ってしまう。

 相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が元職員の植松聖被告(29、以下表記略)によって殺傷された事件の公判が1月8日、横浜地裁で始まった。そこでは、殺害された入所者19人は「甲Aさん」や「甲Bさん」、重軽傷を負った入所者24人のうち23人は「乙Aさん」「乙Bさん」と呼ばれ、検察側はそれぞれが襲われた場所や死因や負傷の程度などを淡々と説明。実名で扱われた被害者は、重傷者の一人で、家族らが実名での審理を希望した尾野一矢さん(46)のみだった。

 公判には間に合わなかったものの、直前のタイミングで匿名での審理への違和感を表明した遺族もいた。殺された19歳の女性の母親が初公判当日に手記を公表し、「美帆」さんという名前を明かしたのである。手記にはこう綴られている。

〈どうして、今、名前を公表したかというと裁判の時に「甲さん」「乙さん」と呼ばれるのは嫌だったからです。話しを聞いた時にとても違和感を感じました。とても「甲さん」「乙さん」と呼ばれることは納得いきませんでした。ちゃんと美帆という名前があるのに。どこにだしても恥ずかしくない自慢の娘でした。家の娘は甲でも乙でもなく美帆です〉

 公判でも「美帆」と呼ばれることを希望したが、「フルネームか匿名しか認められない」と裁判所に拒否されたという。

 15日の第3回公判で、ようやく「甲Aさん」ではなく本名で呼ばれることになった美帆さんは、植松に殺された19人のうち、最初の犠牲者である。

 検察側の冒頭陳述などによると、植松が園に車で到着したのは16年7月26日の午前2時頃。植松は女性が入居する東棟1階「はなホーム」の窓ガラスを割って園に侵入したが、その居室にいて刺されたのが美帆さんだった。その後、植松は、ケガを負わせた女性職員を包丁で脅して連れまわし、「こいつは話せるのか?」などと障害の程度を確かめながら、次々と入所者を殺していった。


■包丁が折れるので…


「あの日何があったのか、私たちは3年半、本当に何も知らされなかった。被害者の家族は皆、公判で初めて事件当時の状況を知ることになったのです」

 そう語るのは、事件で重傷を負った尾野一矢さんの父親の尾野剛志さん(76)。

「園の職員の供述調書によると、彼は最初は胸のあたりを狙って刺していたが、包丁が折れるので、途中から首を狙うようになったようです。また、リビングで、折れた包丁を棚の上に置き、新しい包丁と交換していた、とも。法廷で包丁の現物を見た私の妻はショックを受けていましたが、ご遺族の方にとってはもっと辛かったでしょう」

 尾野さんは被害者参加制度を利用して公判を傍聴した。法廷には、被害者家族に見える角度で小さなモニターが置かれ、園のベッドの配置図が映されていたという。

「それを見れば、どの記号が自分の子供や兄弟を指すのかわかる仕組みになっていました。だから皆、自分の家族を示す記号が読み上げられるたびにすすり泣いていました」(同)

 1月10日に行われた第2回公判では、息子の一矢さんを巡るエピソードが法廷で明かされた。

「一矢が首やお腹を刺された後に園の職員の指示で共用のリビングに移動して携帯電話を取ってきて、両手を結束バンドで手すりに縛り付けられた職員にそれを渡したことが警察への通報につながった、ということが明かされたのです」

 と、尾野さん。

「私は『一矢えらい、頑張ったな。俺なんかよりずっとえらいよ』と思って涙が止まりませんでした。娘も『一矢えらい』と言って号泣していました。あの子は生まれつき痛みの感覚が弱いようなのです。神様がそういうふうに創ってくれたんだ、とそんなふうにさえ思えました」

 初公判の冒頭、植松は、「皆さまに深くおわびします」と述べた後、小指をかみ切るような行動をしてみせ、退廷を命じられた。それについて尾野さんは、

「彼の謝罪の声は小さくて何を言っているのか聞き取れませんでした。そしてその直後に彼が『わあああ』といきなり大きな声を出して手を口に突っ込むのが見えました。謝罪をしつつ、心神耗弱状態にある様子を見せる、というアピール、パフォーマンスだったのでしょう」

(2)へつづく

「週刊新潮」2020年1月23日号 掲載

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