日本が「アジア最大の覚醒剤マーケット」になった三つの特殊事情

 じつは日本は、アジア最大の覚醒剤マーケットであるという。他の国々には例を見ない、特異な薬物情勢となっているその背景には、三つの理由があった。『マトリ 厚労省麻薬取締官』の著者・瀬戸晴海氏が解説する。(以下は「週刊新潮」2020年1月30日号掲載時点の情報です)

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 日本には目下、世界中から膨大な量の覚醒剤が密輸され、かつてない薬物汚染に呑み込まれようとしている。

 正確な資料はないものの、国連などの国際機関による調査結果などをもとに推計される、世界の麻薬の不正取引総額は優に50兆円を超えている。

 薬物市場の規模拡大は世界的な傾向であり、基本的には日本の薬物情勢は、欧米諸国の縮小版と考えてもらえばいい。しかし、日本には、他の国々と比べて大きく異なる点がひとつだけある。

 それは“覚醒剤”が主流ということだ。

 日本における薬物事件の検挙者のうち80%は「覚醒剤事犯」。だが、欧米をはじめとする世界各国では伝統的にヘロインやコカイン、大麻が蔓延しており、覚醒剤が中心を占める国は極めて稀なのだ。ちなみに、ドゥテルテ大統領が麻薬撲滅戦争に乗り出したフィリピンでは、覚醒剤を「シャブ」と呼ぶ。つまり、日本のスラングが他国で流用されるほど、覚醒剤は我が国と結びつきが強いわけである。

 そして、私の危機感を裏づけるのは増大の一途をたどる日本の覚醒剤押収量だ。

 2016年に過去最多の約1・5トンに達した押収量は、以降、昨年まで4年連続で1トンを突破するという未曾有の事態に直面している。

 15年以前の数年間は、大規模摘発のあった年を除くと概ね300〜400キロ台で推移していたため、押収量の「激増」は明らか。

 では、なぜここまで覚醒剤の押収量が増えたのか。

 その背景には三つの理由がある。

■世界中の密売組織が「日本は売れる」


 まず、重要なのは日本における覚醒剤の「価格」だ。

 覚醒剤1グラム当たりの末端密売価格は、現在6万〜7万円。品薄となれば10万円まで跳ね上がる。実は、覚醒剤がこれほど高価で取引される国は、日本をおいて他になく、東南アジア各国の相場と比べると5〜10倍に及ぶ。日本では複数の暴力団組織が暗黙のカルテルを結んで、昭和40年代から「高値安定」の状態が続いているのである。

 次に、「需要」の多さが挙げられる。日本における覚醒剤事件の検挙者は年間1万人程度。しかし、実際の使用者はその20倍にのぼるだろう。50倍と推定する情報分析官もいるほどだ。薬物と無縁な一般の方々は驚かれると思うが、覚醒剤は日本人にとって極めて「身近な存在」なのだ。一流の捜査官は誰もがそう実感している。

 そうしたことから、海外の密売組織がこぞって日本の「市場」を狙うようになった。これが三つ目の理由である。

 率直に言えば、世界中の薬物密売組織は、日本を「アジアおよび太平洋地域最大の覚醒剤マーケット」と考えている。つまり、「日本に覚醒剤を持ち込めば必ず売れる。しかも、どこよりも高値で」という共通認識が出来上がっているのだ。

 密売組織にとって好都合なのは、ヘロインやコカインと違って、覚醒剤は原料となる植物を栽培する手間が省け、化学原料さえ入手できればどこでも製造可能なことだ。それこそ感冒薬(風邪薬)から原料のエフェドリンを抽出して作ることも可能である。

 結果として、台湾や香港、中国などの従来の密売組織だけでなく、最近ではベトナム、メキシコ、西アフリカ(ナイジェリアなど)、イラン、そしてアメリカといった国々の組織が、こぞって日本に覚醒剤を「供給」するようになった。これが押収量の拡大に繋がっていると考えられる。

 加えて、懸念すべきは日本から利益を巻き上げるために、世界中の「プロ」たちが国や組織の垣根を越え、混成チームを組んで密売に及んでいる点だ。

 なかには、日本の暴力団を窓口とせず、独自の密売ルートを確立しようと画策する組織もある。その流れを助長しているのは、やはりネット密売だ。

 未来ある子どもたちを守るためにも、こうした現実から目を背けることなく、国民ひとりひとりが薬物問題について理解を深めてほしいと願ってやまない。

瀬戸晴海(せとはるうみ)
1956年、福岡県生まれ。80年、厚生省麻薬取締官事務所(当時)に採用される。薬物犯罪捜査の第一線で活躍し、九州部長等を歴任。2014年に関東信越厚生局麻薬取締部部長に就任する。18年3月に退官。13年、15年に人事院総裁賞受賞。

2020年2月7日 掲載

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