「有本恵子さん」の母親、嘉代子さん逝去 優しかった「八尾恵」への対応

「有本恵子さん」の母親、嘉代子さん逝去 優しかった「八尾恵」への対応

有本嘉代子さんと夫の明弘さん。18年6月、神戸市長田区の自宅にて(撮影・粟野仁雄)

 有本嘉代子さんが2月3日、心不全のため神戸市の病院で亡くなった。享年94歳。北朝鮮に拉致された三女恵子さん(60)との再会はついに果たせなかった。

 訃報に「言葉も出えへん」と涙顔の夫、明弘さん(91)は職人気質のような一本気な人物である。もどかしい思いからだろう、明弘さんは時に政府への不満などの強い言葉をやや説明不足で吐くことがあり、あらぬ誤解や批判を招くこともあった。

 しっかり者の「姉さん女房」嘉代子さんはかつて筆者の取材中、夫について「この人、何言うかわからへんから、記者会見なんかでテレビに出されるといつも私、はらはらしてるんですよ。だからテレビ局の人には『うちの旦那の生インタビューはやめてくださいね。編集して放送してくださいね』って頼んでるんですよ」と笑って語ってくれたことがある。

 有本恵子さんの拉致事件は、新潟県の海岸で暴力的に船に押し込められて拉致された横田めぐみさんや蓮池薫・祐木子夫妻などとは全く経緯が異なる。欧州を舞台にした、推理小説やサスペンスドラマを思わせる誘拐劇だった。掻(か)い摘む。

 両親や二人の姉たちの反対を押し切って英国へ1年間の予定で留学した恵子さんは1983年6月、留学を終えたが帰国したくなくなり欧州で仕事を得ようと画策する。ロンドンのホームステイ先の英国人夫妻は「ケイコの英語は仕事するには不十分」と怪訝だったという。だが帰国便もキャンセルしてしまう。そんな折、八尾恵という尼崎市出身の女性が接触してきた。1970年に赤軍派が起こした「よど号事件」で北朝鮮に残ったハイジャック犯の妻だった。「市場調査の仕事がある。いろんな外国に行けるよ」と恵子さんに持ち掛けた。同じ関西という親近感も持ったのか恵子さんは信用してしまう。「そんなうまい話があるはずない。その女性に会わせなさい」との英国人夫妻の忠告も聞かなかった。

 恵子さんをコペンハーゲン空港に送った八尾はさっと消える。そして恵子さんの消息は絶えた。

 一方、帰国を待っていた有本夫妻。帰国便を知らせてきたが、8月の予定だった伊丹空港への帰国便に乗っていなかった。まもなく「仕事が見つかる。帰国遅れる。恵子」の電報が届く。10月には日付もない手紙がデンマークから送られてきた。これが最後の音信だった。

 夫婦は懸命に消息を求めたが外務省では「旅券が切れても帰らない若者は多いですよ。向こうで好きな男でもできたのでしょう」と言われ、警察では身体の特徴を詳しく問われた。「海外での死亡者の確認とわかり建物を飛び出しました」と嘉代子さんは振り返った。

 何もわからないまま5年が過ぎた。ところが1988年9月、札幌市の石岡という女性から手紙が届く。「お宅のお嬢さんとうちの息子がピョンヤンで暮らしているらしい」との内容。「え、北朝鮮」。思いもよらなかった。同じく、欧州滞在中に不明になった石岡さんと結婚して同居しているという。石岡さんは北朝鮮の監視下、密かにポーランド人に母への手紙を託したようだ。

 この手紙を元に有本夫婦は必死に娘の消息を訊ね回る。しかし、外務省は「外交関係がないからどうしようもない」とにべもない。政治家も取り合ってくれない。兵庫県が地盤で社会党委員長を務めた故土井たか子氏もその一人だ。「それどころか手紙のことを公表しないことを求めてくる社会党系などの関係者もいました」と嘉代子さん。

 そんな中、朝日放送の石高健次記者、産経新聞の阿部雅美記者らの報道で拉致問題が浮かび上がり、1997年に拉致被害の7家族で「家族会」が結成される。有本夫妻は横田滋・早紀江夫妻らと署名簿をぶら下げ、街頭に立ったが素通りされた。それでも恵子さん事件に関心を持った「週刊文春」は何度も欧州に足を運び、追跡ルポを連載した。

 長い膠着が大きく動いたのが2003年10月。小泉純一郎総理がついに訪朝した。日本中が注目したが結果は残酷だった。飯倉公館で福田康夫官房長官から「恵子さんはお亡くなりになっています」と淡々と伝えられた。明弘さんは「恵子は見せしめに処刑されたに違いない。手紙を棚ざらしにしてなんもせんかったからや」と怒りをぶちまけた。嘉代子さんは青ざめたままだった。当時でも、会見などに出られる拉致被害家族の中では最年長。直後の会見では直前に愛娘めぐみさんの「死亡」を伝えられていた横田早紀江さんに、崩れ落ちそうな体を支えられていた。「手紙が来て拉致がばれた北朝鮮が恵子を処刑したと思いました。どんな思いで殺されたのか」と筆者に嘉代子さんは振り返った。

 しかし、まもなく、北朝鮮が精神病で死んだと遺骨を提供してきた横田めぐみさんについてDNA鑑定から別人の遺骨であることなどが判明。恵子さんについては石岡亨さんとともに石炭ストーブの中毒で死亡し、洪水で遺体が流れたとしていた。

「出鱈目やわ。恵子は絶対生きているはずだ」と確信した嘉代子さん。その後、集会や街頭署名活動を続けてきた。「家族会は一つの家族」と、横田めぐみさん初め、他の拉致被害者もわが子のように思ってきた。まもなく蓮池薫・祐木子夫妻、曽我ひとみさん、地村保志・富貴恵夫妻が帰国し日本中が沸き立った。羨ましい思いで見ていた嘉代子さんは「これなら恵子ももうすぐ帰るはずだ」と信じ続けた。だがその後17年間、進展はなかった。


■「何度も期待を裏切られました」


 時計を戻す。2002年3月、よど号事件関係の公判で証人となった八尾恵は「私が有本恵子さんを北朝鮮に送り込みました」と明言した。この前後、有本夫妻は横浜市で彼女と面会した。大事な娘を騙して北朝鮮に送り込み、取り返しのつかないことになったことを土下座で謝る八尾恵に対して、嘉代子さんは「よう、話してくださいました。立ってください」と抱き起こした。夫は「八尾さんは救世主や」と感謝した。ところがこれがあれこれ批判された。「『あんな女のことをなんということを言うんですか。寛容にもほどがあります』とジャーナリストの櫻井よしこさんから叱責の電話が来たんですよ」と嘉代子さんは筆者に語った。それでも「八尾さんも北朝鮮に子供を置いてきたんです。どんなにつらいのかよくわかりますから」と吐露していた。大正生まれの嘉代子さんはどこまでも温かい女性だった。

 2017年11月に来日したD・トランプ大統領に明弘さんが会い、握手した。大統領は横田めぐみさんの名を出すことはあったが、恵子さんや他の拉致被害者の名を覚えていたのかどうか。それでもその後、北朝鮮に行き、金正恩書記長と肩を寄せ合うトランプ氏に夫婦は「今度こそ」と大きな期待を持った。

 筆者は「有本夫妻が元気なうちにもう一度ゆっくり聞いておかなければ」と2018年6月、ご自宅に久しぶりに足を運びご夫妻を長時間、取材した。嘉代子さんは「何度も何度も期待を裏切られました、もうこの歳ですよ。これが最後です」と訴えていた。

 取材中、「おかしいわ、透さん。なんであんなこと言うんやろ」と話した。意見対立で家族会を離れ、著書などで安倍総理を激しく批判する元事務局長の蓮池透氏に夫婦は疑問を感じていた。特に明弘さんは怒っていた。夫妻は外務大臣だった父晋太郎氏と同様、安倍晋三首相を信用していた。安倍氏が総理にまで出世したのは拉致問題が大きかった。小泉訪朝の頃、官房副長官だった彼は拉致問題で連日、お茶の間に登場し世間の評価を高めた。

 だが安倍首相は総理大臣の在職期間の最長を誇れども、いまだに一度も訪朝しないうちに嘉代子さんは世を去ってしまったのだ。

 嘉代子さんは取材の別れ際、「恵子の留学が終わる直前、一番下の妹がロンドンで会ってきたら帰りしたくをしていた。その後のほんのちょっとの間に八尾さんに会ってしまったんですね」と寂しそうに語った。「運命」と感じていたように感じた。

 嘉代子さんが筆者に語った印象に残る言葉がある。「恵子の場合は、(横田)めぐみちゃんなんかと違って自分の責任もあるのです。軽率に八尾さんについて行って日本の政府や国民に大きな迷惑をかけてるんですから」。だが以前は、そんな彼女に対して「うちの娘も留学しましたがちゃんと帰ってきましたよ。どうせ遊んでるんでしょ」など無神経な電話がかかってきたりしていたという。

 1月12日、異国で還暦を迎えた恵子さんを自宅でケーキにローソクを立てて祝う誕生日にも初めて嘉代子さんの姿はなかった。死の直前まで「恵子に会いたい」と声を振り絞っていたという。合掌。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年2月11日 掲載

関連記事(外部サイト)