黒川前検事長の賭け麻雀問題で浮き彫りにされる“事件報道の危うさ”

黒川前検事長の賭け麻雀問題で浮き彫りにされる“事件報道の危うさ”

検察庁

 東京高検の黒川弘務検事長(63)が、産経新聞社会部次長と同記者、さらに元検察担当記者の朝日新聞経営企画室社員の3人と、緊急事態宣言下の2020年5月1日、同13日に賭け麻雀をしていた問題は、新聞の事件報道の危うさを浮き彫りにした。検察と新聞の間に緊張感がなくなると、被告にとって不利な報道ばかりになりかねない。両者がタッグを組んだら、白いものでも黒にできてしまう。

「事件が起こると、新聞は警察と検察の情報に基づいて記事を書きます。裁判を始めてみると、新聞に書いてあることと事実が違うことが少なくありません」(元東京高裁総括判事の木谷明弁護士)

 欧米先進国の事件報道と日本の新聞のそれは基本的に違う。欧米先進国の事件報道は事実を追求しようとするが、日本の新聞の場合、基本的には検察や警察から得た情報をいち早く書くことが正しいとされている。検察と警察が間違っていたら、お終いであり、古くから冤罪の温床になっている。

「後にオウム真理教の犯行と分かった1994年の松本サリン事件の場合、当初は無実の人に疑いの目が向けられました。一市民がサリンなんて作れるはずがないのに、警察情報に基づき、マスコミが一斉にその人を犯人扱いしたためでした」(木谷明弁護士)

 検察や警察から得た情報をいち早く書くことが正しいとされているため、記者たちは検察関係者に食い込もうとする。「検察の捜査は間違っている」などと書く記者はまずいない。

 裁判官が厳正中立な立場で公正な判決を下してくれればいいのだが……。
「新聞が犯人扱いし、日本中が有罪だと思い込むと、その被告に無罪を言い渡せなくなる裁判官も中にはいます」(木谷明弁護士)

 逆に言うと、検察側は新聞を利用すれば、キ合のいいストーリーを世に流布できる。

 2010年、英フィナンシャル・タイムズは「日本の検察は、リークしてメディアを利用している」と批判した。米ニューヨーク・タイムズも同時期、「日本の検察とメディアはいわば相互依存性」と指弾した。

 それから10年。残念ながら海外有力2紙の報道の正当性が認められてしまった。朝日新聞の報道によると、黒川氏と産経2人、朝日1人の計4人は、この4年間に月2、3回程度の頻度で麻雀卓を囲み、集まった時に翌月の日程も決めていたという。

 これほど親密に付き合い、頻繁に会いながら、仕事の話は一切していないと言うのは無理がある。産経という会社が黒川氏の帰宅のためにハイヤーを用意したのも仕事の一環と考えたからに違いない。万一、仕事抜きで黒川氏と記者が麻雀を繰り返し、ハイヤーを使っていたら、そのほうが問題だろう。また、記者側が黒川氏や検察の批判をしていたら、この関係は維持できないはずだ。

 1997年の東電OL殺人事件の場合、新聞は被告となったネパール人男性が「黒」だと印象付けるような記事を書き連ねた。

 男性の初公判の記事を振り返る(朝日新聞1997年10月14日付夕刊)。
「東京都渋谷区のアパートで今年3月、東京電力の女性社員(当時39)を殺して所持金を奪ったとして、強盗殺人の罪に問われたネパール国籍の■■被告(30、記事では実名)に対する初公判が14日、東京地裁(大渕敏和裁判長)で開かれた。罪状認否で■■被告は、『私はいかなる女性も殺していないし、お金も取っていない』と起訴事実を否認し、無罪を主張した。

 検察側は冒頭陳述で、■■被告が事件当日、昨年12月に知り合った被害者の女性と偶然に出会い、現場のアパートで性的関係をもった後に現金を奪おうとして抵抗され、殺害に至ったと述べた。さらに、事件当時は、被告が一つしかない現場の部屋のかぎを持っていたが、同居人らにかぎを持っていないように口裏合わせをさせて証拠隠滅したことを明らかにした」。

 注目の事件だったにもかかわらず、逮捕から初公判まで、朝日の記者が自分で事件を検証した下りは見当たらない。記事の大半を、検察と警察の情報に基づいて書いているように見える。

 当時は東京高裁判事だった木谷弁護士はこう振り返る。
「勤務先から犯行現場まで行くのは時間的に難しかった。ぎりぎりでした。その上、ネパール人男性の定期券が、彼の土地勘のない巣鴨で発見されていましたが、その理由が最後まで解明できませんでした」(木谷弁護士)

 不自然な逮捕・起訴だったのだ。記者が自分で検証していたら、記事は違った内容になったのではないか。

 結局、この裁判は一審無罪に。控訴審は木谷弁護士とは違う裁判官によって有罪(無期懲役)、最高裁は上告を棄却した。一審無罪後に東京地裁(大渕敏和裁判長)と東京高裁(木谷明裁判長)は男性を引き続き拘置することを認めなかったものの、東京高裁の別の判事(高木俊夫裁判長)が職権で拘置することを決めてしまい、法曹界で物議を醸した。

 だが、のちに遺体から検出された体液と男性のDNAを比較したところ、不一致という結果が出る。横浜刑務所に収監されていた男性の再審請求を東京高裁が認め、再審開始が決定。2012年、男性は無罪が確定した。

 再審無罪確定後、朝日新聞はこう書いている。「捜査段階から弁護を務めた神山啓史弁護士は会見で力を込めた。『捜査機関には犯人との思い込みがあった。まだ意識は変わっておらず、今後も冤罪が起きる危険性はある』」(2012年10月30日朝刊)

 その思い込みを、夜討ち朝駆けや麻雀の場で得て、記事化しているのが新聞なのではないか?

「新聞は、容疑者や被告を真っ黒のように書きますが、無罪になると一転、『警察や検察は何をしている』と書き立てます。変わり身が早い」(木谷弁護士)

 新聞や通信社と共に記者クラブに入っているテレビも体質はほぼ一緒だが、過去には日本テレビが警察と検察の捜査を根底から覆す、超弩級のスクープを放っている。

 「足利事件」(1990年)で無期懲役が確定し、服役していた男性の、DNA鑑定の問題点を繰り返し指摘し、再審の原動力になった(2010年無罪確定)。これは欧米先進国型の報道のお手本だった。検察と警察に頼っていたら、できない。


■記者クラブを見直すべき


 では、まず何をあらためるべきかというと、社会部記者の中ではエリートとされる、司法記者のクラブ制度ではないか。

「司法記者クラブでは、検察にとってキ合の悪いことを書いた記者には、情報が取れない仕組みになっていると聞きました。司法記者クラブという制度はなくせないものでしょうか」(木谷弁護士)

 どの記者クラブも相似形であるものの、クラブという仕組みはまず取材対象にとって好都合。加盟する新聞・通信・テレビの報道をある程度、操れるので、世論が作りやすいからだ。

 逆らう記者がいたら、特落ち(その社にだけ情報を流さない)などの手で痛めつけられる。それを笑顔で許すデスクはまずいない。繰り返す記者は、ほぼ間違いなく異動を余儀なくされる。結果、取材対象は目障りな記者を難なく排除できるわけだ。

 記者側にとってもクラブは便利。雑誌などクラブに加盟しないメディアは取材対象から資料をもらうのすら一苦労だが、クラブに加盟していれば資料の手配はもちろん、取材のコーディネートまでしてもらえる。省庁内などに快適なクラブ室も用意してくれる。賃料が発生するものの、ほんの形ばかりだ。前述のニューヨーク・タイムズの記事のとおり、「相互依存性」ではあるまいか。

 2017年、ジャーナリストの伊藤詩織氏(31)にレイプ被害を与えたとして、TBS出身のジャーナリスト・山口敬之氏(54)に準強姦容疑の逮捕状が出ながら、当時の警視庁刑事部長・中村格氏=現警察庁次長=が執行取り消しを指示していた問題が発覚した際、当初はどの新聞も報じなかった。やはり検察と警察の嫌がる記事は書きにくいのか? 伊藤氏の件は海外メディアのほうが早く反応した。

 安倍晋三首相(65)を始め、政治家ベッタリの記者もいるのは御存じのとおり。厚労省など各省庁と昵懇で、まるで応援団のような存在の記者もいる。

 新型コロナ禍に見舞われ、日本のさまざまなウイークポイントが浮き彫りになっている。これを奇貨とし、海外に類を見ない記者クラブ制度も見直すべきではないか?

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
ライター、エディター。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月24日 掲載

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