娘を政治利用するのは当然! 平安文学に描かれた「毒親」たち

 子供の人生を奪い、ダメにする「毒親」。近年、盛んに使われだした言葉だが、もちろん急に親が「毒化」したわけではない。古代から日本史をたどっていくと、実はあっちもこっちも「毒親」だらけ――『女系図でみる日本争乱史』で、日本の主な争乱がみ〜んな身内の争いだったと喝破した大塚ひかり氏による連載第7回。スケールのでっかい「毒親」と、それに負けない「毒子」も登場。日本史の見方が一変する?!


■「白雪姫」の継母は初版では実母だった


「継母」って、洋の東西を問わず、悪役をあてがわれることが多いです。

「白雪姫」の継母は自分より美しい白雪姫に嫉妬して、森の中で狩人に殺させようとしたあげく、おばあさんに化けて毒リンゴを食べさせたものです。

 が、実は、『グリム童話集』の初版では、白雪姫の美しさを妬み、殺そうとするのは継母ではなく、実の母だったこと、ご存知ですか? それが、「第二版以降は、白雪姫の母は白雪姫を産むと死に、白雪姫を殺そうとするのは継母になっている」(※1)。

 もともと『グリム童話集』は、採集したドイツの昔話に、グリム兄弟が手を加えて書き替えたものなのですが、「内容が十分に子ども向きでない」などの批判から、第二版以降では「残酷な場面や性的な事柄が削られ」ました(※2)。つまり白雪姫を殺そうとするのが実母というのは残酷すぎるということで、継母に変えられてしまったのです。

 逆に言うと、継母なら継子いじめは当たり前、継子の美貌に嫉妬して殺そうとするのだって有りだよね、と、当時の人は考えていたわけです。

 このように、継母と言えば「継子いじめ」をするものだという観念は、しかし、太古の昔からあるものではありません。子どもが母のもとで生まれ育つのが普通だった母系社会的な古代では、母が死んでも、母方祖父母や母の姉妹(オバ)に育てられるのが普通です。一夫多妻の婿取り婚が基本の平安貴族社会でも、母を亡くした子は、『源氏物語』の夕霧のように、母方の実家で育てられていたために、継母という存在はいても、生活を共にするということはありませんでした。

 それでも、夕霧が12歳になると父の源氏のもとに引き取られ、そこで花散里といった継母に養育され、また紫の上という美しい継母の姿を垣間見て憧れたように、平安時代でも、継母と暮らしを共にするということは、ないわけではない。

 母方の力が弱い場合、母が死ねば、父の同居する正妻の家に引き取られ、継母や腹違いのきょうだいと同居する羽目にもなる。

 そんな家庭を舞台にしているのが、平安中期の『落窪物語』です。


■母の期待に応えられずに泣く『落窪物語』の実子


『落窪物語』の継母(北の方)は、王朝物語の親の中でもかなり毒々しい。

 夫が時々通っていた亡き皇族女性の娘を、家の落ち窪んだ一間に住まわせたあげく、“落窪の君”と使用人にも呼ばせ、家族がレジャーに出かけるあいだにも、実の娘たちの婿の服を縫わせるなどの家事労働をさせる。しかも縫い物を婿が褒めていると伝え聞くと、

「落窪には聞かせるな。つけあがるから。こういう奴は卑屈にさせておくのがいい」(“落窪の君に聞かすな。心おごりせむものぞ。かやうの者は、屈せさせてあるぞよき”)

 と女房に命じ、寒い中、ろくに服も着させない。あげく、落窪のもとにイケメン貴公子がこっそり通っていると知ると、夫(落窪にとっては実父)に、六位といっても蔵人ですらない、20歳そこそこの、身長はたった一寸の男を通わせている、と嘘をつく。父も父で、

「そんな娘はこの北の部屋に閉じ込めておけ。ものも食わせるな。責め殺してしまえ」(“この北の部屋に籠めてよ。物なくれそ。しをり殺してよ”)

 とまで言う。ひどいです。実の父なのに。そんな夫のことばに、継母も“いとうれし”と思うのだから救いようがない。そして落窪の君を臭い納戸に閉じ込め、60の貧乏医者である叔父に犯させようとする……北の方のしたことは、今なら犯罪以外の何ものでもありません。

 幸い、姫の母の在世中から仕えている忠実な侍女と、その夫の働きで貴公子に救い出され、貴公子による北の方への仕返しが終わったあとは、大貴族の御曹司の妻として数多の子女を生んだ落窪の君は親や異母妹たちにも便宜を図るという、めでたしめでたしの結果になるのですが。

 注目すべきは、北の方の実子である三女と四女の感慨なのです。

 出世した落窪の君に饗応を受けて帰宅した父(←実の娘を「責め殺せ」と言った父ですよ)が、落窪の君の今の暮らしがいかに素晴らしいか酔って話すのを、寝ながら聞いていた二人はこんなふうに語り合って涙ぐみます。

「父上や母上のお気持ちを思うと恥ずかしいわ。いっそ尼にでもなってしまいたい」(“父母の思さむこと、恥づかしくもあるかな。なぞや。尼にやなりなまし”)

「ほんとに親がどう思うかが恥ずかしい。私たちの宿運がこんなに情けないものとも知らず、母上が落窪の君と分け隔てして大事にしてくれたのに、世間の人もどんなに思い合わせることか」(“そが恥づかしきこと。かく憂き宿世も知りたまはで、上の懸隔に思しかしづきしを、いかに人思ひあはせむ”)

 北の方の実子たちは、母が自分たちに期待をかけて大事にしてくれていた分、それを裏切る形になった現状に、親や世間に顔向けできぬ、と恥じているのです。

 子に罪悪感を覚えさせるのは毒親の大きな特徴ですが、そもそも母から娘へ家土地が伝領され、子は母方で育つのが基本の平安時代、息子より娘が大事にされる傾向にありました。まして天皇家に娘を入内させ、生まれた皇子の後見役として繁栄する中・上流貴族であれば、

「美しい娘は親の名誉をあげるもの」

「男の子は残念で、女の子は大切なもの」

 と言われ、親は娘に期待をかけていた。

 それだけに、その重圧は時に娘を苦しめたことが、実子たちの会話からはうかがえます。

 つまり『落窪物語』の北の方は、継子の落窪の君にとってはもちろん、実の娘たちにとっても毒親だった。

 その毒親ぶりを最も浮き彫りにしているのは、実の娘である四女が妊娠した時、北の方がつぶやいたセリフです。

「なんとか子を生ませたいと思っている少将の子はできなくて、このバカ者のタネが広がること」(“いかで子生ませむと思ふ、少将の君の子は出〈い〉で来〈こ〉で、この痴者のひろごること”)

 落窪の君の夫となった貴公子は、妻をひどい目にあわせた北の方への仕返しの一つとして、北の方の可愛がる四女と結婚するふりをして、馬面で色が異様に白く、知能も低いため、“面白の駒”とバカにされていた親族をあてがっていました。北の方側がそうと分かった時にはすでに手遅れで、四女は“面白の駒”の子を妊娠していたのです。“少将”というのは三女の婿で、彼はのちに面白の駒と相婿でいることに嫌気が差して、三女と離婚してしまいます。妻方に通い婚するのが基本の当時、相婿は兄弟よりも絆が深い場合もありますから、少将としては堪えられなかったのです。

 こんなことがあって、姉妹は「出家したい」と泣いていたわけですが、可哀想なのは望まぬ妊娠をした上、こんなエグい母の愚痴を聞かされた四女です。彼女は、

「なんとかして死にたい」(“いかで死なむ”)

 とまで思いつめている。そりゃあそうですよ。「バカ者のタネが広がる」という、そのバカ者=面白の駒のタネを腹に宿しているのは自分なんですから。傷ついた四女を慰めるどころか、こんなふうに罵倒する北の方は実子にとっても紛れもなく毒親です。

 考えてみれば、継子とはいえ、これだけエグいいじめをするような人間が、実の娘にだけ良き親であるわけがないんです。いじめも猫可愛がりも「支配欲」の現れです。そんなふうに育てられた実の子が自立心に欠けてしまうのもまた道理で、のちに四女は、落窪の君の夫によって良い男をあてがわれてフォローされるものの、妻らしいことは何もできず、落窪の君の助けを借りるという落ちもついています。

■幼女を軟禁して教育虐待する『うつほ物語』の父


『落窪物語』の救いは、以前から母(落窪の君にとっては継母)に批判的だった末息子が、いつまで経っても反省の色を見せない母(北の方)を、

「なんでこんなに悪い親を持ってしまったのか」

 と認識し諫めている点です。それは母のせいで世間が狭くなる、貴族社会で生きにくくなるという実利的な理由からではあるのですが、悪い親を悪い親と非難する意識があったのは、平安時代の健全さでしょう。

 だとしても、娘を天皇家に入内させ、つまりは娘の性を使って一族が繁栄していたという仕組みは、親が娘に過大な期待をかけることにもなって、平安貴族文学を読んでいると、この時代ほど現代的な意味での毒親が大量発生した時期もないのでは? という思いになります。

 それが如実に分かるのが、零落貴族の娘が立身出世する『うつほ物語』(10世紀後半)です〈系図〉。

 ここに出てくる大貴族は妻が妊娠すると「娘が生まれるかもしれない」と期待して、娘が生まれると「美しく性格もよくなるように」と産湯の使い方一つにも気を遣う。息子が生まれると顔も見ないのに、娘のためにはあらかじめ蔵を用意する親も出てきます。

 そんなふうに期待をかけられても果たせぬ娘もいるし、一族の期待を負って天皇家に入内しても愛されない娘もいる。愛されたとしても満たされぬ思いをしている例もあることを、『うつほ物語』は描き出します。

 それが絶世の美女“あて宮”で、かぐや姫よろしく求婚者が殺到し、彼女に焦がれる実兄が死ぬといった騒ぎの中、天皇家に入内した彼女は立て続けに皇子を出産。揺るぎない地位を得ながら、親族を含む他の妃たちの嫉妬に苦しみ、後悔で“常に思ひ嘆く”(「蔵開 上」巻)のです。

 そして、かつての求婚者の中で一番イケメンだった仲忠と姪の女一の宮が結婚し、女一の宮が幸せそうにしているのを耳にすると、嫉妬のあまり不機嫌となるので、天皇である夫も腫れ物に触るように気遣う有様(「楼の上 上」巻)。

 あて宮は参内した父をこうなじってもいます。

「こうも世間から隔たった世界に据えられて、煩わしいことばかり耳にして、聞きたいような素晴らしいことは、私以外は皆、お聞きになるのに私は聞けない。悩みがなく、思い通りのことを見聞きしてこそ理想でしょうに」

 また、こう言って泣いたりもします。

「つらすぎる。私のことを好きだった人と結婚すべきだったのに」

 あて宮がこんなに不満たらたらなのは、その父によれば、

「本人が物凄く嫌がったのに、朝廷も親も躍起になって無理強いしたから」

 あて宮は権勢欲の強い女としても描かれてはいますが、一方では、天皇家に入内したことを常に悔やみ、父のせいでこうなったという認識を持っており、父にもそれが分かっていたのです。

 そんな、あて宮が羨む登場人物の一人が天皇の娘である、女一の宮なのですが、その女一の宮にしても、夫によって数えで6歳(満5歳。今でいうなら幼稚園児です)の娘と引き離されるという憂き目にあっている。

 夫・仲忠は自分の母親と共に、娘を楼上に軟禁し、秘伝の琴の奏法を伝授しようと目論んだのです。それもこれも零落した家の再興という目的のため。もともと乳児時代の娘には無関心で“憎み汚がる”(「国譲 下」巻)という毒母だった女一の宮ながら、離ればなれになると娘が恋しくてならない。

 今でも、姑や母親と教育方針が違ってイラつくことってありますよね? 女一の宮のやられているのは、それのひどいバージョン。しかも夫は姑と結託している。まぁ彼女に教育方針のようなものはとくにないんですが、可哀想なのはスパルタ教育のため母と引き離された幼い娘です。

 楼上から景色を見ながら母を恋しがる娘に、父の仲忠は、

「この琴をよくお稽古したら、ママはすぐにいらして一緒にご覧になるとおっしゃってたよ」

 などと適当なことを言って娘を励まします。けれど、季節が巡り、木々が色づくようになっても母とは会えず、

「パパは恋しくても我慢なさいとおっしゃったけど、ママはもう私を忘れたんじゃないかしら。ママのお手紙が欲しい!」

 と泣きだします。すると仲忠は、

「泣かないの。お手紙はあるよ。そこには、よくお稽古してますか? もうすぐそちらへ行って拝見しましょう、と書いてあるよ」

 とこれまたその場限りの嘘で慰めながら、一方では不憫にも思い、面白い絵を見せたりするのですが、幼い娘は母に会いたい一心でひたすら稽古に励むのですから、いじらしいことこの上ありません。

■いちばん怖いのは実の親


 こうして見ると、継母よりも怖いのは実の親という気がしませんか?

 現代でも、厚労省のHPに掲載されている平成29年度のデータによると、「主たる虐待者」の最多は実母です(46.9%)。次いで実父(40.7%)、実父以外の父(6.1%)、実母以外の母つまり継母は0.6%で、数値の上では最も割合が低い。実父の割合が年々増加しているのは、父が子育てに関与することが増えているからでしょう。いずれにしても継母の割合は全年度を通じて一貫して低いのです(※3)。

 血のつながらない子を実の子同然に愛せないのは無理もないところもあるでしょう。だからといって虐待をしてしまう親というのは、実の子に対しても支配的な子育てをするはずです。逆に実の子に支配的な親は継子に対しても毒親になるのです。

『うつほ物語』は、こうした実父母たちの権勢欲や名誉欲のせいで苦しむ娘たちを描いたという点で貴重な物語です。

 けれど一族が繁栄してめでたしめでたしというお伽話のパターンから外れることはありません。

 毒親育ちの「リアル」が物語で展開するのは、『源氏物語』を待たねばならないのです。

※1『初版グリム童話集』2 吉原高志・吉原素子訳(白水社)
※2『初版グリム童話集』1 訳者まえがき(白水社)
※3 https://www.mhlw.go.jp/content/11920000/000394627.pdf

大塚ひかり(オオツカ・ヒカリ)
1961(昭和36)年生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒。個人全訳『源氏物語』、『ブス論』『本当はひどかった昔の日本』『本当はエロかった昔の日本』『女系図でみる驚きの日本史』『エロスでよみとく万葉集 えろまん』『女系図でみる日本争乱史』など著書多数。

2020年7月3日 掲載

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