消えた「9月入学」論争 グローバリズムに振り回される賛成派の浅はかさ

消えた「9月入学」論争 グローバリズムに振り回される賛成派の浅はかさ

「4月に新しい生活をスタートさせる」ということは、日本人のひとつの共通感覚(写真はイメージ)

 コロナ禍で急に盛り上がり、一気に萎んだのが「9月入学」の議論である。あの騒ぎは一体何だったのか。背景に透けて見える、浅はかな企み。

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「ショック・ドクトリン」という言葉がある。戦争や災害といった混乱状態のドサクサに紛れて、新自由主義的な“改革”を推し進めようとする手法だが、

「今回の『9月入学』を勧める声は、まさにその典型だったと思います」

 と評するのは、九州大学大学院の施光恒(せてるひさ)教授である。

「これは、もともとカナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが同名の書籍で示したもの。『賛成派』もコロナ禍に乗じてちゃっかりと進めようと思ったのでしょうが、逆に人々も外出自粛などで考える時間があった。冷静な判断が下された、と思います」

 ごり押しされそうになっていた「9月入学」の声が止まったのは、現場からの反対意見が相次いだことが大きい。実際、コロナ禍で混乱の渦中にある教育現場に今、更なる課題を持ち込めば、より疲弊するのは目に見えている。

「大規模な変革をする際には、現場やさまざまな団体の声に真摯に耳を傾け、慎重に意見を集約しなければならない。『国家百年の計』と言われる教育についてなら尚更ですが、コロナ禍でそんなことはできるはずがない。政府は、これも短慮で失敗した昨年の英語入試改革の教訓を、何も生かしていなかった気がしますね」


■世界の流れは…


 そもそも、「9月入学」とは誰が望んでいるのか。

「財界でしょう。彼らが叫ぶ論理は『グローバル化』です。“世界に合わせた方が効率的だ”と。しかし現在のグローバル化の実態とは、各国それぞれの違いを無視し、制度やルール、言語、文化まで画一化しようとしているだけの『多国籍企業中心主義化』に他なりません」

 そして、そもそも今回のコロナ禍で問われたことは、その「グローバリズム」そのものの是非ではなかったのか、と言う。

「グローバル化に伴う人や物の移動がパンデミックを誘発して被害を拡大させ、イタリアなど合理主義を追求して人員削減を行っていた国の病院で『医療崩壊』が起こった。むしろ今の世界の流れは“過度なグローバル化や合理主義は見直すべきではないか”というもの。『9月入学』賛成派は、グローバル化を謳いながらグローバルの流れをちっともわかっていない。あまりにみっともなく、情けないことだと思います」

 そもそも、経済的利益がすべてに優先されるべきだという考えそのものが、一つのドグマである。

「導入された明治時代から100年が経ち、『4月に新しい生活をスタートさせる』ということは、もはや世代を超えた日本人のひとつの共通感覚、言わば、土地に根差した風土ともなっている。経済的な効率だけを理由に一刀両断に切り捨てるべきものではありません」

 続けて言う。

「“そんな情緒的で感情的なものに意味があるのか”という反論もありますが、今回、日本でコロナの感染爆発を防ぐことができたのはなぜか。中国のようにプライバシーを無視し、国民をデジタルで監視・統制することもせず、罰則を設けて行動を制限することもできない国がコロナに対応できたのは、国民の世代を超えた、自発的でゆるやかな“まとまり”があったゆえではないのでしょうか」

 金がすべてに優先される、というのは浅慮の最たるもの。「9月入学」にそれ以外の依るべき価値観がないとしたら、そんな教育制度で学ぶ生徒こそ不幸である。

「週刊新潮」2020年7月9日号 掲載

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