コロナ禍をきっかけに日本人の死生観が復活 ヴァ―ジニア大学の興味深い研究とは

コロナ禍をきっかけに日本人の死生観が復活か 「死」テーマの書籍の出版も相次ぐ

記事まとめ

  • コロナ禍の影響もあり、「死」をテーマにした書籍の出版が相次いでいるという
  • 最期のお別れを果たすことができない新型コロナウイルスは日本人に深刻なダメージとも
  • また、日本では戦後に死生観について論じること自体を回避する傾向が顕著となったそう

コロナ禍をきっかけに日本人の死生観が復活 ヴァ―ジニア大学の興味深い研究とは

コロナ禍をきっかけに日本人の死生観が復活 ヴァ―ジニア大学の興味深い研究とは

「死は怖い、忌むべきもの」という認識のままではいかなくなってきている(※写真はイメージ)

「現代社会って、死が隠蔽されがちじゃないですか。過去の実績で、これぐらいまでは生きられるというフィルターで死を覆って生きている。でもコロナで、そのフィルターを引きはがされてしまった。そりゃ、オロオロしますよ」

 このように語るのは、探検家兼作家の角幡唯介氏である(7月19日付産経新聞)。

 先進国では戦後、科学技術の進歩により平均寿命が大幅に延び、「死を社会から排除し、快適な生活を目指していこう」とする傾向が強まったが、新型コロナウイルスのパンデミックはこの安易な思い込みに大きな一撃を加えた。

 新型コロナウイルスで亡くなることは、遺される家族にとってもつらい現実が待っている。感染防止の観点から最期のお別れを果たすことができないからだ。最期の瞬間に間に合わなかったことを悔やむ、いわゆる「臨終コンプレックス」を抱えがちな日本人にとっては特に深刻なダメージとなる。

 臨終コンプレックスが生じた背景には、死生観が空白になったことが関係している。

 戦争中に極端な精神主義を強いられた反動で、戦後は死生観について論じること自体を回避する傾向が顕著となったからだ。「死」とは要するに「無」であり、あれこれ考えても意味のないことだと認識するようになった日本人にとって、愛する家族の最期に立ち合うことがせめてもの慰みであり、これを逃すことは痛恨の極み以外の何物でもない。

 心理学では、人は不快な状態を避けるために認知のあり方を変えるとする理論(認知的不協和)があるが、最期の機会を奪われた家族は「『死』は無ではない。死んでもなにかが残る」と「死」についての認識を改めるきっかけになるのかもしれない。

 コロナ禍の影響もあって、「死」をテーマにした書籍の出版が相次いでいる。

 石原慎太郎氏は、曾野綾子氏との対談本『死という最後の未来』(幻冬舎)の中で、「人間80歳を超すと誰でも紛れもなく迫ってくる『死』について予感したり考えたりします。我々にとって最後の『未知』、最後の『未来』である『死』について考えぬ訳にはいきません」と現在の心境を語っている。現在の日本は多死社会に突入しようとしており、「死」の存在感はこれまで以上に大きくなるだろう。

 石原氏が「死は誰にとっても不可避の事柄だが、それに背を向けたり、ことさら目を逸らしたりすることは逆に残された人生を惨めに押し込めることになりかねない」と語っているように、「死は怖い、忌むべきもの」という認識のままではいかなくなってきている。

 翻って我が身を振り返ると、今年7月に還暦を迎えたが、忙しさにかまけて、いわゆるスピリチュアルな事柄について深く考えてこなかったことを痛感している。

 シニア世代の仲間入りをした今、「死んですべてが消えてしまう」と考えると、これからの人生がむなしくなる。人間というのは、未来に対する希望がなければ、投げやりな考えに陥りやすい弱い動物である。

 世間の常識では、「死」について誰もその実態を知らないとされているが、はたしてそうだろうか。

「人は死んだらどうなるのだろうか」という難問中の難問に、現在の科学が答えを導き出そうとしているという興味深い事実がある。日本ではほとんど知られていないが、米国ヴァージニア大学では約60年間にわたって、「生まれ変わり」という現象の謎の解明に努めている。「生まれ変わり」とは、「『自分の本当のお母さんは隣村にいる○○で、自分は10歳の時に川で溺れて死んだ』と語る幼い子供の話を不思議に思い調べてみると、その子が語った内容と一致する人物が見つかる」といった現象のことである。ヴァージニア大学には世界各地から2600を超える「生まれ変わり」の事例が集まっている。

 ヴァージニア大学ではさらに「なぜ『生まれ変わり』という現象が起きるのか」についての探究もなされているが、筆者は「生まれ変わり」の主体を「情報」として捉えれば、量子物理学の知見でこの現象が説明できるのではないかと考え始めている。

 また日本人の死生観のベースには「生まれ変わり」の信念があったこともわかっている。考古学者の大島直行氏が、最新の認知科学の知見を元に縄文時代の土偶や土器を分析したところ、「生まれ変わり」の信念が日本列島全体に広がっており、「死」の概念は希薄だったことが判明した。その後日本に様々な外来思想が流入したが、日本人のDNAには「生まれ変わり」の信念が脈々と流れている。

 高齢者を中心に「長くて緩慢な死」が大多数を占める多死社会が到来しつつある日本の医療現場では、少しずつではあるが「生まれ変わり」の信念がココロの薬となりつつある。

 AIやビッグデータばかりが取り沙汰される昨今の経済分野だが、多死社会の到来で「ターミナル・ケア」の重要性が高まることは必然である。日本では残念ながら宗教家ですら死生観が語れないという現状だが、今後「生まれ変わり」の信念を1人1人が実感できる環境を提供する活動に注目が集まるのではないだろうか。

 以上のような問題意識から、筆者は『人は生まれ変わる 縄文の心でアフター・コロナを生きる』(ベストブック)を上梓した次第である。

 米国ワシントン大学保健指標・保険評価研究所が7月14日に発表した2100年の世界人口予測によれば、世界の高齢者人口は現在の1億4000万人から8億6600万人へと急増する。「21世紀は高齢化の世紀」と言われるゆえんだが、世界に冠たる超高齢社会日本は、「誰もが安心して死んでいける社会」を世界に先駆けて構築する義務があるのではないだろうか。

藤和彦
経済産業研究所上席研究員。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)、2016年より現職。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月28日 掲載

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