訪問看護師たちは尊敬できるプロばかりだった――在宅で妻を介護するということ(第6回)

訪問看護師たちは尊敬できるプロばかりだった――在宅で妻を介護するということ(第6回)

看護師=女性、訪問看護となればなおさら女性と思い込んでいた私は、想定外の出来事にドアノブを握ったまま一瞬固まってしまった

 在宅で介護というと、ただでさえ散らかっている部屋がさらに混沌とするのでは――そんな怖れを抱く人もいることだろう。しかし、実際に在宅で妻の介護をしているライター、平尾俊郎氏は意外にも「むしろわが家が明るくなった」と語る。その状況を支えてくれたのはプロの看護師さんたちだった。68歳夫による62歳妻の在宅介護レポート、今回のテーマは看護師さんである。

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【当時のわが家の状況】

 夫婦2人、賃貸マンションに暮らす。夫68歳、妻62歳(要介護5)。千葉県千葉市在住。子どもなし。夫は売れないフリーライターで、終日家にいることが多い。利用中の介護サービス/訪問診療(月1回)、訪問看護(週2回)、訪問リハビリ(週2回)、訪問入浴(週1回)。在宅介護を始めて1年半になる。(以下の手記はあくまでも筆者の個人的な体験であり、すべての人にお勧めするものではありません)


■問題があるとすれば駐車場くらい


 2018年12月18日、私たち夫婦の在宅介護生活が静かに始まった。“静かに”というのは、誰にも知らせず、周囲の人からもほとんど気づかれることなく、という意味である。

 もともと人づきあいが得意な方ではないので、マンションの住人に親しい人はいない。5年も暮らしていても、両隣とは廊下ですれ違うときに軽く会釈する程度だ。女房の具合がおかしいことには気づいてはいるだろうが、「最近、奥さん見ませんね」などと聞く人はいない。冷たいと嘆く人もいるだろうが、私にはこの都会の無関心さがありがたい。

 いろいろと面倒なので、親族にもこのことは事後報告ですませた。年の瀬でみんな忙しい。年が明けて、新年の挨拶とともに経過を報告すればいいと思えた。

 病気の女房を家で看ることになった──これは完全に私事である。もとより、他人に報せねばならぬ話ではない。幸いなことに彼女は、大声を出すわけでもないし、寝たきりなので火の元や、徘徊してご近所に迷惑をかける心配もない。

 マンションの住人に多少なりとも迷惑をかけるとすれば、クルマが3台しか停められないフリーの駐車スペースを介護スタッフが使うことくらい。しかし、スズキのアルトでやってくる彼らは基本的に場所をとらないし、時間も最長で45分。管理人さんに出してもらった許可証をフロントガラスに提示しておくことで、いまだ苦情の類を耳にしたことはない。

「訪問看護」は毎週火曜・金曜の午後、「訪問入浴」は日曜の午後、「訪問診療」は月1回第4木曜の午後というケアプランが組まれ、いよいよ介護スタッフが入れ代わり立ち代わりわが家を訪れるようになった。

 静かに、ひっそりとスタートさせたはずの在宅介護だが、実際はちょっと違った。なにせ、家にこんなに人を招き入れるのは初めての体験である。今日は何時に看護師が来る、明日の3時はお風呂だなどというアポがつねに頭の中にあり、やがてこれらがささやかなイベントとなって日々の生活がまわり始めた。取材のアポだけでほとんど余白だったカレンダーが、介護のアポを書き込むとにわかに存在感を増した。社会との関りが一気に濃くなったような気がした。


■「在宅」は家を明るくする


 病人を抱えた生活を始めると家の中が暗くなると思っていたが、現実は全く逆だった。

 むしろ明るくなった、活気づいた、生活にメリハリができたというのが私の偽らざる感想だ。

 私は、あまり人の目を気にしない性分だが、人が来るとなると部屋を散らかしっぱなしではまずい。特に病人が使うタオルやシーツなどは、つねに洗濯して清潔なものを用意せねば介護者失格である。洗濯は毎日の日課になった。

 スタッフが来れば応対するのは私しかいない。今でこそ女房とほぼ普通に(寝たきりの状態に変わりないが)話ができるようになったが、当時は片言だけ。病状説明に始まりちょっとした世間話もするようになり、家での会話量がそれまでの何倍にも増えた。

「在宅」を始めていちばん変わったのは私かもしれない。多分表情も明るくなり、以前より快活になったと思う。病院にいたころは女房の病状が分からないために、最悪の事態がいつも頭をよぎり、部屋で一人悶々としていた。しかし今は違う。悪ければ悪いでその状況をリアルタイムで確認できるし、必要とあらば医師や看護師を呼ぶこともできる。この違いはとんでもなく大きい。

 初めて看護師が来る前日、私は落ち着かなかった。普通の客ならお茶菓子でも用意するところだが、こんな場合どうすればいいのか……。ただ迎え入れるだけでいいのは承知していたが、あまりに愛想がないと思った私はスリッパを新調することを思いついた。近くのシマムラに自転車を走らせ700円のスリッパを4足購入した。しかし、これは完全にムダ金になった。

 玄関先でおすすめすると皆さん履いてくれたが、新品ということもあって動きにくい。カーペットに躓いて危険ですらある。玄関先での履き替えのひと手間も煩わしい。1週間もすると私も気をきかせて出さなくなった。

 よく見ると彼らは、いろんな訪問先の状況を想定して、普通の靴下ではなく厚地の室内履きのような靴下をはいている。

 余計な気遣いは無用。

 素の自分、素の介護環境で対峙すればいいのだと、そのとき悟った。


■訪問看護師はオバサンがいい


「在宅」を始めたばかりのころ、いちばん頼もしく思えたのは週2回の看護師さんの来訪だった。看護師は1人で、スーパーで買い物をするときのプラスチックカゴに、聴診器やら血圧計やらいろんなものを詰めてやって来る。1回の訪問時間は40分。やることは決まっている。

 ウチの場合、まず体温と血圧を測り、血中の酸素濃度をパルスオキシメーター(洗濯ばさみのようなものを指に挟む)で測る。異常がないことを確認した後で、経鼻経管栄養の管を鼻に固定したテープを貼り替え、あるいは管そのものを交換する。次に、陰部洗浄とおむつ交換を行い、同時に尿を受け止めるバルーンカテーテルの管を交換し、膀胱洗浄を行う。これがワンセットだ。

 特に、そばについていなければならない決まりはないのだが、私はいつもベッドサイドでそれをずっと見ていた。一つは好奇心から。自力で排泄や食事ができない女房の命を、どんな医療器具や介護機器が支えてくれているのかに興味があった。もう一つは、自身の介護力向上のためである。

 おむつ交換にしろ経管栄養にしろ、それまで入院していた茂原の病院で訓練を受け、またYouTubeの介護研修動画をチェックするなどして、頭の中ではしっかりできていた。しかし、家で正しくできているかどうかの自信はなかった。プロの技と照合して間違いはないかどうか確認し、あるいは彼女たちの裏ワザを盗み、ときに実演して見せて「ご主人お上手」などと言われ自信をつけたかったのである。

 訪問看護師さんには失礼ながら、当初、私は一抹の不安を抱えていた。私の住まいが千葉市でも外れに位置することもあり、「ちゃんとした看護師さんが来てくれるのだろうか」という不安があったのだ。介護保険の歴史はまだ浅く20年、訪問看護師が社会的に認知されておそらく10年くらいしか経っていないので、病院勤務の看護師さんに比べて大丈夫かなという気持ちも正直あった。

 しかし初日の対応で、それは杞憂であることが分かった。とても優秀で、仕事もてきぱきとこなし、何よりも医師のような責任感と緊張感をもって患者に接する態度は素晴らしいと思った。

 訪問の看護師さんに若い人はあまりいない。自分も家に帰れば姑の介護をしているかもしれない中高年が多いが、それもいい。家族のグチを聞かされることや、生活の苦労を訴えられることもあるだろう。そんなときは、医療・介護知識よりも人生経験がものをいう。そう、おばさんでいいのだ。あまり若い娘に来られても、悪しき妄想が膨らんで困る。

 そもそも、看護学校を出たばかりのナースに訪問看護は務まらない。ウチに来る何人かの看護師に聞いてみると、「病棟での看護業務はつまらない。もっと人の力になっている実感が欲しくて、病院勤めを辞めて訪問看護ステーションに入った」という人が何人もいた。


■どこまで行っても家は家


「在宅」のキーパーソンは間違いなく訪問看護師だ。月に1度の医師よりもずっと接点が多いし、家族と同じような気持ちになって本人のことを心配してくれる。私の「在宅」の最初の3カ月間も彼女たちの支えが大きかったと思う。ウチのように夫婦2人きりの場合、「自分にもしものことがあったらどうしよう」というプレッシャーをつねに感じていたが、「ひとりで看ているんじゃない、みんなで分担して看ているんだ」と、重圧が分散される気持ちになれたことがいちばんありがたかった。

 ある日の午後、ピンポンとインターホンが鳴った。この時間に来るのは訪問看護に決まっているので、モニターを確認することなくドアを開けると、なんと長身の若い男性が立っていた。何かの間違いかと思ったが、「医療法人社団〇〇会」の刺繍が入った制服を着ているので看護師さんに間違いない。看護師=女性、訪問看護となればなおさら女性と思い込んでいた私は、想定外の出来事にドアノブを握ったまま一瞬固まってしまった。「普通の診察ならかまわない。しかし、女房の陰部洗浄をこの男にさせたくはない」という気持ちが突然湧いてきたのである。

 自分でも意外で、気づいたことのない感情だった。病床の妻は60歳を超えている。相手は国家資格を持つ看護師である。おむつ交換をしてどこがおかしいのか。変に意識している自分の方がよっぽどおかしいと思い直した。

 夫婦生活の記憶すらなくなりかけているのに、まさか嫉妬ではあるまい。大人げないと思い直して彼を招き入れようとしたがやはりダメで、結局、「申し訳ない。男性はちょっと…」と頭を下げた。彼も私の狼狽ぶりから察したのか、「いや、全然かまいませんよ」とケータイをとり、女性看護師を手配してくれたのだった。

 以来、わが家に男性看護師が来ることはなくなったが、この男性看護師拒否事件は自分の中で結構尾を引いた。

 入院中のある会社役員が、医師を含め男性には絶対座薬を入れさせなかったという話を聞いたことがある。私の場合も、下半身を晒さねばならないなら女性がいい。男性にされるのは屈辱以外の何者でもない。ならば、女房も異性で問題ないのではないか。看護師は基本的に女性の職業だから我慢しているが、本当は同性より異性のほうがいいのではなどと、その晩はしょうもないことをずっと考えてしまった。

 私のようなケースは他にあるのかどうか聞いてみたいのだが、なぜかこわくて今も聞けないでいる。ただ、これだけは言える。病院や施設に預けていたなら、目の前でイケメンの男性看護師がおむつ交換をしても、「最近は男性看護師が増えたな」くらいで済んだろう。医療行為が行われても、「家」はどこまでいっても「家」なのである。

平尾俊郎:1952(昭和27)年横浜市生まれ。明治大学卒業。企業広報誌等の編集を経てフリーライターとして独立。著書に『二十年後 くらしの未来図』ほか。

2020年8月14日 掲載

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