「たかが車のナンバー」で勃発した栃木県の「仁義なき抗争」

 皆さんは、自分の車のナンバーを正確に言えるだろうか。ほとんどの人はさほど興味がないだろうが、一部の人にとっては非常に重要な意味を持つらしい。

「たかがナンバー、されどナンバー」、ときには車のナンバーをめぐって、深刻な争いが起こることもある。自他ともに認める「番号マニア」のサイエンスライター佐藤健太郎さんの新刊『番号は謎』から、車のナンバーにまつわる逸話を紹介しよう。

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■人気のナンバー、それぞれの理由


 1998年から自動車ナンバーの希望番号制度が開始され、手数料を支払えば好みの番号をつけられるようになった。ただし、人気の高い一部の番号は抽選となる。「縁起が悪い」として、普通は欠番となっている下2桁「42」「49」も、希望すればつけることが可能だ。

 その他、ナンバー指定は地域差もあって面白い。たとえば富士山周辺では「37-76」や「・223」「22-55」などのナンバーに人気がある。それぞれ富士山の標高、「富士山」「富士五湖」に引っ掛けたものだ。筑波エリアでは「・298」(筑波)や「29-83」(筑波山)をよく見るし、高知では「43-51」(よさこい)も見かけた。

 もちろん、個人の趣味や職業を表したナンバーも多い。ミニクーパーのオーナーは「32-98」を付けるのが定番だし、ポルシェ911やホンダS2000などでも車種名にナンバーを合わせているケースをよく見かける。「・・68」を付けたトヨタbBを見た時にはちょっと感心したものだ。

■「矢沢永吉」「コブクロ」、そして「ナベツネ」


 車以外でも、コブクロのファンである筆者の知り合いはナンバーを「52-96」にしているし、矢沢永吉のライブでは駐車場が「・830」のナンバーで埋め尽くされるとも聞く。「・893」のベンツを高速道路で見た時には、思わず車間距離をとってしまった。

 野球選手は、車のナンバーを背番号と合わせているケースが多い。その他、読売新聞の渡邉恒雄主筆は、発行部数1千万部に強いこだわりを持ち、車のナンバーも「10-00」にしているという。だいぶ以前に読売新聞の部数は1千万部を割っているが、ナンバーを変えたかどうかは定かではない。

 企業によっては、ナンバープレートは重要な広告スペースともなりうる。セブンイレブンやアート引越センター、ハトヤホテルなどの車が何番を付けているか、いうまでもあるまい。東武バスは「・102」、東急ホテルの車は「・109」を付けたりなど、社名をナンバーにしているところもある。

■日産車に「豊田ナンバー」がついた日


 ナンバープレートの左上にある地名部分も、歴史を追うとなかなか面白い。導入当初、この地名は県単位でつけられており、基本的に「茨」「栃」など1文字表記であったが、1964年からは地名がフルネーム表記となっている。その後、自動車の増加に従ってナンバープレートを発行できる施設(運輸支局および自動車検査登録事務所)も増えて、その地名がつけられるようになっていった(ただし、少々ややこしいところもある。たとえば大阪市内の車は大阪ナンバーではなく、なにわナンバーをつける。大阪運輸支局は寝屋川市にあり、なにわ自動車検査登録事務所は大阪市にあるためだ)。

 2006年からは、地域・観光振興のため、陸運局のない地域の地名を表示する「ご当地ナンバー」制度が導入された。たとえば群馬県運輸支局は、以前は「群馬」ナンバーのみを交付していたが、現在では車の所有者の居住地に応じて「高崎」「前橋」「群馬」の3種類を交付する。現在、ナンバープレートに表記される地名は全部で134種類となっているが、ご当地ナンバーを希望する地域は多いため、今後さらに増えそうな情勢だ。

 ナンバープレートの地名に選ばれることは、我が町の名が全国区になるチャンスだから、どこが選ばれるかの争いは何度も起きてきた。たとえば1994年に、ブランド地名の代表格である湘南ナンバーが誕生した際には、どこまでが管轄に入るかをめぐって一騒動があった。

 逆に愛知県小牧市に自動車登録事務所ができた際には、近隣の一宮市や春日井市が小牧ナンバーになることを拒絶し、旧国名を入れた「尾張小牧」とすることで決着を見ている。全国初の漢字4文字ナンバーは、自治体間の内輪もめの結果だったわけだ。現在では、一宮市と春日井市はいずれもご当地ナンバーとして地名表記されるようになり、尾張小牧ナンバーを離脱している。

 1965年に、愛知県豊田市に自動車検査登録事務所ができたときは、通常なら豊田ナンバーになるところを「特定の企業を連想させる名は好ましくない」とし、地名として「三河」が使用された。しかし2005年、豊田市はご当地ナンバー候補に挙がる。この際にも「日産やホンダの車に豊田ナンバーをつけさせるのか」という議論が巻き起こったが、結局そのまま「豊田」ナンバーが認可された。愛知県で名古屋市に次ぐ42万の人口を擁する豊田市を、ナンバーの地名から外すわけにもいかなかったのだろう。

■「佐野ナンバー」で勃発した大抗争


 もめた地名の代表格が、1999年に誕生した「とちぎ」ナンバーだ。それまで栃木県では全域で漢字表記の「栃木」ナンバーが用いられていたが、県南地区で新たに自動車検査登録事務所が置かれることになり、その場所に佐野市が選ばれたのだ。

こうした場合、普通は栃木ナンバーが消えて「宇都宮」と「佐野」の二つのナンバーができるのだが、これに周囲の自治体が反発した。佐野ナンバーをつけることになる小山市、栃木市、足利市などはいずれも都市規模が佐野市よりも大きく、それぞれに歴史と文化のある街だ。各市は佐野ナンバーになることを拒絶し、それぞれに別案を持ち出して抵抗したため事態は紛糾した。何とか我が街の名を入れたい佐野市は、尾張小牧の例に倣って「下野佐野」案を提示するなど粘ったが、ついに県知事が「これ以上反対するなら他の市へ事務所を移設する」と通達し、佐野市も折れることになった。よそ者から見ればやや異様な「とちぎ」ナンバーは、政治的妥協の産物であったわけだ。

 逆に地域自治体が共闘して、新たなナンバーを勝ち取った例もある。2005年、山梨県と静岡県の富士山周辺の自治体がご当地ナンバーとして「富士山」を申請したケースだ。県をまたいで共通のナンバーを使う例はないとしていったんは拒絶されたが、再申請の結果これが認められ、2008年に富士山ナンバーが誕生した。ふだんは富士山頂の帰属などをめぐって争い合う両県だが、この時ばかりは共闘が成功した形だ。山梨と静岡の両事務所で同一のナンバーを発行してしまわぬよう、分類番号で区別をつけているとのことだ。

デイリー新潮編集部

2020年8月27日 掲載

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