「アマゾン解約騒動」三浦瑠麗は危険思想の持主か

 ダウンタウンの松本人志さんが出演する「Amazon プライム」のCMに、国際政治学者の三浦瑠麗さんが登場したことが奇妙な騒動を起こしている。このような人物を起用するのは許せない、と考える人たちがツイッター上で、アマゾンの提供する有料サービスである「Amazon プライム」解約を呼び掛ける運動を展開したのだ。

 なぜ「許せない」のか、は人それぞれなのだろうが、「彼女はかつて日本が徴兵制を導入する意味、可能性を論じていた。危険だ」という主張をする人が多いようである。

「軍事を論じる」=「危険人物」というレッテル貼りは日本ではお馴染みのものだ。こんな反応を示す人が一定数いることは三浦さんにも織り込み済みだっただろう。一方で、それが「解約運動」にまで発展するのは想定外だったかもしれない。

 しかし、そもそも三浦さんの主張は危険なものなのか。ツイッター上での反応を見る限りは甚だ怪しい。著書を読んでというよりは、テレビでの発言(のキャプチャー画像)などに反応している人も多いようだ。

 三浦さんの著書『私の考え』では、冒頭に、軍事を論じる意味を易しく述べたエッセイ「怖がっているだけではわからない」が収められている。

 果たして彼女の主張は「危険」なのか。全文を引用してみよう。

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 私のデビュー作は、民主国家が行う戦争の研究だった。2012年に岩波書店から『シビリアンの戦争』という本を出した。民主国家では軍が暴走した例はほとんど見つからず、むしろ政治家や市民が嫌がる軍を戦争に引きずっていく構図の方が特徴的だという内容だった。3千円以上もする本で、堅すぎてほとんど売れないかと思ったが、ありがたいことに相変わらず刷られ続けている。おそらく、その理由は「軍は暴走する」「市民は平和的だ」という通説が根強かったために、私の立論に意外性があったからではないだろうか。

 戦前、東京大学は東京帝国大学だった。当時の学者の中には戦争を主導した人もいて、そうした過去への反省から、日本の学術界は平和勢力であり続けることを幾度も誓ってきた。東大では、戦後すぐ南原繁総長の時代に「軍事研究に従事しない、外国の軍隊の研究は行わない、軍の援助は受けない」という原則が表明された。

 1960年頃の安保闘争の時代には、大学の評議会や総長による宣言として、軍事研究を行わないという方針が幾度か確認されている。ところがその裏で、「戦略論」「戦争論」といった用語を用いた講座が、政治学や経済学において行うことすらもできないなど、言葉狩りにも等しい状況が生まれてしまったと聞く。

 平和を考える学問は、戦争の研究をしないと成り立たない。歴史学やジャーナリズムの助けを借りながら細かな史実を掘り起こして分析を加えることで、はじめて教訓を結晶化することができる。ありとあらゆる戦争は悪である、という結論から始めるのではなくて、何がどのように悪であったのか、どうしてそこに陥ったのかをつぶさに分析することが、平和への道だと思っている。

 もちろん、そうした認識は安保闘争が収まるとともにだんだんと広がり、東大でも「戦略論」や「戦争論」が開講できるようになったのだが、やはり一部には軍事研究をやるなんて、と斜めに見るような雰囲気は残っていた。引退した元官僚が教えに来る講座はあっても、退役軍人にあたる元自衛官が講演をすることはなかった。

 それは、日本だけの問題ではないのかもしれない。軍人が尊敬を集めるとされるアメリカでも、昔から軍に対する反感、あるいは差別感情というものが存在する。

 差別感情や無関心さの何がいけないかと言ったら、一番は、人の目を曇らせることだ。共感の不足は無関心につながり、無関心は民主的制度を蝕む。そもそも、なんでこんなテーマに目を付けたのかということをよく聞かれるが、別に私は戦争に勝つ方策や兵器に詳しくなりたいわけではなかった。ただ、軍の実態から距離を置き、そういった物事を知らないことが「本流」だという感覚が嫌だったのかもしれない。そして、「市民は平和的だ」という通説が思い込みであることに気づいてからは、何らかの責任感を感じたことも確かだった。

 平和のためには軍を締め付けるべきだ、といういわゆる「常識的」な目線で見たときに、まるで理解できない戦争がイラク戦争だ。常識そのものが違うんじゃないか、と思った。だから、仮説を真逆にして事実をたどりなおした、あの判断ができてよかったと思う。

 常識を疑う思考は、皆と同じではないところから生まれたりするものだ。小学生の頃、心理学者の父親が防衛大学校に赴任した。父が自衛官になっていく学生を教える中で、私の日常にも彼らの話題が忍び込み、少しずつ、自衛隊員になる若者の実態が分かってきた(遠泳が本当にしんどいこととか)。そんな身内感は重要なのかもしれない。線を引いた向こう側の、自衛官が「怖い人たち」で、安保が「怖い話」である限り、認識が深まらないのは当然なのだから。

(2017・3・16)

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「徴兵制」と聞いてアレルギー反応を示す人は、他国の状況を知っておいてもいいだろう。

「平和国家」スイスの他、デンマーク、フィンランド、ギリシャ、ノルウェー、韓国等々世界には驚くほど多く徴兵制を採用している国がある。少なくとも徴兵制について論じること自体を危険視するのは世界標準とは言えない。

 一方で、言論封殺の危険性は、戦時中の日本や近隣諸国を見ていても明白ではないだろうか。上の文章から再度引用しておこう。

「民主国家では軍が暴走した例はほとんど見つからず、むしろ政治家や市民が嫌がる軍を戦争に引きずっていく構図のほうが特徴的だ」

 つまり、戦争から遠ざかるためにわれわれに必要なのは三浦氏が言う「無関心」の反対、世界の軍事の現実を知り、軍事を論じる人間に耳を傾けることなのではないのか。

「怖がっているだけではわからない」のだ。

デイリー新潮編集部

2020年9月3日号 掲載

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