床からベッド、たった50cmが持ち上がらず途方に暮れる──在宅で妻を介護するということ(第10回)

「自宅で看取ることになるかもしれない」 そんな覚悟もしつつ、68歳で62歳の妻の在宅介護をすることになったライターの平尾俊郎氏。幸運なことに意思疎通もできるようになったのだが、身体はまだまだ思うようにならない。その時、夫は何を覚悟すればいいのだろうか。

 体験的「在宅介護レポート」の第10回である。

【当時のわが家の状況】
夫婦2人、賃貸マンションに暮らす。夫68歳、妻62歳(要介護5)。千葉県千葉市在住。子どもなし。夫は売れないフリーライターで、終日家にいることが多い。利用中の介護サービス/訪問診療(月1回)、訪問看護(週2回)、訪問リハビリ(週2回)、訪問入浴(週1回)。

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■Tシャツを着せてはまずいのか


 季節は春から初夏へ。この頃になると妻の容態が安定したことで精神的ゆとりが生まれ、ようやく「在宅」を進めていくうえで必要な細々とした仕事や雑務に気がまわるようになった。

 食事や下の世話をすることが介護だと思ったら大間違いだ。それ以外の時間も、周辺に派生するさまざまな雑務をこなしていかないと「在宅」は円滑に回っていかない。病院や施設に預けていれば職員がやってくれることを自分でやる──これに結構な時間と労力を割かれてしまう。

 例えば季節の変わり目の、寝具やパジャマの切り替えである。

 冬の間、厚地のアクリルの毛布の上に掛け布団をかけていたが、3月後半になるとこれでは暑くなった。まず毛布を薄地のものに替え、次に毛布を除き、掛布団を夏掛けに替えた。並行してパジャマを長袖から半袖に替え、上着はしまい、6月後半になると上はTシャツ1枚にした。

 ずっとこういうことをやってきた主婦の方たちにとってはなんでもないことなのだろう。が、自分の裁量でやってみると意外に難しいことに気付いた。特にパジャマと肌着の衣替えには神経を使った。

 家に戻って来てからは、下はおむつ、上は前開きの七分袖の肌着、その上に上下の木綿の長袖のパジャマを着せていた。病院の院内着と全く同じで、在宅でもこれがベストと考えていたのだ。

 ただ、パジャマは明るい色見の柄物を新しく購入した。病人にはなるべく派手なもの、絵柄入りを着せるというのが私の持論。でないと、こちらの気分も沈んでしまう。ピンク地にクマのプーさんをあしらったパジャマが私のお気にいりである。

 さて、5月になり、私自身Tシャツで過ごす時間が多くなるとハタと考えた。

「この前開きの肌着、Tシャツでいいんじゃないの?」

 病院などが前開きの肌着にこだわるのは、診察や着替え時に手間がかからないためだ。しかしこの7分袖の肌着、この時期になると暑そうだし、それ以前に見た目がおばあさんっぽくてダサい。やはり「在宅」でも、介護スタッフの作業効率を考えて前開きにすべきなのだろうか。

 こういう小さなことが気になって、訪問入浴のスタッフに確認したところ、「私たちは別にどちらでもいいですよ」と即答あり。脱がせたり着せたりする機会が多い彼らがいいというのだから、他のスタッフに気兼ねすることはない。

 その日のうちに近所の「しまむら」に自転車を走らせ、たっぷりしたフリーサイズのTシャツを4枚(500〜700円)買ってきて着せた。

 白地に森の緑の柄のプリントの入ったTシャツを着せると、なんだか身体全体から生気が湧き上がるような感じ。本人もとても喜んでくれた。フリーサイズなら脇に体温計を挟むのも、着替えで袖を通すのも全く問題ない。こんなことならもっと早く替えればよいと思った。

 いつ、どのタイミングでパジャマや寝具を替えればいいのか──そんなことは誰も教えてくれない。簡単なようでいて、相手が病人だけに判断に迷うことがある。幸い、この頃になると、女房は「暑い」「寒い」の意思表示ができるようになっていたので、私としては上手な衣替えができたと思っている。

■汚物をトイレに流してから可燃ゴミに


 当たり前のことだが、夫婦2人暮らしで女房が寝たきりになったら、家事は全部夫にまわってくる。「在宅」で妻を看るということは、夫が専業主婦の役割を兼ねることを意味する。

 この点においても、私はさほど抵抗がなかった。もとより、「男がゴミ出しをするなんて」という感覚は1ミリも持ち合わせていない。家にいる時間が多く、女房が元気なころから洗濯、掃除、買い物、ゴミ捨てと、ごく自然にやっていた。

 そんな私でも、使用済みのおむつのゴミ出しには、ちょっと人目をはばかるところがあった。

 多くの自治体では、紙おむつや在宅医療ゴミは「可燃ゴミ」扱いとなり、燃えるゴミの日に指定ゴミ袋に入れて出すことができる。千葉市も同じで、週2回、清掃車が回収してくれる。だから、遠慮することはない。

 ただ、使用後の紙おむつは糞尿まみれで、しっかりビニール袋に包んでもにおいが気になる。エレベーターに人と乗り合わせる可能性の少ない深夜に出すことが多くなった。

 毎日必ず出る介護ゴミは結構な量になる。ウチの場合、おむつ+尿とりパッドが1日2〜3回出る。これらは小さなビニール袋に入れ、先端をきつく縛り、トイレ内の専用ゴミ箱にいったん廃棄する。ゴミ捨ての際に、これらを20Lの指定袋に詰め直して階下の収集場所に出している。

 尿をいっぱい吸って高野豆腐の煮物状態になった尿とりパッドはずっしり重い。ゴミ箱いっぱいに溜めると1階まで運ぶのに骨が折れるので、3日に1度は出す。破損したり異臭を防ぐため、いちばん上に新聞紙を載せたり、ミスコピーの用紙を周囲に壁のように回すなど、一応配慮はしている。

 ウチの場合、曜日に関係なく1階の専用ゴミ置き場に出すことができるからいいが、指定曜日まで出せないお宅は困るだろう。収集した自治体の方も、?分を?量に含んでいるので最初は燃えにくく、?油化学物質を含んでいるので?旦燃えだすと?温になる紙おむつに、頭を悩ませているそうだ。

 おおよそ7人に1人が後期高齢者(75歳以上)となった今日、ゴミ袋のおむつが占める割合は日に日に高まっていくばかりだ。深夜のエレベーター、見た目の何倍も重いおむつの塊を運びながら、問題の深刻さを思うと空恐ろしくなった。


■早過ぎた車いすの導入


「車いすはまだ早いでしょうか。ベッドに寝てばかりでは筋力が落ちる一方だし、車いすに乗れたらテレビも見られます。目からの刺激も脳の活性化に必要じゃないですか」

 1月下旬、容態が安定しすべてがいい方向に向かっていたことで、強気になった私は、訪問リハビリの理学療法士に車いす導入を提案した。今考えると明らかに時期尚早。女房はようやく端坐位(イスやベッドの端など、高さのある座面に腰掛けた姿勢)がとれたころだった。

「まだ早いとは思いますが、ヘッドレストがついていてリクライニング式の車いすなら可能でしょう」

 いつになく積極的な私の提案に水を差したくはなかったのだろう。理学療法士もやめろとは言わなかった。私自身、まだ乗せる気はなかったがここまでくると時間の問題だ。操作に慣れる時間も必要だろうと、ややフライング気味ではあったが、ケアマネ経由でレンタル業者に注文した。

 2月4日、おしゃれな車いすが到着。ティルト機能(おしりや太ももにかかる体重を、背中や腰に分散できる)、リクライニング機能がついた高額(購入価格21万8千円も、介護保険のレンタルで月800円)の車いすだ。早速、ベッドのわきに横付けしたり、狭い通路で方向転換してみるなど、操作性を確認してみた。

 実際に乗せるのは、訪問リハビリが入る日だ。一人でやるのは危険だと肝に銘じていたのだが、新品の車いすを見ているうちにガマンできなくなった。それまで私は、車いすを押したことはあったが移乗経験は皆無だった。そこでYouTubeを開き、移乗講座の類を勉強。その通りやってみた。

「なんだ、大したことないじゃないか」。

 想像していたより簡単で、逆の動きとなる車いすからベッドへの移乗も難なくできた。事件は、それから1週間後、また自分一人で乗せたときに起きた。

 妻を端坐位にし、脇の下に両手を入れて持ち上げつつ回転したのはいいが、車いすとの距離が若干離れていたため、かなり浅目の腰掛けになってしまった。もっと深くしなければと体勢を整えようとした瞬間、女房の腰が椅子からズルっと滑り落ちてしまった。

 あわてて持ち上げたがもう遅く、腕が万歳しかかっている。無理やり持ち上げて体にへんな負担をかけるより、ここはいったん下ろすしかないと判断し、床に寝かせた。これがいけなかった。

 そこからが全く持ち上がらない。テコでも動かないとはこのことだ。泥酔した同僚を運んだ経験のある人なら分かってもらえると思う。手にも足にも全く力が入らない場合、人間はとてつもなく重い。床にころがしたサンドバッグを持ち上げるようなものだ。

 たかだか50cmのベッドの高さが持ち上がらない。何度もトライしたが、上半身を起こすのが精一杯だ。しばし途方に暮れた後、最後の1回のチャレンジをした。片膝をつき、女房の背中の下に無理やり膝を割り込ませ、頭と足を渾身の力で持ち上げベッドに押し上げた。力を入れ過ぎて、頭の血管が本当にブチ切れそうだった。

 後日、この件を理学療法士に話すと、「よく一人で持ち上がりましたね。床に下ろしてしまうと僕らでも大変ですよ」と、妙な感心をされてしまった。

 ベッドから車いすの移乗、車いすからベッドへの移乗は、足腰や両腕にある程度力が入る人でないと難しい。女房のように、両足を全く動かすことができず、車いすの肘掛けをつかむことすらできない全介助の人の移乗は、特に初めての場合、専門家の監視の下で行わねばならない。

 これに懲りて車いすはしばらくお預け。介護に焦りは禁物と身をもって学んだ。次に彼女を車いすに乗せたのは、それから3カ月後のゴールデンウイークのころ。来たばかりの新品の車いすはそれまで仕事部屋の一角に置かれ、もっぱら飼い猫の元気くんの寝床として愛用された。

平尾俊郎:1952(昭和27)年横浜市生まれ。明治大学卒業。企業広報誌等の編集を経てフリーライターとして独立。著書に『二十年後 くらしの未来図』ほか。

2020年10月8日 掲載

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