高齢者の「新しいものが苦手」に疑問符 戦後の生活革新に比べればアイフォンなんて(古市憲寿)

高齢者の「新しいものが苦手」に疑問符 戦後の生活革新に比べればアイフォンなんて(古市憲寿)

イラスト・k.nakamura

「年寄りだから新しいものが苦手」という人がいる。本人が言う場合もあるし、家族がそう決めつけることもある。そういった言葉を聞く度に疑問を抱く。なぜなら「年寄り」ほど、社会の大変化を受け入れてきた人々だからだ。

 たとえば90歳前後の人は、アジア太平洋戦争を知っている。戦前と戦後の変化は、ポストコロナどころの騒ぎではない。国号や憲法が変わり、占領地を失い、首脳陣が一新された。300万人以上が命を落とし、戦後にはベビーブームが起こった。まさに「国の形」が変わったのである。

 70歳前後の人は、直接は戦争を経験していなくても、高度成長と共に育った。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家電と共に生活はどんどん便利になった。一連の生活革新の衝撃は計り知れない。日本のライフスタイルは大きく変わった。

 それに比べたら、ここ最近の「新製品」の数々はインパクトが弱すぎる。たとえばiPhoneの新機種は毎年のように発売されるが、「iPhone11」と「iPhone12」の違いは、「洗濯板」と「洗濯機」と比べれば誤差のようなものだ。最新のiPhone12を買ったところで、多少の自尊心は満たされるかもしれないが、生活が一変するとは考えにくい。

 それくらい戦後の変化とは大きいものだった。敗戦国から経済大国への変貌という意味でも、テレビやエアコンなど新製品の登場という意味でも、年長者は数々の「新しいもの」を受け入れてきたはずなのだ。

 そんな大変化を経験した人が「新しいものが苦手」というのは大いに解せないのである。

 ところで、なぜiPhoneをはじめとしたスマートフォンは世界中で大成功を収めたのだろうか。なぜ日本のガラケー文化は滅びてしまったのだろうか。

 iPhoneの特徴は、文化や宗教、階層、国籍などを超えて受け入れられたという点にある。要は操作が簡単なのである。乱暴な言葉を使えば「馬鹿でも使える」ということだ(もちろん賢い人でも使える)。

 一方、ガラケーに代表される日本の電化製品は難しすぎる。今でも覚えているが、僕が子どもの頃はテレビ番組をビデオデッキで録画予約するのも一苦労だった。リモコンの細かなボタンを駆使して時間を設定する。Gコードが導入されただけでも、随分と楽になったと感激したものだ。

 複雑怪奇な日本の家電を使いこなしてきた人が、スマートフォン一つ操作できないわけがない。要はメタ認知の問題なのだと思う。「新しいものは無理」と初めから思い込んでしまっているのではないか。高齢者自身が「高齢者かくあるべし」という偏見に囚われすぎている気がする。戦前と戦後の変化に比べれば、近頃の「新しいもの」は、さほどラディカルではない。

 ちなみに日本メーカーが開発しただけあって、らくらくホンの類いは逆に操作が非常に難解な場合が多い。らくらくホンが使える人にとってiPhoneの操作なんて簡単だと思う。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

「週刊新潮」2020年10月22日号 掲載

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