もし北朝鮮軍と自衛隊が戦闘することになったら… 自衛隊を知り尽くした漫画家、元特殊部隊員が明かす「国防」のリアル

■【緊急対談】かわぐちかいじ×伊藤祐靖 「国防」の裏側と「自衛隊」のリアル(2/2)


 30年以上にわたって海上自衛隊を描き続けてきた漫画家・かわぐちかいじ氏と、自衛隊初の“特殊部隊”創設に携わった経験に基づくノンフィクション・ノベルが5万部に届こうという伊藤祐靖氏。二人が語った“戦争体験”、米軍と自衛隊の本質的な違い、そして「現場のリアル」と「フィクションの想像力」とは――。

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か 自衛隊の存在意義や国を守ることについて、伊藤さんは入隊後も考え続けていた。前作の『自衛隊失格』を読み、お父上との関係が大きいんだろうと思いました。

伊 はい。あの本では、自衛隊での経験を中心に、本気の度が過ぎていつもルールを逸脱してしまう自分の半生を書きました。その過程で“ああなっちゃいけない”対象として父を見て育ったので、ずっと否定してきましたが、やはり父親の影響が大きいです。現代ではありえない「軍人」の意識というのか、任務遂行への責任感です。

か お父上は陸軍中野学校のご出身で、終戦間際に受けた蒋介石暗殺の任務が、戦後もずっと解けていなかった。いつ頃そう聞いたんですか。

伊 私が小学校に入る前、5歳ぐらいのとき、父は毎週日曜日にエアーポンプ式のライフルで廃墟で練習していたんです。1969年です。

か 戦後24年経っても、蒋介石を狙っていたわけですね。

伊 蒋介石は、私が小学校4年生の頃に台湾で亡くなったんです。父はそこでやっと暗殺のための練習をやめましたが、それまでは「いつかは」と狙っていたようです。

か 息子の蒋経国も亡くなりましたね。

伊 はい、今でも覚えていますけど、狙う理由を聞いたら、「昔な、暗殺しろって言われて、やるって言ったからな」「今日電話がかかってきて、明日行けって言われたら困るだろう」と。だから練習も欠かさない。何を言ってんだ、戦争なんて自分が生まれるずっと前に終わっているのに。そう思っても、まだ真剣に任務を遂行しようという父が目の前にいました。

■インドネシアの独立戦争に勧誘


伊 72(昭和47)年に横井庄一さん(グアム島で日本の無条件降伏を知らないままゲリラ戦を展開していた)が帰国したときは驚きましたが、その2年後に、小野田寛郎さん(陸軍中野学校出身で、終戦後も任務解除の報が届かず、在比米軍に対してジャングルでゲリラ戦を展開)がフィリピンのルバング島から帰って来た際のことです。周囲が驚嘆する中、父だけは、「いや、別にすごくもなんともない、普通のことだ」とつぶやいていた。何が普通なのかと今考えると、蒋介石が台湾で生きている間は、いつでも現地へ行けるよう「自分もまだ準備を続けていたから」なんです。

か 今のお話で、『空母いぶき』とその前の作品(『兵馬の旗』)で監修を担当してくれた、小学校の同級生で軍事ジャーナリストの惠谷治君――残念ながら一昨年亡くなりましたが――、彼のことを思い出しました。

 小学校の頃に惠谷君は、その当時流行っていたテレビドラマ「快傑ハリマオ」(欧米諸国の植民地だったマレー半島を舞台に「民衆の敵」と戦う実在の日本人をモデルにした冒険活劇)が好きで、ハリマオになりきってよく遊んでいました。中高生ぐらいになって、なんであんなにハリマオに傾倒していたのかと聞いたら、「実は、おやじが陸軍解散後、インドネシアのオランダからの独立戦争に関わる動きをしていたらしいんだ」と話していた覚えがあるんです。だからハリマオという作品で、自分のおやじをイメージしていると。確証はないにしても、身近にそんな話があったわけで、戦争は「終戦しました」では簡単には終わらないものなんですね。「アジアの独立を助ける日本軍」という役割を果たせていない、そんな思いを抱えながら日本に戻った人が数多くいた。正しいかどうかは別として、そういう思いを抱えている自分の親世代は、かなりいました。

伊 私の父もインドネシアの独立戦争に行かないかと誘われたそうです。

か お父さんもですか。

伊 はい。でも暑いから嫌だと断った。高地で標高が高いから涼しいと言われたそうだけれど、蒋介石暗殺任務がありましたし。本当に、おっしゃるような無念を抱えた人は多かったと思います。

■戦争時代への「こりごり感」


伊藤 陸軍中野学校出身の陸軍軍人だった私の父の話で思いがけず盛り上がってしまいました。ところで、かわぐちさんのお父上も海軍の軍人だったんですよね。

かわぐち はい。いちおう海軍でして、広島の大竹海兵団で一番下っ端からスタートし、最後は兵曹長になりました。掃海艇で瀬戸内海から日本海から、あちこちを回っていたようです。海軍といっても外洋で米軍なり英軍と戦ったのではなく、地味な機雷処理での国内治安維持です。そんなに戦争当時を語りにくいという感じではなく、結構明るく話していました。

 例えば、島根県の港で機雷をボンと爆破させたら魚がいっぱい浮いて、その魚を配って大喜びされたとか、イメージしやすい明るい話が多かった。ですが、ことさら明るく話している感じもどこかにあったし、あの時代はもう嫌だという「こりごり感」がこちらにも伝わってきました。

 父親世代は、戦争経験によって語ること語れないことというのを、みんな抱えていました。立場違わず、みんなそれぞれに。それを全部含めて、自分の中では、あの時代は嫌だったんだろうと感じていました。僕の子どもの世代はわかりませんが、僕ら団塊の世代までは、父親世代の戦争体験を重いものとして受け取っているんですよね。

『亡国のイージス』の作家、福井晴敏さんと対談した際に、戦争の扱い方が世代によって違うという話になりました。彼は51歳、戦争の話を素材として書くときに、反戦だけでは書かずに、ある種のゲーム感覚をそこに落とし込むことができる。僕らの世代は、反戦、ないしはそこに向かう何かしらのベクトルがないと、戦争を描いてはいけないという気持ちがどこかにあって。

 僕らより年下の年代の人は、反戦という感覚から自由になって戦争を扱うことができる世代なんですよね。世代によって、先の大戦についての表現のベクトルが少しずつ違ってきます。

伊 そうでしょうね。切実感、距離感が違う。逆に、そこは意識的に描かれているんですか?

か その世代だからということは念頭にはないんですが、結果的にそうなるとは言えます。「戦意高揚」をしたくはないんです。カッコいいだけの漫画で、戦闘意欲を刺激するというようなことにはしたくない。

 とはいえ、ちゃんと派手に描きます。戦闘場面は丁寧に描いていますが、結果的にそれだけを読みとってほしくないという気持ちは常にあります。

伊 戦争にならないことが肝要です。だからこそ、読みたくなるんですね。

■今の自衛官が戦争を体験


伊 かわぐちさんの『ジパング』も好きです。21世紀の海自のイージス艦が、ミッドウェー海戦直前の1942年6月の太平洋上にタイムスリップして話が始まりますね。主人公たちに救助された旧日本海軍の将校が、イージス艦内の資料室に入るシーンがありますが、3日ぐらい出てこない。涙をこぼしながら未来の日本に関する資料を読むシーン、あの重みや深みは、私より下の世代には描けないと思います。

か 原爆の資料に触れる場面ですね。

伊 タイムスリップしてきた未来の資料室で、原爆の惨禍を知る。日本はこうなるのかと涙をこぼす……。

か 『ジパング』はずっと描きたかった作品でした。僕より若い、先の大戦を全然知らない今の自衛官の世代が、戦争を体験する。その様子を描くにはどうしたらいいか。護衛艦ごとタイムスリップするのが一番手っ取り早かった。よくあるパターンだと言われてもいいから、ストレートにぱっと描こうと思いました。

伊 未来からきた自衛隊員たちが、その時代の日本海軍の少佐を助けて未来を教えたがために、いろいろ問題が出てきますね。描きたい「問題」が浮き彫りになっていきます。


■「月」でタイムスリップに気づく仕掛け


か 『ジパング』で「やったぞ」と思ったのは、タイムスリップしたことに本人たちが気付くシーンです。横須賀から出てハワイの手前辺りに来たら、夏なのに雪が降る。わっと甲板に出たら後ろに戦艦「大和」が来ていて、最初はみんな「大和」の方が今の時代に来たと当然思う。まさか自分たちがあの時代にタイムスリップしたとは思わない。そこで時代を思い知らせるのが「月齢」なんです。月が違う。きのう見た月と今日の月は違う。あの辺はタイムスリップものを描く醍醐味でした。

伊 あのシーンはよく覚えています。よく船乗りのことをご存じだなと思ったんです。月齢が幾つか、普通の人にはわからないけど船乗りには絶対にわかる。月は大事で、みんな実用的に見ていますから。

か その結果、みんな愕然として、自分たちが「大和」の時代に来たんだとわかる。これはまずいことになったぞ、と。あれを描いたときに、なにより、自分がわくわくして(笑)。

伊 船乗りとしてもわくわくしました(笑)。海を描かれるのはお好きなんですか。

か 家業がもともとは海運業だったんです。戦争で駄目になった後、おやじが帰ってきて、船の給油会社に就職して、そこで顔なじみが増えたので、独立して会社を興したんです。

 船の給油船を尾道では「タンク船」と呼びます。10トン未満、長さでいうと7〜8メートルぐらいの小さい船ですが、船長と機関長が2人乗らなきゃいけない。おやじは1人でやっていて、海上保安庁に見つかると注意され何回かで罰金ですが、子どもが1人でも乗っていればいいから、自分と双子の弟を代わりばんこに乗せていました。

伊 子どもの機関長ですか(笑)。

か 楽しかったですよ。岸壁や給油する船に結ぶ綱を取る役もして、小型の船舶には実感として慣れたし、船のどこが面白いか、どこが怖いかという知識は皮膚感覚としてあったんですね。おやじは映画が好きで、よく一緒に連れ立って観る映画もだいたい海軍もの。生い立ちも含めて、海や海軍の話が描きやすかったかもしれません。


■アメリカ空母に乗船してみると…


伊 日常的に船の上にいると、これ以上はないという美しい海の風景を見ることがあります。

か 故郷の瀬戸内海は漁船が多いのですが、内海の漁船の作りは外洋とは全く違うんですよね。例えば、かみさんが青森の八戸なんですが、八戸のイカ釣り漁船の作りは全然違う。見ただけで出かけて行く海の違いがわかります。『邦人奪還』の潜水艦の記述にも、これは外洋だな、とひしひしと痛感させられました。

伊 瀬戸内海の風景は格別ですよね。

『空母いぶき』では、「尖閣諸島中国人上陸事件」が発生し、その1年後に海自初の空母「いぶき」が完成。その艦長に、航空自衛隊の戦闘機パイロットとして名を馳せた秋津竜太1佐が着任しますね。その演習航海中に、中国軍が与那国島や尖閣諸島を占拠するところから、史上初の防衛出動にまで至る――その細部が非常にリアルで、迫力があります。そもそも、アメリカでは空母の艦長はパイロット出身が多いということはご存じだったんですか?

か この話を描こうと調べ始めてから知りました。戦後日本では空母の運用例がないので、米海軍の慣習に従った方がいいかと考えました。

伊 私は米空母「キティホーク」に乗ったことがあるんです。乗ってびっくりしました、パイロットが艦長なのかと。旧日本海軍の空母の多くは船乗りが艦長でしたが、アメリカではパイロットなんです。


■けちな自衛隊、食べ放題の米軍


か 米空母にはどこで乗られたんですか。ハワイですか。

伊 ハワイからサンディエゴまで、1カ月ぐらい乗っていました。キティホークは、後に横須賀が母港になりますが、乗った頃はまだサンディエゴを母港にしていました。艦長がパイロットですから、船の運航は副長に任せていましたね。戦闘機を運ぶ空母はStrike Group(打撃群)、要するに戦闘機部隊のもの。飛行場としか思っていないから、トップの指揮官はパイロット、しかも戦闘機パイロットなんです。それを思い出しながら『空母いぶき』を読みました。

 あと、海自初の空母、その艦長を「航空自衛隊ごときにやらせたくない」と、副長以下船乗りたちが空自出身の主人公について噂しますよね。

か 海自としてはそのままにしておけません。

伊 ああいう感情はあるだろうなと思いますね。そこまで反映されているんだなと、冒頭から驚きました。ところで、キティホークは非原子力型の空母ですが、乗員は5千人ほどもいるんです。

か 5千人というと、ホテル、いや、もはや高層ビルですね。

伊 サラダでもなんでも、食堂が食べ放題なんです。自衛隊なんて「コロッケ×3」と書いてあって、キャベツに隠して4つ取ろうもんなら大変なことになる。なにしろ、最後の人のところでコロッケが2つしかないと「誰か余分に1個取ったな」と犯人捜しです。そういうけちくさい習慣があるわけです。米軍の空母なんて取りたい放題で、「すごいな。カッコいいな」と思ったんです。

 でも、それがそうでもありませんでした。毎日、船の後部から残飯を捨てていて、その量ときたら……。「この人たちはやっぱり間違っている」と。5千人が食べたいだけ食べられる分量を必ずつくるから、残飯の量はたぶん、日本の護衛艦の食料1日分です。自衛隊はコロッケ3つでいまだにやっていると思います。アメリカはなんでも贅沢にやっていますよね。


■リアルを知ると描きにくい?


か 自分の話で恐縮ですが、最初に『沈黙の艦隊』があってその後『ジパング』と、同じように自衛隊の話を素材にして描きながらも、少しずつ違って来た実感があるんです。

伊 スタンスが変わったということですか?

か 『沈黙の艦隊』の頃は、自衛隊のことをあまりよく知らないで描いている箇所もあり、荒唐無稽でも、お話として自衛隊を使っていくところがあった。ですが、『ジパング』を経て『空母いぶき』に来て、だんだんリアルになってきたんです。設定も、中のドラマも、よりリアルに読んでほしいという気持ちがどんどん高まってきて。

 それは監修として協力してくれた故・惠谷治君(軍事ジャーナリスト)が自衛隊のことに詳しくて「これはないよ」と指摘してくれるようになったからです。「これはないよ」をある程度クリアにした設定にしながら描いていますから、だんだん表現がリアルになっていき、それを面白がる自分もいました。一方で、漫画表現として、読者が面白がるなら多少の誇張は許されるという気持ちもどこかにあって、むしろ実際を本当に知っていると妄想の世界に入れないからなかなか描きづらくなるんです。

伊 読んでいて全然気にならないです。

か そうですか。

伊 はい。それこそ前回お話ししたように、『沈黙の艦隊』で主人公が原子力潜水艦の船体にナイフで「やまと」という艦名を彫る場面も、現実にはあり得ないシーンであっても、今でも気にならないです。


■北朝鮮との戦争を“想像”


か 伊藤さんは実際の現場をすごく知っている。知っているからこそ、その素材を使ってフィクションとして書くとき、難しいだろうなとも思います。ノンフィクションとしてそれを表現する際には、体験しているということがある種の強みではあるんですけど、妄想を膨らませて面白い展開を紡ぎ出す場合は、難しいのではと思うんですよね。

伊 例えば、北朝鮮での戦闘シーンです。北朝鮮とは当然、私は戦ったことがないんですが、想像はつくんです。それこそ、想定訓練も組んでいるので。だから、どちらかというと思い出しながら書いている感じです。逆に、かわぐちさんは実際にはどれくらい取材をされるんですか?

か 海上自衛隊の観艦式に1度行ったぐらいです。他に飛行甲板を備える護衛艦「いずも」には乗せていただき、艦内を取材したことはあります。観艦式のときに、機会をいただき潜水艦の艦長とお会いしました。その艦長が「なんでも聞いてください」と仰るので、「90度の倒立ってありますか」と聞きました。潜水艦は急速浮上や急速潜航する際にかなりの急角度になるのですが、垂直になることもあり得るのか。あり得るなら漫画に描こうと思ったんです。でもその艦長は「なんとも言えませんね」と。「ただ言えるのは、潜水艦はそういう90度の倒立のためには造られてはいません」と仰いました。

伊 もう少し答えようがありそうなものですね(笑)。

か いや、感心しました。予測のもとには絶対に話をしない、それを現場が守っているという事実は取材になりました。

伊 その言えない部分が、かわぐちさんの作品にはあるんですね。今も時々読み返しています。

か 私も連載が行き詰まったときは、『沈黙の艦隊』や『ジパング』を読み返すのですが、自分で描いていてなんですけど、結構面白いですよね(笑)。

伊 はい、とても面白いです(笑)。『空母いぶき』の続編シリーズ(『空母いぶき GREAT GAME』)もまだ序章ですが、非常に引き込まれますね。「いぶき」の次期艦長候補率いる護衛艦「しらぬい」が、北極海に調査航海に出て民間の調査船を救助する。そして……続きは、ぜひコミックスを読んでください。第2巻は10月30日発売とか(笑)。

か ありがとうございます(笑)。

かわぐちかいじ
漫画家。1948年、広島県尾道市出身。明治大学文学部日本文学科卒。90年、『沈黙の艦隊』で第14回講談社漫画賞。2002年、『ジパング』 で第26回講談社漫画賞。ほか著作多数。現在、。「ビッグコミック」(小学館)にて「空母いぶき GREAT GAME」を連載中。

伊藤祐靖(いとう・すけやす)
元海上自衛官。1964年、茨城県出身。日本体育大学卒。87年、海上自衛隊に入隊。99年、イージス艦「みょうこう」航海長として能登半島沖不審船事案に遭遇。自衛隊初の特殊部隊「特別警備隊」の創設に携わり、2007年に退職。著書に『自衛隊失格』『邦人奪還』など。

「週刊新潮」2020年10月29日号 掲載

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