幻の車両「285系」「A100形」は、なぜ開発・製造段階で中止になったのか

幻の車両「285系」「A100形」は、なぜ開発・製造段階で中止になったのか

悲運のキハ285(2014年9月撮影)

 三菱重工業が取り組んでいたYS-11以来となる国産ジェット機開発は、新型コロナウイルスの感染拡大によって終止符が打たれることになった。

 三菱重工業は2008年に子会社の三菱航空機を設立。以降、社運をかけて「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の開発に邁進してきた。紆余曲折を経て、「三菱スペースジェット(MSJ)」へと改称したが、それでも目指すべき目標は変わらなかった。

 夢の実現にまであと一歩まで迫りながらも、コロナで航空機による移動需要は消失。全世界で航空事業者は苦境に陥り、その影響を受けて三菱も新型ジェット機の開発・製造どころではなくなった。

 コロナという不運によって三菱の夢は絶たれたが、不測の事態によって事業計画が狂うことは珍しくない。実際、鉄道分野でも開発・製造段階で中止になった車両はいくつか存在する。それらは、鉄道ファンから幻の車両などと呼ばれる。

 近年の例を挙げれば、JR北海道が一編成3両だけを試作したキハ285系という車両がそれにあたる。一体どんな車両だったのか?

「キハ285系は、複合車体傾斜システムとモーター・アシストハイブリッド駆動システムにより、スピードアップと省エネルギー化を両立する次世代の特急気動車として開発していました」と説明するのは、JR北海道広報部報道グループの担当者だ。

 この説明だけを聞いても、鉄道に詳しくなければ何を言っているのか理解できない。もう少し噛み砕いて説明すると、複合車体傾斜装置とは列車が走行する際に車体を傾けるシステムを言う。

 列車に限らず、バイクや自転車などはカーブを曲がる際に車体を傾けている。これは、カーブを曲がる際に発生する遠心力を軽減するためだ。この車体を傾斜させることで、スムーズかつ減速せずにカーブを曲がることができる。車体を傾斜させることで、乗客の乗り心地も保っている。

 乗客、そして列車の運行に適した傾斜は綿密に計算されて算出されている。開発が進められていたキハ285系は、従来よりも車体を傾斜できる性能を向上させた。乗り心地は損なわれず、カーブでの減速も少なく抑えたことにより、所要時間を短縮。利用者の利便性も向上するはずだった。

「キハ285系が開発を中止した理由は、(1)速度向上よりも安全対策を優先すること。(2)コストとメンテナンスの両面から過大な仕様であること。(3)従来形式での車両形式の統一によって、予備車共通化による全体両数の抑制と機器共通化によるメンテナンス性の向上が図られること。この3点によるものです」(同)

 平たく言えば、キハ285系は高性能すぎて、開発・製造コストが高くなりすぎた。そして、メンテナンスコストも高くなるので、JR北海道の手に余る――ということだ。

 こうして、キハ285系は1編成3両だけが試作されるだけに終わった。以降、JR北海道の社内から開発を再開する機運も芽生えなかった。

 そして、「売却を検討しましたが、購入希望先がなかった」(同)ことから売却は叶わず、「使用用途を検討しましたが、使用見込みがない」(同)ために解体を余儀なくされる。

 技術的な細かい話は、鉄道に興味がなければ気にならない。幻の車両などと言われても、それまでの車両と何が違うのかサッパリわからない。だから、多くの人たちは聞き流してしまうだろう。

 しかし、かつての国鉄が東京電力よりも早く原子力の研究に乗り出し、原子力機関車の開発を極秘裏に進めていた。その車両も開発・製造コストの関係から幻の車両になったと聞けば、興味を示す人はいるかもしれない。

 その発端は、今、世間の耳目を集めている日本学術会議が1954年に原子力に関する平和利用の声明を発表したことだった。

 それまでの日本は、極東委員会から原子力研究を禁じられていた。敗戦国という立場もあり、日本はそれに従った。

 しかし、日本学術会議が原子力の平和利用を打ち出したことで、日本国内でも原子力研究は実質的に解禁される。政府は原子力研究に予算を割くようになり、1955年から国鉄は原子力の研究を開始した。

 翌年には、日本原子力研究所が茨城県東海村に実験炉の建設を開始。原子力は、新しいエネルギーとして国家の期待を一身に背負う。

 国鉄が原子力の研究を始めたのは、すでにアメリカやソビエト、西ドイツなどが原子力機関車を実験的に製造していたからだ。国鉄はこれらの国に追いつこうと、技術開発を急いだ。

 国鉄が開発を進めた原子力機関車は、A100形という名称をつけられる。A100形は濃縮ウランを燃料とし、原子炉で発生させた熱でガスタービンを駆動させる。A100形は、最高時速が95キロメートル。当時としてはそれなりの性能だが、最大の欠点は重量だった。

 ただでさえ、機関車は鉄の塊。原子炉を搭載すれば、さらに重くなる。燃料などを満タンにすると、A100形の運転整備重量は179トンにも及ぶ。この重さでは、まともに列車を運転できない。線路にも過大な負荷をかけてしまうだろう。また、A100形はエネルギー効率でも問題があった。

 こうした問題をクリアするのは難しく、国鉄は製造コスト・ランニングコストなどが見合わないと試算。開発は中止された。こうして、原子力機関車の研究・開発は終わり、A100形は幻の車両と語り継がれるようになる。

 一方、東電は原子力発電を実現。原発が実現したこともあり、国鉄は原発が生み出す電気を用いて列車を動かすという方針へとシフトする。これは、国鉄が1960年代から推進した動力近代化・電化の方針にも合致した。

 こうして蒸気機関車はディーゼル機関車へ、そして電車への転換が図られていった。その流れは、JRに改組した後も引き継がれていった。

 現在、JR各社はクリーンエネルギーへの取り組みを加速させている。JR東日本はトヨタ・日立製作所などと協力して、水素で走るハイブリッド車両の開発を実現の一歩手前まで漕ぎ着けている。

 新しい技術の研究・開発に、どうしても失敗はついて回る。未完に終わりそうな三菱のジェット機開発も、JR北海道のキハ285系も、新しい技術に挑戦した一例でもある。

 科学技術は失敗を積み重ね、試行錯誤を繰り返して成功へと近づく。そうやって社会は少しずつ前進していく。

 失敗は決して徒花ではない。未来への養分でもある。いつか花開く日がくる、のかもしれない。

小川裕夫/フリーランスライター

週刊新潮WEB取材班編集

2020年11月9日 掲載

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