秋篠宮さまが示された「皇太子の称号」への難色 「立皇嗣の礼」の裏側

■挽回月間


 令和の代を迎えて早や1年半。御代替わりに関する儀式は、11月8日の立皇嗣の礼をもって終了した。お世継ぎとしての立場を固められた秋篠宮さまは、実は「皇太子」という称号を望んでいなかったため、今回「皇嗣殿下」という身位が新たに設けられたという裏事情があるのだ。

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「最近、ご一家のお出ましがとみに目立ちます。10月17日に営まれた中曽根元首相の合同葬には、ご夫妻と眞子さま、佳子さまの四方で参列なさいました。直後の19日にも、ご夫妻で千鳥ヶ淵戦没者墓苑の秋季慰霊祭に臨席なさっています」

 あわせて発信も活発になさっており、

「紀子さまは20日、結核予防のオンライン国際会議で英語のスピーチをなさいました。また秋篠宮さまも24日、全国『みどりの愛護』のつどいで、コロナ感染拡大後に初めてビデオメッセージを寄せられています」

 10月28日には鎮座百年祭を前にご夫妻で明治神宮を参拝され、さらには、

「立皇嗣の礼の直前、今月6日には眞子さまと佳子さまが揃って参拝なさいました。佳子さまにとっては、今回が初めての明治神宮ご参拝となりました」

 というのだ。折からの眞子さまと小室圭さんとの結婚問題が長引き、皇室史上かつてないほど厳しい世評に晒されている秋篠宮家にとって、立皇嗣の礼までの1カ月間はいわば“挽回月間”だったのだろうか。

 もっとも秋篠宮さまは、皇位継承順位1位と宣明されることに、きわめて安らかならざるお気持ちを抱かれていたという。

「秋篠宮さまは、陛下とは異なり幼少時から“帝王学”教育を施されてこられたわけではありません。そうしたお立場や、そこから生じるお気持ちがこれまで、お振る舞いによって露わになることがままありました」(皇室ジャーナリスト)

 それは例えば2018年11月のお誕生日会見での、

〈大嘗祭は(国費を使わず)身の丈にあった儀式に〉

〈宮内庁長官は聞く耳を持たなかった〉

 といった、天皇となられる兄宮の重要儀式に対する苦言からも窺え、また御代替わり直前には、

〈兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです〉(「朝日新聞」19年4月21日朝刊)

 とのお気持ちも吐露されていたと報じられた。上皇さまの生前退位に関する特例法が成立した17年6月以後に漏らされていたといい、ややもすれば“即位拒否”とも捉えられかねずさまざまな臆測を呼んだ。が、そもそも今回、「皇嗣殿下」という身位が新たに設けられたのは、秋篠宮さまご自身が「皇太子」となられることに難色を示されたからだというのだ――。

■「皇太子」という称号を望まず


 皇室研究者の高森明勅氏が言う。

「今回の立皇嗣の礼のモデルとなったのは1991年の立太子の礼です。これは皇太子であることを内外に宣明する儀式ですが、皇太子というのは次代の天皇であることが規範上、かつ理念上ほぼ確定されているお立場。だから立太子の礼は“次の天皇のお披露目”といっても過言ではありません。一方で皇嗣とは、あくまで現時点で皇位継承順位が第1位であることを意味する呼称。従って立皇嗣の礼とは、次の天皇であることを確定的にする場ではないのです」

 遡ること4年、生前退位のご意向を強くにじませた上皇さまの「おことば」を受けて「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が設けられ、16年10月から議論が始まった。当時、座長代理を務めた御厨貴・東京大学名誉教授が明かす。

「会議が始まった当初は、有識者メンバーの誰もが“次代は秋篠宮さまが皇太子と呼ばれるのだろう”と考えていたはずで、私も観念的にそう思っていました。ところが事務局となっていた内閣官房の人たちと話すうち、当の秋篠宮さまご自身が『皇太子』という称号を望んでおらず、同時に秋篠宮家という家の名も残したいとのご意向が伝わってきたのです。その詳しい理由は分かりませんでしたが、会議はおのずとそうした雰囲気になり、代わりに“皇嗣”という称号が用いられることが決まったのです」

「週刊新潮」2020年11月12日号 掲載

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