伊吹衆院議長の名言 眞子さまの父親と皇嗣であることの「相克」に耐える秋篠宮さま

 秋篠宮さまは11月8日に「立皇嗣の礼」を終え、11月30日に55歳のお誕生日を迎えられた。これから皇位継承順位第一位の皇嗣として、実質的に皇太子と同等のお立場で公務を果たしていかれることになる。

 その秋篠宮さまがお誕生日を前にした記者会見で、長女眞子さまと小室圭さんの結婚を認める発言をされたことで、今後、具体的な進展に向けた動きが出てくることが期待されるが、相も変わらずテレビのワイドショーや週刊誌などは、あれやこれやとかまびすしい。そうした中、自民党の伊吹文明元衆議院議長が今月3日、最高顧問を務める自民党二階派の会合で発言した内容が話題になっている。

 新聞では「小室氏に苦言」が見出しになったが、私は「(皇嗣としての)ノブレス・オブリージュ」という言葉に注目した。伊吹氏は同僚の政治家たちを前にこう語った。「父親としての娘に対する愛情と、皇嗣という者のお子様である者にかかってくるノブレス・オブリージュ(高貴なる義務)としての行動と両方の間の、相剋のようなつらい立場に皇嗣殿下はあられるんだなと思った」

 ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)はフランス語で、直訳すると「高貴であることは義務を強制する」。「高貴であるが故の義務」などとも訳される。一般的には「身分の高い者はそれに応じて果たさなければならない社会的義務がある」などとする欧米の道徳観を示す表現として使われる。義務とはもちろん、法的な義務ではなく倫理的な意味での義務である。

 伊吹氏は、秋篠宮さまが、皇嗣としての立場と娘を愛する父親としての立場に挟まれて苦悩されていることを、京都の老舗繊維問屋出身の元大蔵官僚らしい上品な表現で言い表した。伊吹氏は言わなかったが、秋篠宮さまがそうした「相克」の中で、皇嗣としてのお立場を優先されていることは言うまでもない。

 テレビの昼番組では眞子さまの結婚問題について、実にさまざま芸能人や評論家と称する者たちが、推測を交えてあれこれコメントしている。そんな現状に飽き飽きしている私たちにとって、ややおおげさかもしれないが、伊吹氏の発言は秋篠宮さまへの敬意を込めて現状を憂える政治家の名言として歴史に残るかもしれない。

 その他の伊吹氏の発言についても、以下に要約して紹介しておきたい。「小室さんは週刊誌にいろいろ書かれる前に、やはり皇嗣殿下がおっしゃっているようなご説明を国民にしっかりとされて、そして国民の祝福の上に、ご結婚にならないといけないんじゃないか」「国民の要件を定めている法律からすると、皇族方は、人間であられて、そして、大和民族・日本民族の1人であられて、さらに、日本国と日本国民の統合の象徴というお立場であるが、法律的には日本国民ではあられない」「眞子さまと小室圭さんの結婚等について、結婚は両性の合意であるとか、幸福の追求は基本的な権利であるとかいうことをマスコミがいろいろ書いているが、法的にはちょっと違う」―――――。

■「立皇嗣の礼」に祝意も示さず意義も説かない新聞の社説


 話題を皇位継承儀式の最後の式典である11月8日の「立皇嗣の礼」に戻そう。天皇陛下はこの式典の中の「立皇嗣宣明の儀」に於いて「秋篠宮さまが皇嗣であること」を広く宣言し、皇太子に代々受け継がれてきた壺切御剣(つぼきりのぎょけん)を授けられた。秋篠宮さまが皇位継承順位第一位の皇嗣であることは皇室典範の規定によって既に決まっていることではある。それでも、コロナ禍の中で延び延びになっていた国家行事としての立皇嗣の礼が滞りなく行われたことを、まずは国民の一人として慶びたい。

 式典が行われたことで、テレビの映像を通して多くの国民が伝統的な儀式を目にしたことの意味は大きい。皇嗣である秋篠宮さまが名実ともに皇太子と同等の地位にあり、将来、皇位が秋篠宮さま、そして親王の悠仁さまへと受け継がれていくという流れを国民の多くが確認したと言えるかもしれない。

 マスコミ各社は立皇嗣の礼について詳しく報道したが、筆者が違和感を覚えたのは新聞の社説である。読売新聞や産経新聞などを除く全国紙や地方紙の多くは、冒頭に立皇嗣の礼が行われた事実を記しただけで、その意義についてはほとんどと言ってよいほど触れなかった。「天皇の代替わり行事は幕を閉じた」の一言で片付けたものもあった。

「(立皇嗣の礼を)皇位継承の在り方を考えるきっかけにしなければならない」「議論の先送りは許されない」という常套句を多用し、その多くを“政府の怠慢”に対する批判に費やし、婉曲的表現で、女性宮家の創設や女性天皇・女系天皇が必至であるかのように読者を誘導した。

 ちなみに、地方紙ほどその傾向が強い印象を感じた。これは、地方紙の社説が、地域の話題を除けば、必ずしも不偏不党とは言い難い通信社が配信する“社説”をそのまま使ったり、内容の一部をリライトして掲載する場合が多いからなのかもしれない。国民の感覚からすれば、立皇嗣の礼が行われたことに対して祝意の一言でもあればと思うが、そのかけらも感じ取れない社説が少なくなかったのは残念である。


■「皇位が今後も安定的に継承されることを示す意味を持つ」立皇嗣の礼


 政府は平成30(2018)年に譲位(退位)や即位等に供えた「式典準備委員会」を設置し、式典のあり方について有識者4人からヒアリングを行った。

 このうち、元内閣官房副長官の石原信雄氏は「皇太子ではなくとも、皇太子と同様のお立場になられ、皇太子と同様の御活動をしていただくのだから、 そのようなお立場になられたということを明らかにするための儀式は行うべきだ」と述べている。言い換えれば、皇太子と同様の地位や身分で同じ活動をしていただくのだから、そういう立場にあるということを敢えて明らかにする儀式が必要だということになろうか。

 さらに、東大史料編纂所教授の本郷恵子氏は「明治以降初めて、直系ではなく兄弟間の継承が行われることになる。親から子への継承に比べると、それほど一般的とはいえないケースなので、慎重に準備する必要があるだろう」とした上で、「上記を踏まえれば、今回の儀式は、天皇位が今後も安定的に継承されることを広く示す意味を持っているので、特に重要である」と述べている。つまり、今回は天皇から皇子(天皇の男子)への継承ではないが、それだけに、これからも皇位継承が安定的に行われるのだということを国民に向けて示す意味があるのだという。確かに一般国民の多くは、今回の立皇嗣の礼を、そうした意味合いを感じて前向きに受け止めたのではないだろうか。

 また、同じヒアリングに於いて、元最高裁判事の園部逸夫氏は「秋篠宮殿下がなられる皇嗣は、皇室典範が定める皇嗣であることに加え、『皇太子の例による』特別な皇嗣であるから、秋篠宮殿下が皇嗣であることを公に告げられる儀式は国の儀式として行われることが望ましい」と述べている。

 さらに京都産業大名誉教授の所功氏は次のように主張した。「今回皇嗣となられる文仁親王殿下は、内廷皇族でなく、秋篠宮家の当主を続けられるとすれば、身位が安定しない。まして生まれながらの皇太子である徳仁親王殿下ですら、父君の即位後(平成3年2月23日)「立太子の礼」を行っておられる。従って、秋篠宮文仁親王殿下は、兄君の即位後(例えば新元号元年の11月30日の御誕生日)、父君や兄君と同様、「立皇嗣宣明の儀」「参内朝見の儀」を「国の儀式」として行われ、その際、兄君から「壺切の御剣」を受け継がれる必要がある」。

 各識者とも、立皇嗣の礼を行うこと、しかも国事行為として行うことの意義をわかりやすく説いている。それが単なるセレモニーではないことがよくわかる。

 ところで、宮内庁は大嘗祭や宮中祭祀を含む皇位継承儀式の総称を「大礼」という伝統的な表現で呼んでいる。宮内庁長官をトップとする「大礼委員会」を設置し、上皇さまの譲位、そして天皇陛下の即位に続く一連の皇位継承儀式の最後に立皇嗣の礼を入れた。

 あまり注目されなかったが、実は今上天皇が平成3(1991)年2月のお誕生日に臨まれた「立太子の礼」はこの大礼に含まれていなかった。一連の皇位継承儀式と切り離した独立した式典として位置づけていた。今回はなぜ立皇嗣の礼が大礼に含まれたのか。宮内庁幹部は「そういう組み立てになっただけ」としか言わないが、元幹部の一人は「立皇嗣の礼を広い意味での皇位継承儀式と位置づけ、秋篠宮さまが次の天皇となるべき方であることを国民に知らしめたい思いがあったのではないか」と話す。


■天皇が壺切御剣を親授されたことの重みと新嘗祭での皇嗣の役割


「立皇嗣の礼」では、宮殿の鳳凰(ほうおう)の間に於いて皇室行事としての「皇嗣に壺切御剣親授」が行われ、皇太子という身位の「しるし」として受け継がれてきた壺切御剣を陛下が秋篠宮さまに授けられた。親授とは天皇が直接授けるという意味で、恒例行事としては文化勲章親授式などがある。長さ約1mの御剣の鞘(さや)は漆塗りで、銀の装飾が施されている。古文書には平安時代前期の寛平5(893)年、後の醍醐天皇となる敦仁(あつぎみ)親王が父の宇多天皇から授けられたとされる記述が残っている。途中で中断や紛失もあったが、いわゆる皇太子相伝の剣として伝えられてきたと言われる。

 秋篠宮さまは今回の立皇嗣の礼を終えるまでは、宮中祭祀の決まりによって宮中三殿では皇嗣となってからも昇殿はできなかった(1990年のご成婚時の拝礼を例外として)。他の皇族方や参列者と同じく庭上からモーニングを着て拝礼されていた。立皇嗣宣明の儀と壺切御剣の親授を経て、ようやく昇殿が可能となり、立皇嗣の礼当日の「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」では、御剣を捧持する侍従を従えて殿上で拝礼された。

 それから二週間後の11月23日、皇居では特別な宮中祭祀である「新嘗祭」が行われた。この日は皇居や全国の神社等で五穀豊穣を神々に感謝する新嘗祭が行われる「祝祭日」だったが、戦後の昭和23年に「勤労感謝の日」となって今に至っている。

 新嘗祭とはごくごく簡単に言うと、皇居の神嘉殿(しんかでん)という社殿に於いて、天皇陛下がご自身で皇祖神の天照大神や神々に新米の御飯や山海の幸をお供えして五穀豊穣を感謝するとともに国家・国民の平安を祈られ、ご自身もそのお下がりを召し上がるというものだ。その間、庭では篝火(かがりび)が灯され神楽歌が静かに奏される。陛下は夕刻から未明にかけ、板間に正座したまま約一時間半の所作を二度繰り返されるが、宮内庁関係者は「ご夕食と朝食をそれぞれ差し上げて丁重にもてなされるイメージで捉えればわかりやすい」と説明する。

 その間、秋篠宮さまは、壺切御剣が置かれた隔殿(かくでん)と呼ばれる板間で正座してじっと控えられ、陛下のご所作を拝することはできない。これが新嘗祭での皇嗣のお役目であり、今上天皇も皇太子としてそれを続けてこられた。皇太子だった2014年の歌会始では、こんな御歌を詠まれている。

 御社(みやしろ)の静けき中に聞え来る歌声ゆかし新嘗の祭

 歴史学者の所功氏は著書『天皇の「まつりごと」 象徴としての祭祀と公務』(日本放送出版協会)の中で、「その座から正殿の御座はご覧になれないが、静かな薄明かりの中で新嘗祭の真義をおのずと感得されるのであろう」と記している。


■「皇嗣が次の天皇になることは確定していない」と言う女系天皇論者


 立皇嗣の礼を受けて、識者がさまざまなメディアで皇位継承に関する意見を述べているが、その中に極めて不思議なコメントがあった。皇室評論家の肩書を持つ高森明勅氏の「皇嗣は皇太子や皇太孫と異なり、必ずしも次の天皇になることが確定していない」とする発言だ。一部の新聞などに掲載されたもので、「皇位の安定継承を目指して検討する際、秋篠宮殿下の即位を既定の事実のように捉えるのではなく(中略)ゼロベースで最善の解答を探るべきだ」とも話している。

 皇嗣とは次の天皇になる方のことを指すはずだが、確定していないとはどういうことか。ゼロベースとは皇室典範に規定された法律上の事実を無視するということなのか。

 皇室典範特例法には第五条に「第二条の規定による皇位の継承に伴い皇嗣となった皇族に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太子の例による」が設けられた。この「皇太子の例による」とは、まさしく「皇太子と同じ扱いとする」ことであり、この規定も無視していることになる。

 そう思っていたら、高森氏はこんなコメントも付け加えていた。「秋篠宮殿下の場合、天皇陛下より5歳お若いだけなので、将来、陛下がご高齢を理由に退位された後、実際に即位されるとは考えにくい」。これは過去に朝日新聞が報じた「兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからは(即位することは)できないです」と秋篠宮さまが発言されたとする記事をベースにしているようだ。

 皇室典範第三条には「皇嗣に精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変えることができる」とある。この規定を使えば、将来的に秋篠宮さまが即位を辞退されることはあり得るかもしれない。それでも、秋篠宮さまが天皇になることが確定していないというのは論理の飛躍ではないか。陛下にご病気などで突然のことがあることだって考えられる。その時にも「(秋篠宮さまが)天皇になることが確定していない」となれば皇位は一体どうなるのか。要は皇位が秋篠宮さま、そして悠仁さまへと継承されていく現行法での既定事実を認めたくないだけなのではないのか。氏が女性・女系天皇を目指したいのであれば、現在ある皇室典範の規定を認めた上で論を展開しないと、ただの感情的な発言で終わってしまう。安定的な皇位継承を説きながら、逆に不安定化させようとしているのではと勘ぐりたくもなる。

 高森氏はコメントの中で「今の時点で皇位継承順位が一位の皇嗣」という言い方もしている。これはいったいどういう意味だろうか。宮内庁の現役幹部の一人は「先はどうなるかわからないと言っているのに等しく、皇太子相伝の壺切御剣を親授された天皇陛下だけではなく、朝見の儀で『(皇嗣として)これからも力を尽くしてまいりたい』と述べられた秋篠宮殿下に対しても、極めて敬意を欠いた物言いだ」と表情を曇らせる。過去に多くの啓蒙書を著し、皇室を敬愛していたはずの人物の発言だけに残念でならない。

椎谷哲夫(しいたに・てつお)
昭和30(1955)年宮崎県都城市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、中日新聞東京本社(東京新聞)編集局で警視庁、宮内庁などを担当。宮内庁では5年余にわたり昭和天皇崩御や皇太子ご成婚などを取材。休職して米国コロラド州で地方紙記者研修後、警視庁キャップ、社会部デスク、警察庁担当。在職中に早大大学院社会科学研究科修士課程修了。総務局、販売局、関連会社役員を経て昨年9月末、編集局編集委員を最後に退職。現在、ジャーナリスト(日本記者クラブ会員)として活動。著書に『皇室入門』(幻冬舎新書)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年12月18日 掲載

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