小児ガンを克服、お笑い芸人を目指した「23歳青年」はなぜ自死したのか【石井光太】

「小児ガンから回復しても、その後の人生はとても大変なものになります。私の経験でいえば、小児ガンを経験した人は、大病をせずに育った健康な人より、自殺率が十倍くらい高い。病後の生活は、それだけ困難なのです」

 こう語ったのは、小児科医の原純一(大阪市立総合医療センター副院長)だ。

 日本では年間二五〇〇〜三〇〇〇人くらいの子供が小児ガンだと診断されている。発生率はおおよそ一万人に一人だ。

 かつて小児ガンの子供は、半数ほどが治療の甲斐なく亡くなっていたが、近年は医学の発達によって七割ほどが回復して社会復帰を果たしている。だが、一方でその子供たちの多くが、過酷な治療による合併症や後遺症に苦しみ、社会に居場所を見つけられずに苦しんでいる。そのことはあまり知られていないように思う。

 子供たちが抱えるそうした困難は、「晩期合併症(晩期障害)」と呼ばれている。難病を克服した子供たちは、なぜもがきつづけなければならないのか。

 私が四年がかりで取材をしたノンフィクション『こどもホスピスの奇跡――短い人生の「最期」をつくる』(新潮社)をもとに、知られざる子供たちの苦悩について述べたい。

 日本には、各地に十五カ所の「小児がん拠点病院」がある。その一つが大阪市立総合医療センターだ。

 院内には、小児ガンや緩和ケアの専門医の他に、病棟保育士や院内学級の教師、それに遊びを通して病院と子供と家庭をつなぐホスピタル・プレイ・スペシャリストなどがおり、子供たちの闘病生活を支えている。病状が落ち着いた子供であれば、「院内運動会」「音楽会」「社会科見学」などに参加することもできる。

 小児ガンは、白血病、脳腫瘍、リンパ腫、神経芽腫など複数ある。治療には、成人同様に、抗ガン剤治療、放射線治療、外科手術などが用いられる。

 こうした治療が子供たちに及ぼす悪影響は計り知れない。たとえば、抗ガン剤はある種の「猛毒」だ。それを体内に入れて悪性腫瘍を消し去ろうとするが、同時に正常な細胞にも甚大なダメージを与える。これが脱毛、嘔吐感、発熱といった副作用を生じさせ、さらに後遺症をもたらす。放射線治療についても同様だ。

 原は言う。

「子供は発達途中なので、抗ガン剤や放射線治療の悪影響を大人よりも受けてしまいます。その結果、身長をはじめとした身体の成長が遅れて低身長になったり、心臓、消化器、肝機能などに異常が表れたり、若いうちに他のガンになったりする。成人後は、生殖機能に障害が出て不妊症の可能性も出てきます。また、脳腫瘍の後遺症で脳の一部がダメージを受けて、身体の麻痺や、高次脳機能障害による記憶障害が起こる。こうしたことを抱えていくことが晩期合併症の現実なんです」

 生活面においても影響は少なくない。長い闘病生活によって学校へ行けずに友達がいない、学歴を持てないといったことが起こる。経済的問題や愛情の偏りから、家族や兄弟がバラバラになることもある。こうしたことすべてが人生を歩む上でのハンディとなるのだ。

『こどもホスピスの奇跡』で紹介した子供たちの中から、羽田大和(仮名)の例を記したい。

 大和は一歳半の時に小児ガンが見つかり薬物療法や外科手術を受け、三歳で退院した。だが、待っていたのは家庭崩壊だった。闘病中に両親が考えの違いからぶつかり、離婚を決意。母親が姉を連れて家を出ていってしまったのだ。大和は父親に育てられることになった。

 小学生に上がった大和が直面したのは、治療の後遺症による低身長だった。九歳からホルモン治療を開始したが、さほど効果は得られず、最終的には百四十センチまでしか伸びなかった。これが大きなコンプレックスとなり、人付き合いも限られ、勉強にも身が入らなかった。

 大和は定時制高校へ進学した後、「背の低いことを活かせる」と考えて、お笑い芸人になる目標を立てる。アルバイトで稼いだお金で松竹芸能タレントスクールへ通った。お笑いによって、父子家庭や低身長といった劣等感を振り払おうとしたのだろう。

 タレントとして芽が出ようとしていた十九歳の時、大和は再び病魔に襲われる。血液のガンにかかっていることが判明したのだ。幼少期の抗ガン剤治療が影響したのかもしれない。医師からは、治癒には「骨髄移植」しかないと言われた。

 骨髄移植のドナーの適合率は、数百人〜数万人に一人。親子でも合致するのはまれで、きょうだい間でも二十五%ほどだ。検査の結果、唯一適合したのが、幼い頃に離れ離れになった姉だった。この時、姉は大学受験を控えていた。

 大和は言った。

「姉さんとはずっと会っていなかったし、大学受験を邪魔するわけにいかないよ。俺、骨髄移植は受けない」

 父親は猛反対した。何が何でも生きてほしかったのだ。

 大和は説得されて骨髄移植を受け、最悪の事態を回避した。だが、治療によって顔は無数のブツブツができてむくみ、体調も完全にはもどらなかった。大和はそのショックから家にふさぎ込んだ。こんな外見や体調では、お笑いなんてできない……。

 彼は家に引きこもる中でお笑いの道をあきらめ、CAD(コンピューター支援設計)のオペレーターという新たな夢を見出した。これなら家で自分のペースで働くことができる。だが、勉強をはじめて間もなく、重度の色覚特性が発覚し、夢を断念せざるをえなくなった。

 父親は言う。

「息子は病気のせいでどれだけ挫折したんやろと思います。ガン治療、親の離婚、低身長などを乗り越えて芸人になる夢を抱いたら、ガンでまた挫折。CADのオペレーターになる目標まで色覚特性で奪われてしまった。幼いころから何度もこんなことがつづけば、希望が抱けなくなるのも仕方がありません」

 大和は再び家に引きこもるようになった。そして二十三歳になった年の夏のお盆に、父親と二人で暮らす家でひっそり首をつって自殺したのである。遺体は、朝早く父親によって発見された。

 こうして見ていくと、小児ガンの子供たちが病魔を克服したとしても、様々な壁にぶつかっていることがわかるだろう。後遺症や再発に悩まされ、家庭が崩壊され、学歴を奪われ、不妊症の不安を抱え、夢を打ち砕かれる。それが若いガンのサバイバー(生存者)が直面する現実なのだ。

 原は言う。

「医者の役目は、病気を治すことです。でも、こうした子供を見ていると、その後の人生まで支えていかなければならない。病気だけじゃなく、病後の生活も含めて支援することが欠かせないのです。

 でも、病院ではそこまでの役割を果たせません。だとすると、病院だけじゃなく、地域でもって彼らをサポートしていかなければならない。それには何が必要なのか。一つの結論として浮かんだのが、子供の人生を支えるための民間施設だったのです」

 一九九〇年代から原は医師、看護師、保育士、心理士などによる多職種の勉強会を開き、ガンの子供たちが抱える問題の理解を深めていく。そして約二十年の歳月をかけて大阪の花博記念公園鶴見緑地に「TSURUMIこどもホスピス」という日本初の民間小児ホスピスを設立したのだ。

 ここは、ホスピスといっても、看取りの施設ではない。木造のきれいな建物にはたくさんの遊び道具や、芝生の庭があり、看護師や保育士など様々な専門を持ったスタッフが子供たちを迎える。個人利用はもちろん、夏祭り、クリスマス会、宿泊キャンプなどもできる。

 ホスピスが目指すのは、子供たちに一時であっても病院から離れて家族と思い出をつくってもらったり、心を休めてもらったりすることだ。子供が子供として生き、成長した後もそこへ行けば自分を理解し受け入れてくれる人たちがいると思える空間。いわば、闘病という砂漠にあるオアシスのような施設を志しているのだ。

 原の言葉である。

「『TSURUMIこどもホスピス』では、末永い支援を目指しています。難病の子供は病気が治った後も様々な壁を乗り越えなければなりません。その時、ホスピスのスタッフやボランティアが相談に乗ったり、励ましたり、一緒になって泣いたり笑ったりすれば、支えになることは間違いありません。そんな場所が一つあるだけで、その子の人生はまったく違うものになるはずなんです」

 日本には、難病の子供が合計二十五万人いるとされている。そのうちの少なくない子供たちが、病中、病後の苦悩を理解し、自分を受け入れ、共に歩んでくれる人や空間を求めている。

 拙著『こどもホスピスの奇跡』では、医療者や難病の関係者が、子供を支える施設をつくりたいと考え、ホスピスの設立を実現するまでを描いた。詳しいことはそちらを読んでいただきたいと思う。

 一つここで言えるのは、子供が健康に育つか、難病になるかは、「運」だということだ。だからこそ、社会は子供の難病を「運が悪かった」で終わらせるのではなく、きちんと支えていくべきなのだ。それができる社会と、そうでない社会。あなたはどちらに生きたいと思うだろうか。

 たまたま小児ガンになった子供たち。彼らがどのような人生を送っているのか。晩期合併症という視点からそれを知り、自分に何ができるかを考えることが、社会の構成員である私たちに求められているのだ。

石井光太(いしい・こうた)
1977(昭和52)年、東京生まれ。著書に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体――イスラームの夜を歩く』『絶対貧困――世界リアル貧困学講義』『レンタルチャイルド――神に弄ばれる貧しき子供たち』『ルポ 餓死現場で生きる』『遺体――震災、津波の果てに』『蛍の森』『浮浪児1945――戦争が生んだ子供たち―』『「鬼畜」の家――わが子を殺す親たち』『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか』などがある。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年12月28日 掲載

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