レストラン経営者の前で移住者が土下座 理不尽な怒りに直面する田舎暮らしのリスク

レストラン経営者の前で移住者が土下座 理不尽な怒りに直面する田舎暮らしのリスク

田舎移住で理不尽なリスクも

レストラン経営者の前で移住者が土下座 理不尽な怒りに直面する田舎暮らしのリスク

田舎暮らし(写真はイメージです)

田舎の“日常”


“事件”は12月1日の晩に発生した。東京からおよそ150キロ、中央道で都心から2時間弱の山梨県北杜市清里。昭和のバブル期にはおおいに賑わったこの街も、閑散として久しい。

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 驚きの光景を目撃した地元住民が語る。

「地元でうまいビールを飲みに行こうと思えば、まずその店が思い浮かぶはずですが、あの晩も女房や子供と久しぶりに訪れました。で、ふと傍らを見ると、その店のオーナーの親族の前で、背広姿の中年の男が土下座して、何度も何度も頭を下げているじゃないですか。『なんとか今日だけは勘弁してください』とか繰り返しながら、必死で親族の足にすがりついているんです。そのテーブルには、ほかに男女2人が座っていましたが、慄然とした表情をしていました」

 タイルの床に頭を何度もこすりつけている男は誰なのか。

「背広を着ていたので、どこかの出入り業者が不始末でもして謝っているのかな、くらいに思っていました。その男性が立ち上がると顔が見え、驚きましたよ。僕らと同じで、数年前に移住してきた知り合いだったんですよ。彼は、夏場は林業をやったり、コンビニエンスストアで働いて、冬場は地元のスキー場でリフト係をやったりして、暮らしています。地元の人たちとは『自分の性格では馴染まないから』って、人里離れた場所の小屋を借りて暮らしている人です。お店にも移住当初から惚れ込んで、僕ら移住者同士、家族ぐるみでよく来ていました。彼の誕生日会を、その店で開いたこともあったんです。常連の彼がどうして土下座しているのか、もうびっくりしました」


■土下座の理由


 その店のオーナーは、地元でもちょっとした有名人だ。

「彼自身は移住者、地元民を問わずに気さくで、ガッツもあふれて勇気をくれる人で、誰からも愛されています。ただ、その親族が……」

 オーナーの親族も、その飲食店の経営に関わっている。

 それにしても今どき「土下座」など、もはや半沢直樹の世界以外ではお目にかかる機会などないはずだ。

 そこで土下座した中年男性に、ことの経緯を訊ねてみた。

「実はあの日は、僕の知人で、山梨県庁の要職に就いている方が、清里に宿泊されました。彼は東京出身なので、ぜひ山梨でも1、2を争うお店もお連れしようと、わざわざ予約をしたんです。店に着いて、挨拶をした、その瞬間でした……」

 オーナーの兄弟は、山梨県庁の職員の前で、「甲州弁がわかるか」と切り出した。

「清里は山梨県庁が嫌いじゃ」と、いきなり甲州弁で怒鳴ったのだ。

「『山梨県庁の感染症対策はふざけてやがる。感染症対策をするためにテーブルの上にパーティーションを置いたら、店の雰囲気が台無しだ。県庁のやつらはそれをわかっているのか』と。観光客が多い山梨県では、グリーン・ゾーン認証という独自の感染症対策を行っています。一定の基準をクリアしたお店には、証明書を出しているんです。彼は『自分の店は規準をクリアできない。県を訴えてやる』と言い出しました。それで僕は『今日お連れした人は担当者ではない。今日は清里で一番おいしいお料理をと思ってお招きした』と何度も言ったのですが、ダメでした。食事どころではない雰囲気になって、それで土下座した次第です。もう本当に参りました」


■土下座のリスク


 中年男性が疲れた表情で続ける。

「都会とされる甲府の一部分をのぞけば、山梨ではたいがい、どこへ行っても、こんなものですよ。本人の勘違いだろうが理解不足だろうが、お年寄りに限らず、一方的に怒鳴られることはよくあります。つまり、田舎暮らしというのは常に、こうした理不尽な怒りに直面するリスクがあるんです」

 コロナ禍で、2拠点居住=デュアルライフという言葉に注目が集まっている。都心と地方など、2つの住居を構えるという意味だ。

 山梨県の人気地の別荘地では、「もはや売りたくても物件がない」(小淵沢の不動産業者)と言われるほどである。

 理不尽な怒りは、習俗の壁、人柄の違い、と言う者もいる。しかし個人では、その不条理を簡単に解消することはできない。

 山梨県ではこうしたトラブルを防止しようと、企業や団体などまとまった数で定住する「コミュニティー移住」の誘致を進めていく。


■オーナー一族は反論


 清里で起きたこの土下座事件は、地元で一斉に広まったことは言うまでもない。

 では、お客に恥をかかせたオーナーの親族の言い分を聞いてみよう。

「山梨県は裸の王様だってんだ。独自の感染症対策がいいって言うんだったら、ほかの自治体だって真似するはずだろうが。パーティーションで机の上を区切って、料理を小皿に分けて、それで初めてマスクを外して食事をして楽しいかってんだ。だからうちは、感染しても自己責任。安全なグリーンじゃねえ。イエロー・ゾーンだって謳ってんだ」

 山梨では感染者だけでなく、濃厚接触者というだけで、村八分にされかねない。そんな地元の状況を知っているはずの人物にしては、あまりにも意外な発言である。

 どんなに移住歴が長くなり、地元民と親しくなっても、土下座のリスクは常にある。

 それを回避する術はない。それもまた、田舎暮らしの現実なのだ。

清泉亮(せいせん・とおる)
1962年生まれ。近現代史の現場を訪ね歩き、歴史上知られていない無名の人々の消えゆく記憶を書きとめる活動を続けている。

週刊新潮WEB取材班編集

2021年1月3日 掲載

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