セクハラ次官「福田淳一」、公文書改ざん「佐川宣寿」… 財務省スキャンダルの背景にある「ワル」の文化

セクハラ次官「福田淳一」、公文書改ざん「佐川宣寿」… 財務省スキャンダルの背景にある「ワル」の文化

“ワルの同期”だった福田元次官と佐川元国税庁長官

 誰もが組織に属すれば、出世レースに呑み込まれるのは必定。エリート官僚揃いの「財務省」なら尚更だが、最強官庁の衰退と時を同じくして、トップに立つ事務次官人事にも変化が起きていた。経済ジャーナリストの岸宣仁氏が、その内実を過去から辿り活写する。

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 三島由紀夫の初期の作品に、『青の時代』(新潮社)がある。

 戦後間もなく、高利金融会社「光クラブ」を興した東京大学法学部3年生の山崎晃嗣が、経営に失敗して自殺した事件にヒントを得た小説で、アプレ青年の悲劇を扱った読み物として今も版を重ねている。

 山崎は、旧制第一高等学校から東大法に進んだ当時のエリート中のエリートであり、とりわけ旧制一高は官界や法曹界を目指す日本の最優秀の頭脳が集まっていた。

『青の時代』には、この旧制一高の学生生活の一面を描写した部分があって、山崎は川崎誠という仮名で登場する。蛮カラ気質を彷彿させるシーンを引用してみよう。

〈一高名物の一つである入寮式で、誠はまず度胆を抜かれたが、倫理講堂に集められた新入生は、朝九時から最低八時間というもの、寮委員長の長広舌を謹聴しなければならない。(中略)大演説のあいだ居眠りをする者はおろか、手水(ちょうず)に立つ者さえない。前の晩から水を飲まないように気をつけて来たのである。見るから猛者然とした風紀点検委員が壁際に並んで目を光らせている。これではおっかなくて、くしゃみ一つ出来やしない〉

 この小説を執筆する際、三島は大蔵省(現財務省)で同期、1947年入省の長岡實元事務次官(故人)に話を聞いた。

 長岡が日本経済新聞に連載した「私の履歴書」(2004年4月)には、三島とのこんな思い出話が綴られる。

「戦後間もなく、金貸しとして一躍有名になった東大生がやがて行き詰まって自殺する事件があった。この事件をモデルに小説を書いてみたいと、ある日ふらりと大蔵省に訪ねてきた。彼は学習院の出で、一高の寮生活の実態を知らないので教えてほしいということだった。主人公のY君(筆者注=山崎晃嗣のこと)は私と同期で、1年生のときは寮の部屋が隣りだった。私はよく知っていたその人柄を彼に話した。小説『青の時代』はこうして生まれた」

 ここで特筆したいのが旧制一高の蛮カラな校風である。弊衣破帽に高下駄姿、夜、学校の寄宿舎周辺を大勢が騒々しく練り歩く。その際、あたり構わず寮歌を高歌放吟し、粗野な服装と言動が超エリートである彼らの存在感を一層際立たせた。

 旧制一高から東大法を経て大蔵省入りした長岡は、主計局総務課を振り出しに出世街道を順調に歩み、最後、栄光の事務次官の椅子を射止めた。退官後も日本たばこ産業(JT)初代社長や、東京証券取引所理事長などの要職を務め、歴代次官経験者の中でもより重きを置かれる「ドン」の称号を奉られた。

 現役からOBの時代を通じて、それだけ長岡の後輩たちに及ぼす影響力は想像以上のものがあったはずだ。彼が三島に語ったような一高の蛮カラ気質は、旧大蔵省から現財務省まで役所の中にどっかりと根を下ろし、深く息づいていたといっても過言でないように思う。

「ワル」――その蛮カラ気質は、換言するとこの一言に尽きる。財務省の中で「あの人はワルだから」と言った場合、いわゆる「悪人」を指しているわけではない。むしろ、「できる男」「やり手」といったニュアンスで、一種の尊称として使われてきたのだ。

 単なる青白き学校秀才ではない。「勉強もできるが、遊びも人並み以上にできる」タイプが求められ、秀才揃いの中から頭一つ抜け出して出世街道を歩むには、旧制一高の校風に見られた蛮カラ気質のようなものが必須条件になっていたのである。

 省内に巣食うワルの文化に、外から激しい批判の嵐が吹き荒れたことがある。官々接待のあり方が厳しく問われた1979年の公費天国キャンペーン、民間金融機関からの過剰接待により112人の大量処分を出した98年の大蔵省不祥事は、いずれも同省の屋台骨を揺るがす大事件であった。

 そして2018年、福田淳一元事務次官のセクハラ問題、佐川宣寿元国税庁長官の公文書改ざんと、82年入省同期の出世頭2人が、1カ月余の間に相次いで辞職に追い込まれたのは記憶に新しい。


■「ジャングル・ファイア」


 二度あることは三度あるを地で行く、82年組の同期生が演じたワルぶりにスポットを当ててみよう。

 この期は、渡辺美智雄蔵相(当時)の下で採用されたが、たまたま筆者は大蔵省の記者クラブである財政研究会(略して財研)を担当しており、採用の方針や経緯などについて、ミッチー節といわれた漫談調の大臣の口から聞かされた。

「青白きインテリばっかしじゃ、これからの大蔵省は務まらんぞ。変わった奴、面白い奴をどんどん採ったから、将来が本当に楽しみだ」

 採用された同期は27人。それまでキャリア官僚の大半を占めた東大法学部に対し、経済学部が6人も採用されたほか、一橋、京都、大阪、慶応、早稲田大学とバラエティに富んでいた。

 大学の部活も、ボクシング、ラグビー、野球、ウインド・サーフィンなど、体育会系を意識的に採っており、当時、政界で首相候補への階段を上り始めていた、ミッチー色を前面に出した新人採用ではあった。

 渡辺を囲んで新人全員が記念撮影に収まったり、一人一人のプロフィールが記者向けに発表されたり、異例ずくめのお披露目は大きな話題を呼んだ。だが、「変わった奴、面白い奴」を採用したからというわけではあるまいが、同期の多くがそのワルぶりゆえに奈落の底へと沈んでいった。

 第1弾は入省から十数年後、大蔵省不祥事の渦中で過剰接待を理由に、榊原隆が東京地検特捜部に収賄の疑いで逮捕された。同じく過剰接待により佐藤誠一郎が自主退職に追い込まれ、この時点で同期2人が大蔵省を去った。一連の接待汚職で逮捕されたキャリア官僚は、榊原ただ一人であった。

 過剰接待に明け暮れていたこの時期、省内のワル仲間の間で、ある遊びが流行ったことがある。文字に書くのも憚(はばか)られるマニアックな遊びで、ためらいつつ事実を明かすと、要は男性のシンボル周辺の陰毛に火を点けて燃やすというものだ。彼らはそれを「ジャングル・ファイア」と呼び、夜の接待の場や行きつけのスナックなどでしばしば饗宴を繰り広げた。超エリートと下衆な遊びのあまりのギャップ――旧制一高時代の蛮カラ気質を彷彿させると同時に、ワルぶることでエリート性が一層引き立つ効果が演出された。

 大臣主催の新人歓迎会の席上、宴もたけなわになった頃、どこからともなく「そろそろジャングル・ファイアやれ!」と声がかかった。さすがに幹部何人かが「やめろ」とストップをかけたが、時の大臣は「ジャングル・ファイアって何だい」と聞いていたという。

 この遊びには落語のオチにも似た、笑えるエピソードが残っている。

 夜も更けて、例の如く上司から「あれをやれ」と指示が出た。一人、二人と若手が応じる中、ある人物に順番が回った。すると、もじもじしながら、「申し訳ない、今日はできません」と答えた。すかさず、上司が「どうしたんだ」と問い質すと、若手は申し訳なさそうに、「まだ、毛が生え揃っておりません」。その瞬間、一同どっと笑いに包まれたが、ちなみにこの焼き畑農業状態の若手の常習者、現在は官界から政界に転じて活躍している。

 それから20年後の第2弾、82年組が演じた醜態はもはや修復不能なほどの激しさで財務省を襲った。


■「失われた信用」


 トップの事務次官まで上り詰めながら、民放女性記者との下品な会話が表沙汰になった福田。同じワルの文化に染まった時代を知るOBの一人は、大蔵省不祥事に揺れる98年当時、主計局のみが出世コースであるという人事体系が頂点に達していた省内風景をこう振り返った。

「あの頃、主計局は足して二で割る調整型が中枢を占めるようになり、逆に清濁併せ呑むタイプが優秀との評価を受ける風潮が強まりました。そんな仕事上のワルが、いつしか生活全般のワルに変質していき、同期や後輩を夜の街で連れ回すのが“できる奴”と見られるようになって主計至上主義の人事に拍車がかかった。その行き着く先が、大蔵省解体論になり、大蔵省始まって以来の大量処分につながったのです」

 主計局の主流をほぼ無傷で歩んだ福田も、結果的にワルの文化から抜け出すことができず、セクハラに及んでしまった。このOBは、「一度根づいてしまった文化は、なかなか変えることができない。福田が最後の徒花であってくれるといいんだが……」と、心なしか声のトーンを落して話した。

 もう一人、公文書改ざんの佐川。財務省のワルは単なる遊び人というだけでなく、にっこり笑って人を斬る、あるいはヤクザ顔負けに強面ですごんで見せる……といった側面も併せ持つ。森友学園への国有地売却問題で国会答弁に立った佐川は明らかに後者の典型であり、不遜で攻撃的な話しぶり、野党議員に対しては挑発的とも思えるやり取りが目立った。

 ある現役幹部は、「OBも含めて、佐川さんを擁護しようという声は一切出なかった」と断ったうえで、むしろ「停職3カ月相当」とした処分内容に強い疑問を呈し、財務省も堕ちるところまで堕ちたという思いを吐き出すように語った。

「新人の頃から口を酸っぱくして教えられるように、役人が決裁文書を書き直すとなったら、それだけで一発アウトですよ。改ざんに手を染めて3カ月の停職で済むとはとても思えないし、なぜ懲戒免職にしなかったのか理由がわからない。組織を守る時は個人の処分をきちんとしないといけないのに、あれだけでも財務省が腐った組織であることが証明された。ワルの文化を一掃しようとした大蔵省不祥事に伴う大量処分の教訓が全く生かされなかったばかりか、失われた信用はこの先10年かかっても取り戻せないでしょうね」


■内輪の秘密文書


 ここで、明治維新後、今につながるキャリア官僚の仕組みがどのように成立してきたか、駆け足で振り返ってみる。

 それまでの太政官制を廃止し、大蔵、外務、内務、農商務省などから成る内閣制度が発足したのが1885(明治18)年。翌86年に各省官制が公布されて、次官以下の行政機構が定められた。

 この数日後には帝国大学令が出され、法科大学をはじめとする分科大学が設置される。東京帝大などの官僚供給元が整備される中、翌87年には文官試験試補及見習規則が採用され、これが現在の国家公務員試験の原型となる高等文官試験(いわゆる高文)に発展した。同じ年、すでに設置されていた高等中学校を高等学校に改組し、現在の東大教養学部に相当する旧制一高をはじめ5校が誕生している。これら一連の措置を土台に、94年の高文実施を起点としてキャリア官僚制度がスタートし、制度面でマイナーチェンジを繰り返しながら、130年近い歴史を経てきたことになる。戦後、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)の大改革によっても、キャリア制度だけは生き永らえた。恐らく、公務員試験や司法試験など難しい試験をパスしてきた人たちに対し、日本人の国民感情の中にある尊敬の念を尊重すべしとのGHQの判断があり、それが戦後もエリート信仰を継続させることにつながったと思われる。

 しかも、そうしたエリートはただ勉強ができるだけでは同期との出世競争に勝ち残れず、そこに「ワル」の要素が加わった時に、仕事もできるという評価になって出世コースに乗った。バブル崩壊以前の1980年代までは「仕事のワル」が省内で一目置かれる存在になり、例えば歴代次官の中でも、山口光秀元東京証券取引所理事長(51年入省)が「山口ワル秀」、吉野良彦元日本開発銀行総裁(53年入省)が「吉野ワル彦」などと陰で呼ばれて仰ぎ見られてきた。

 それが90年代以降、先述したように「仕事のワルが生活全般のワル」へと変質していき、やがて大蔵省不祥事として大暴発した。

 この82年組の不祥事を一つの契機に、財務省人事にも底流で微妙な変化が生まれ始めている。数年前、財務官僚のパワハラ度を測る内輪の秘密文書(むろん非公式)「恐竜番付」なるものが明るみに出たが、番付に登場した人物と、ここ数年の幹部人事が奇妙な符合を見せているのだ。財務省は、上司だけでなく同僚や部下が管理職を評価する「360度評価」をすでに導入しているが、主に部下からの採点で書かれた「恐竜番付」は360度評価の先駆けであり、一足先に人事に影響を与えたとしても不思議ではない。

「恐竜番付」は確認されただけで3通あるが、最近の幹部人事に直接関係するのは2005年版と13年版であり、この2通を参照しながら幹部のパワハラ度と人事の相関関係を見てみよう。初めに、2人の出世頭が辞職に追い込まれた82年組だが、主計局長から次官に昇り詰めた福田は05年版で西前頭4枚目に登場する。一方、理財局長から国税庁長官に昇格した佐川は、05年版で東前頭4枚目で福田と並び、13年版でも西前頭6枚目に顔を出している。

 福田の次の次官であった83年組の岡本薫明と、20年7月の人事で岡本の後任となった同期の太田充の2人は、いずれの番付にも名前が見当たらない。特に岡本の場合は、大物次官の証明とされる2年間の任期を全うした。

 83年組の後を襲う85年組の幹部人事には、極めて象徴的な傾向が現れた。この期は、早くから藤井健志内閣官房副長官補と、可部哲生国税庁長官(岸田文雄前政調会長の妹の夫)が将来の次官候補と噂されてきたが、大方の予想を覆す人事が次々と発令された。

 まず、藤井が国税庁長官を最後に財務省を去り、とりわけ本命視され続けた可部も理財局長から国税庁長官へのコースを歩んだ。「恐竜番付」に見る二人の位置付けは、藤井が05年版で東の関脇、13年版で東の正横綱、可部は13年版で東の張出横綱と、いずれも番付最高位である横綱を張った時期がある。

 これに対し、ダークホースの矢野康治が主税局長から主計局長に横滑りし、太田の後の次官をほぼ確実にした。上司に臆せずモノを言う矢野だが、部下には気を遣うタイプといわれ、番付のどこにも登場していない。もっとも、パワハラ防止のために360度評価を導入したのが、官房長時代の矢野であったのは今から考えると意味深なものがあるが……。


■ワルが淘汰されていく


 さて、ここまで幹部人事を俎上に載せてきたが、読者は、登場人物がすべて男性に限られるのを痛感するのではないか。少なくとも本省における局長以上の幹部人事で、女性が選ばれたケースはいまだ一例もない。言ってみれば、財務省の究極の出世競争は、男社会の中だけで闘われてきたのが現実なのだ。

 それゆえに、ワルが好き勝手な振る舞いをしても咎める者が少なかったし、ジャングル・ファイアのような度の過ぎた遊びも抵抗なく受け入れられてきた。まさに、旧制一高時代の蛮カラ気質がエリート官僚のDNAとして受け継がれ、福田のセクハラ不祥事に至るまで間欠泉のように噴き出してきたと見ることができる。だが、3度にわたる大スキャンダルの発覚で財務官僚も懲りたであろうし、時代もそのようなワルを受け入れる寛容さはもはやなくなった。それ以上に、かつては数年に1人程度だった女性の採用比率が急上昇していることも、男性中心の閉ざされた世界に風穴を開け始めている。

 新人採用に占める女性の割合は、14年度が22人中5人(約23%)、15年度が23人中7人(約30%)と最近は2〜3割の比率で推移する。女性の社会進出が推奨される昨今、この傾向が今後も続くのは明らかで、彼女たちが課長級に昇進し始めるこれから10年後、省内風景が劇的に変わっていくのは火を見るより明らかだ。

 さらに、何かにつけて議論を呼ぶ内閣人事局の存在がある。14年5月の発足以来6年半が経過したが、仕事さえできれば何事も許されるワルの風土にどのような影響を与えていくのだろう。

 次官経験のある有力OBの一人は、「特定の政治家に気に入られた人が出世し、嫌われた人が外されるのは問題だが」と、官房長官時代の菅義偉総理が官僚人事を掌握するために牛耳った内閣人事局の運用に疑問を示しながらも、長い目で見てワルが淘汰されていく可能性を指摘した。

「霞が関の中にあって、財務省の内輪の論理がますます通用しなくなってきているのを痛感しますね。俗っぽく言うなら、優秀で、捌きさえよければ何をやっても許されるという暗黙の了解があったが、これからは下品で、素行に問題のある人はおのずと弾かれていくでしょう。うちも旧制一高的な閉ざされた世界から、国民に開かれた組織に変わっていかないと、時代に取り残されていくのは間違いありません」

 明治維新を契機に武士階級が滅んだように、内閣制度発足から百数十年を経て官僚システムも大きな変革を迫られている。新たに求められるキャリア像とはどのようなものか、今ほどそのあり方が問われている時はない。(文中敬称略)

岸 宣仁(きしのぶひと)
経済ジャーナリスト。1949年埼玉県生まれ。東京外大卒業後、読売新聞社に入社し経済部で大蔵省などを担当。退社後は経済ジャーナリストとして活躍。主な著書に『税の攻防 大蔵官僚四半世紀の戦争』(文藝春秋)などがある。財務省内で出回っていた、知る人ぞ知る「恐怖番付」、すなわちパワハラ番付を初めて夜に出した人物でもある。

「週刊新潮」2021年1月14日号 掲載

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