『人は見た目が9割』著者が見た「菅総理長男」の髭(ヒゲ)問題

 菅総理の長男と会食をした官僚の「記憶にない」という主張が信用されないのは、官僚たちの記憶力への信頼度が高いことに加えて、長男のインパクトある外見も理由として挙げられる。「あの人と会食して忘れるはずがない」ということだ。

 もちろん長髪も髭(ヒゲ)も今時そこまで珍しい特徴ではないのだが、すでに中年で、それなりに大きな会社の部長、取締役という肩書を持ち、そして何より総理の長男で元秘書官というキャリアを考えると、かなり強烈なインパクトを残す可能性は高い。

 ただし組織人の場合、長髪や髭は上司に注意されることもあるだろう。かつて読売巨人軍ではいずれもご法度とされていた。

 また最近では髭を理由に評価を下げられたことを不服とした市の職員が勤務先を訴えた、といったケースもある。この場合、裁判では職員側が勝訴したようだ。皆がマスクをしている今ならば起こりづらいトラブルだったかもしれない。

 しかし、そもそも自己プロデュースの観点で考えた場合、サラリーマンが髭を生やすのは要注意だ、と指摘するのは、『人は見た目が9割』の著者、竹内一郎さんだ。

 竹内さんの新著『あなたはなぜ誤解されるのか―「私」を演出する技術―』の中には、「サラリーマンの髭には無理がある」という項が設けられている。以下、引用してみよう。

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■サラリーマンの髭には無理がある


 男の場合、アクセサリーに種類が少ない。ネクタイ、タイピン、カフス、ハンカチーフぐらいだろう。

 アクセサリーは、センスだから、その人自身の人となりを測るにはよいアイテムだ。カフス、ハンカチーフまで意識の届いている人は、余裕のある人である。基本的に、さりげないアクセサリーには賛成である。ただ、多くはスーツやジャケットを前提としているので、だんだん使われる場面は減っている。

 アクセサリーではないが、それに準じる存在は髭だろう。これは評価に苦しむ。明治時代の元勲(げんくん)の写真を見ると、とりわけ軍人は立派な髭を蓄えている人が多い。髭は威厳を付けるのによい小道具である。しかし、日本人はもともと毛の薄い人が多い。元勲たちは、カイゼル髭を蓄えられるほど髭の濃い人がたまたま多かったということだろうか。

 日本では、徳川4代将軍・家綱の時代に「大髭(おおひげ)禁止令」が出た。戦国時代、武将は自分に威厳を付けるために髭を生やしていた。平和の時代だからもう髭でもなかろう、というのである。それ以来、武士は髭を生やさなくなった。武士はサラリーマンである。だから、サラリーマンが髭を生やさないのは、その名残だと思われる。もちろん、前述の毛の薄さも理由の一つではある。

 一方、自由業の人は髭を生やしてもよい。似合うか、似合わないかも自己責任である。ちょっと気になるのは、サラリーマンの髭である。マスコミなどには、「フリーの気分」を髭で表している人がいる。この場合も仕事ができればよいが、できない場合は劣等感の裏返しに見られるものだ。

 現代では威厳を付ける演出の必要を感じている人には、そもそも無理があるように思える。威厳は、その人に先ず業績があって他者が感じるものである。髭を生やしている人が無能だと「やっぱり見掛け倒しね」という感じになり、損な局面が多い。あるいはナルシストと受け止められることもある。

 ファッション的に無精ひげを生やす人もいるが、顔が出来上がっている人に許される演出であって、多くの場合、単に不潔と思われるだけだ。感染症に多くの人がデリケートになっている現代では致命傷に近いとも言える。無精髭に限らず、ちゃんとした髭であっても、触るのを癖にしているような人は気を付けたほうがいい。

「あの手で他のところを触っているのかあ」と思われてしまう。

 顔の中で、もっとも性差が現れるのが髭である。女性は基本的に髭が生えない。それだけに髭を生やした男性は、威圧的な印象を持たれやすい。

 生やす方は軽い気持ちであっても、髭はいろいろな意味を持つ。意図しない受け止められ方もされても損だ。

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「無精髭は顔が出来上がっている人に許される演出」というあたりは耳の痛い方、あるいは周囲の誰かの顔が浮かぶ方もいらっしゃるかもしれない。

「本人はブラッド・ピットか浅野忠信のつもりみたいだけど、どっちかっていうと芋洗坂係長だよね」といった類の陰口はいかにもありそうである。

 改めて、竹内さんに「自己プロデュース」の観点からアドバイスを聞いてみた。

「ロングヘアーでも髭でも、外見的に強い個性持つことは、実力や人望が伴っていれば、自己演出のツールとして有効でしょうが、両刃の剣である点は気をつけたほうがいいでしょうね。『あの髭、必要以上に自分を偉そうに見せていて感じが悪いなあ』とか『あの奇抜なファッション、本人は“自分流”と思っているんだろうけど、借り物っぽくて品がないとみんな思っているんだよね』という感じで、かえってマイナスの印象を増幅させかねません。

 菅さんのご長男の場合、何もなければ『偉い人なのに、そうは見えない』とか『お父さんは堅物だけど、息子さんは違う』とポジティヴな評価につながったかもしれないのですが、こういう事態になると、印象は反転してしまいます。一般の人の『何となくうさん臭い』という印象を強化したのは否めません。

 親身になってくれる同僚、友人、あるいは配偶者などがいれば注意もしてもらえるのですが、年をとって地位が高くなるとそういう人も減りやすい。自分の見せ方、見え方を客観的に捉えることが、自己プロデュースの第一歩。目下の人も含めて他人の忠告を聞く姿勢を普段から示すことは大切です」

デイリー新潮編集部

2021年3月5日 掲載

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