鈴木宗男が訴えるコロナ後の「北方領土交渉」 「必ず進展する」

鈴木宗男が訴えるコロナ後の「北方領土交渉」 「必ず進展する」

鈴木宗男氏

 本誌(「週刊新潮」)が産声を上げたのは、1956年2月6日。いま、翌日の7日は「北方領土の日」として知られる。不法占拠が続く北方領土問題をどう前進させるべきか。日本維新の会参院議員の鈴木宗男氏(73)は65年前に両国が署名した「日ソ共同宣言」こそ重要だと訴えるのだ。

(「週刊新潮」創刊65周年企画「65年目の証言者」より)

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 長年、北方領土問題に取り組んできた鈴木氏が言う。

「56年の『日ソ共同宣言』は北方領土問題を語る上で大きな出来事でした。まさに今、その宣言が交渉の土俵に上がっているからです」

 経済財政白書に「もはや戦後ではない」と記された同年10月、当時の鳩山一郎総理はソ連のブルガーニン首相と対峙し、「日ソ共同宣言」に署名。そこには平和条約を締結後、歯舞群島、色丹島の二島を引き渡す、と記されていた。無論、歴史的なこの「合意」に至るには紆余曲折があった。

「当時は東西冷戦が激しくなった時代でもありました。この年の8月には、『ダレスの恫喝』と語り継がれる“事件”が起こります。アメリカのダレス国務長官が日本の重光葵外相に“二島返還で平和条約を結ぶなら、沖縄は日本に返さない”と語ったとされる出来事です。アメリカは日ソで平和条約を結んだら、ソ連が好意的になり、日本が共産国家になるのではないかと懸念していたのです」

 本誌56年8月6日号では、重光外相がソ連との交渉のため外遊に発つ様子をこう伝えている。

〈重光外相、松本全権をのせたスカンジナビア機は七月二十六日午前二時、羽田空港をとびたった。見送りにきた閣僚のひとりが低い声でつぶやいた。「重光君も楽じゃないねえ」〉


■“合意したよな”


 また、『増補・日ソ国交回復秘録 北方領土交渉の真実』(松本俊一著、佐藤優解説、朝日新聞出版)にはソ連入りする前、経由地のホテルでの鳩山総理の様子が綴られている。鳩山総理は、「十分準備してかかる必要がある」と語りながら、ソ連で何を話すか夜中までメモし、うたた寝して頭を机に打ち付けていたという。

 ともあれ、アメリカやソ連から縷々(るる)圧力がかかる“難産”の結果、産み落とされた「日ソ共同宣言」。日本は差し当たっての「返還」の一語に安堵したが、鈴木氏が続けるには、

「60年に日米安保条約が改定されると、ソ連が反発しました。歯舞、色丹の二島引き渡しの条件として、ソ連は在日米軍の撤退を一方的に要求してきたのです。結果、日本側は反発して四島一括返還を求め、ソ連は“領土問題は存在しない”と互いの態度が硬直化し、交渉は長く停滞してしまいます」

 2000年にプーチン大統領が就任すると、同年9月の来日時に「日ソ共同宣言は有効だ」と発言し、再び交渉が活発化する。翌年、当時の森喜朗総理との間で歯舞、色丹の引き渡しと国後、択捉の帰属を同時に協議する「イルクーツク声明」が採択。しかし、直後に小泉純一郎氏が総理に、田中真紀子氏が外相となり、交渉は頓挫してしまう。

 12年には安倍晋三氏が総理として再登板。在任中、通算で27回もプーチン大統領と会談を重ねた。

「安倍前総理はプーチン大統領と非常に強固な信頼関係を築かれました。18年11月にシンガポールでの首脳会談で“日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速する”という合意に至りました。これは非常に重要なことでした。さらに、辞任を表明した後の昨年8月31日、プーチン大統領と電話会談し、安倍前総理が“シンガポールではこんなことも、こういうことも合意したよな”と話し、プーチン大統領も“そうだ”と応じました。菅義偉総理も安倍前総理の路線を引き継いでいます」

 ただ一方で、今年2月に入り、プーチン大統領はロシアの改正憲法に基づき、領土割譲の禁止、すなわち北方領土を引き渡さない旨決断したとも報じられている。

「外交は積み重ねです。領土と国境画定の問題はトップ同士、すなわちプーチン大統領と菅総理との話し合いでしか解決できません。コロナが収まれば対面による首脳会談が行われるでしょう。そうすれば、交渉は必ず進展します」

 65年前の「合意」こそが原点であり、交渉を動かすために有効だと語る。今度こそ歴史は動くか。

「週刊新潮」2021年3月4日号 掲載

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