ひろゆき氏「古文・漢文オワコン」論に賛否 識者が語る“古典を学ぶべき高校生”は?

ひろゆき氏「古文・漢文オワコン」論に賛否 識者が語る“古典を学ぶべき高校生”は?

西村博之氏(Danny Choo from Tokyo/Wikimedia Commons)

■教育に古典は不要!?


 ネット掲示板「2ちゃんねる」の創設者で、実業家のひろゆき[=西村博之]氏(44)が“古文・漢文オワコン論”をTwitterで提唱して話題になっている。世論の受け止めは、文字通りの賛否両論となっているようだ。

 ***

 まずは、ひろゆき氏のツイートをご紹介しよう。いずれも2月19日に投稿が行われた。

《古文・漢文は、センター試験(註:2021年度から「大学入学共通テスト」)以降、全く使わない人が多数なので、「お金の貯め方」「生活保護、失業保険等の社会保障の取り方」「宗教」「PCスキル」の教育と入れ替えたほうが良い派です》

 受験シーズンも影響したのか、ツイートは反響を呼んだ。例えば東スポWebは2月22日、「ひろゆき氏提唱“古文漢文オワコン論”が話題 親世代からは『同意』の声も」の記事を配信した。

 見出しにもあるが、記事では反響を《意外や賛同者多数》と伝え、一例として《「勉強したけど、もうとっくに忘れた」》との声を紹介した。

 インターネットテレビ「Abema」も2月26日、報道番組「ABEMA Prime」で、ひろゆき氏をゲストに招き、この問題を取り上げた。

 ひろゆき氏と、代々木ゼミナールや東進ハイスクールで古文講師を務めた吉野敬介氏(54)が論争する場面が収められている。

 大学でも「高校生は古文・漢文を学ぶより、英語と理系教育を充実させるべき」と主張する関係者がいることをご存知だろうか。


■大学でシンポジウムも


 明星大学人文学部日本文化学科は2019年1月、シンポジウム「古典は本当に必要なのか」を開催し、大きな話題となった。

 理系の教授からは「国際的に見て日本人の学力は低下しているが、高校生が勉強に充てる時間は限られている。英語と数学を優先し、古典は選択科目とすべき」との指摘も飛び出した。“古文・漢文オワコン論”はアカデミズムの世界でも議論になっているのだ。

 SPA!(電子版)は、ひろゆき氏の連載コラムを配信している。2月18日にアップされたのは「古文や漢文よりも「困ったときの役所の使い方」を義務教育で教えるべき」だった。

 このコラムでも、ひろゆき氏は《個人的には古文や漢文を共通テストの科目から外したほうがいいと思っていたりします》と主張した。

 だが、そもそも大学入試で古文と漢文は、どのような出題状況になっているのだろうか。本当に古文・漢文は、センター試験=共通テスト以降、全く使わない人が多数、なのだろうか。


■東大は古典を出題?


 大学受験に詳しい記者は「受験生の志望大学によっては違ってきます。基本的にはセンター試験より難しい国立大学の二次試験や、私立大学文系の一般入試でも出題が確認できます」と指摘する。

「東京大学の二次試験は文系だけでなく、理系でも古文と漢文が大問として出題されます。一方、京都大学の文系は大問なら古文だけですが、設問に漢文分野が出題されることがあります。一橋大学は『近代文語文』の出題が目立ちます。明治以降に発表された漢文訓読体で書かれた文章です。古文と漢文を高校で学ばないと、読解には苦労するでしょう」

 つまり旧帝大クラスの難関国立大学を目指す受験生なら、二次試験の対策としても古文や漢文を勉強している者は少なくないのだ。

 だが、それより偏差値の低い地方の国立大学となると、法学部などでは二次試験の国語は現代文だけというところも散見される。その傾向が鮮明なのが私立大学の文系だ。

「早稲田大学なら文学部はもちろん、法学部や商学部でも漢文の大問があります。政治経済学部は古文の中に漢文の出題が組み込まれることがあります。一方、ひろゆきさんの母校である中央大学は文系の場合、古文は出題されますが、漢文は文学部を除いて出題されません。特に社会科学系の学部は偏差値が下がるにつれ、まず漢文が一般入試から消え、もっと下がると古文もなくなるという傾向があります」(同・記者)


■漢文はオワコン?


 大学入試全体を考えれば、古文と漢文を国立大学の二次試験や、私立大学の一般入試対策として勉強している受験生は一握りと言っていい。ここまでのレベルになると、ひろゆき氏の指摘にも同意できる。

「“大学全入時代”や“Fラン大学”といった言葉もあります。下位層の大学になると、そもそも入試で選別が行われているのかという問題もあります。また、中堅以上の私立大学でも、最近は推薦枠を増やしています。古文や漢文の設問どころか、大学入試を経験していない大学生も珍しくありません」(同・記者)

 入試の現場では、少なくとも漢文の“オワコン化”は着々と進んでいるということになる。こうした状況を「賛成だ」、「仕方ない」と理解する層と、「嘆かわしい」、「入試では必要なくとも、教養としては必要」などと異議を唱える層がTwitterなどのSNSに投稿し、賛否両論の論戦になっているというわけだ。

 前出のコラムには《社会に出てから義務教育で習う古文や漢文を使っている人は、0.1%もいないと思います》との記述もある。

 ならば、社会人にとって、中学から大学入試までの間に古典を学んでも、全く役に立たないのだろうか。“オワコン化”が進む漢文で考えてみよう。


■欧米はラテン語


 評論家の呉智英氏は、中国古典の該博な知識でも知られている。特に1988年から2005年まで論語の公開講座を開き、その内容は『現代人の論語』(ちくま文庫)としてまとめられた。

 呉氏は、ひろゆき氏の指摘をどのように受け止めるのか、取材を依頼すると、「どのような将来設計を高校生が抱いているかに応じて、古典の授業を見直してもいいかもしれません」と語る。

「卒業生の大半が就職する高校なら、確かに漢文だけでなく、古文も勉強する必要はないかもしれません。ひろゆき氏の言うように、空いた時間でパソコンを学ぶ授業を増やしたほうが、生徒のためになる可能性はあります」

 一方、「それなりの大学に進学し、将来は企業の正社員として、組織の中核で働く」ことを目標とする高校生なら、学校の授業や受験勉強で古文だけでなく、漢文も学ぶ必要があると呉氏は指摘する。

「欧米の上流階級やエリート層の子弟は、必須教養としてラテン語を学びます。それは彼らが使う英語やフランス語、ドイツ語の源流にラテン語があるからです。自分たちが使う言葉を深く知り、より自由に使いこなすためには、古典の知識が不可欠なのです」


■弁護士と漢文


「偶然ノ輸贏ニ関シ財物ヲ以テ博戯又ハ賭事ヲ為シタル者ハ五十万円以下ノ罰金」──これは旧刑法の「賭博罪」から引用した一文だ。

 文体は漢文体で、おまけに「輸贏(しゅえい/ゆえい)」という難しい単語も使われている。勝ち負けを意味する言葉だ。

 輸贏のうち「贏」が「勝ち負け」を表すが、なんと「輸入」の「輸」には「負ける」という意味もある。ギャンブルで負け、カネをごっそり“輸送”されるというわけだ。

 現在の刑法は1995年に口語体へ改められたが、それまでは法曹家でも漢文の素養が必須だったことが浮かび上がる。

 その状況は今でも変わらない。弁護士だけでなく、銀行やIT産業で働くにしても、漢文の知識は役に立ちこそすれ、害にはならない。

 そもそも「経済学」や「経済学部」といった「経済」という言葉は、福沢諭吉(1835〜1901)や、津田真道(1829〜1903)が「economy」の訳語として考案したものいう説が根強い。

 語源は「経世済民」で、「世を治め、民の苦しみを救う」という意味だ。中国の儒学者、王通(584〜618)の「文中子」礼楽篇などが出典と言われている。


■福沢諭吉と漢文


 呉氏が続ける。

「漢文の知識は、文学部の中国哲学科で学ぶ大学生だけに必要なものではありません。経済学部や法学部の学生でも、自分たちが使う専門用語の大半が漢文の影響を受けていることを考えれば、その重要性を理解できるでしょう」

 先に紹介した福沢諭吉だが、呉氏によると「彼は四書のうち『孟子』なら人に教えられるほどの学識を持っていました」という。

「福沢が特別だったわけではなく、士族という当時の知識人階級では当然の教養だったのです。西洋の先進思想や文化、技術を翻訳によって日本に紹介した際、福沢が漢籍に通じていたことは大きなメリットとなりました」(同・呉氏)

 もっと日常的なレベルでも、漢文の知識は役に立つ。およそ会社で働く場合、文章を書くことは日常業務の一つだろう。

 その際、言葉の誤用が少ないに越したことはない。呉氏は「至上命令を至上命題と誤用することが増えている」ことを例に挙げ、漢文の重要性を解説する。


■慶應大学は漢文を出題?


 ちなみに命題は英語「proposition」の訳語である。辞書で引くと、「論理学で、判断を言語で表したもので、真または偽という性質をもつもの」(デジタル大辞泉)とある。

 もちろん「命令」の定義は、「上位の者が下位の者に対して、あることを行うように言いつけること」(同)だ。

 意味を調べると、「命令」と「命題」は全く違う。にもかかわらず、なぜ誤用してしまうのだろうか。

「『最重要の命令』という意味の“至上命令”を“至上命題”と誤用してしまうのは、『命題』を『命のように大切な題』とイメージしているからでしょう。もしレ点の知識があれば、『命題』を正しく理解できます。『題を命す』となり、この『命』は『みことのり』という意味です。つまり『題を言う』ということで、propositionの『提案、陳述、主張』という日本語訳とぴったり合います」(同・呉氏)

 福沢諭吉が設立した慶應大学は、経済学部も商学部も法学部も、そして文学部でさえも入試科目に国語はなく、代わりに小論文が出題されている。

 つまり慶應大学の受験生は漢文の問題を解くことはない。何とも皮肉な話ではないか。

デイリー新潮取材班

2021年3月10日 掲載

関連記事(外部サイト)

×