東日本大震災で津波に耐えた「自由の女神」像 市民を勇気づけた「復興の象徴」の姿

東日本大震災で津波に耐えた「自由の女神」像 市民を勇気づけた「復興の象徴」の姿

奇跡的に残った「自由の女神」像と「石ノ森萬画館」(宮城県石巻市の海事公園)

■瓦礫の中に立つ自由の女神像


 2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市。市内の大規模海事公園、通称・中瀬マリンパークも津波によって壊滅状態となったが、そんな中、自由の女神像だけは流されずに屹立し続けていた。当時、公園の開発者は「復興の象徴になってくれれば」というコメントを残していた。

(「週刊新潮」別冊「FOCUS」大災害緊急復刊より再掲)

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 垂れ込めていた雲が静かに流れ、東の空が白々と明け初めると、曙光の中で右手に高く掲げられた松明(たいまつ)が、次第に赤く燃え上がっていくように見える。

「絶望」の2文字しか思い浮かばないような光景の中で、なぜ、この巨像はそこに佇立しているのか。足元には夥(おびただ)しい瓦礫とともに、打ち上げられた漁船や倒壊家屋が散乱する。彼女もまた、漂流物として、どこかから辿り着いたのだろうか。

 近づくと、コンクリート製の台座は高さ2メートル、その上に建つ本体は7メートルもある。日が昇るにつれ、滑らかな光沢を放ち始めた白い素材はFPRという繊維強化プラスチックだ。像の中は空洞だが、着衣の襞を残して、左足が地上5〜6メートルの腰の辺りまで大きく抉り取られている。腹は穿たれ、下から仰ぐと胴体を支える鉄柱が空を背後に透けて見え、痛々しい。


■なぜ石巻に自由の女神?


 この「自由の女神」像があるのは宮城県石巻市の海事公園。通称・中瀬マリンパーク。市の中心部、旧北上川河口の中洲に位置するこの地区は、かつて造船所が立ち並んでいた。

 それが、2007年から市が発表した「中心市街地活性化基本計画」で大規模な再開発が行われ、結果、敷地面積1万3200平方メートルにも及ぶ広大な公園に生まれ変わっていたという。

「整備された園内には、屋外ステージやレストラン、平和の鐘、魚供養碑、灯台、風車などの施設が並び、市民の憩いの場となっていた。中洲の一画には、01年に開館した石ノ森章太郎の「石ノ森萬画館」もあり、あの「自由の女神」像も、再開発を手掛けた会社が昨年3月、萬画館に隣接する公園のシンボルとして建てたばかりでした」(石巻市関係者)

 当初、市民の中には“なぜ石巻に自由の女神?”と訝る声もあったというが、開発会社の担当者によれば、

「北上川にできた中洲ということで、本家のニューヨーク・マンハッタン島に地形が似ていることにちなんで。また世界三大漁場の一つといわれる金華山沖などで操業する漁船の航行の安全と大漁を祈願する気持ちも込めて設置しました」


■「復興の象徴になってくれれば」


 だが、整備されたほとんどの建造物は津波に消えた。見る影もなく壊滅した中洲で、唯一と言っていいほど奇跡的に残ったのが女神像。そして「石ノ森萬画館」(写真右奥のドーム建物)だけだった。

「なぜこの像が津波に耐えられたか分らない。コンクリートの台座を貫く鉄柱がしっかり支えてくれたとしか言いようがない」と同社は言う。「せめて試練に耐えて毅然と立ち続ける姿が市民を勇気付け、復興の象徴になってくれれば」――。

2021年3月9日 掲載

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