【原発事故10年】日本人はなぜ取り憑かれたように原発を推進したのか(後編) アラブに追い詰められた東京電力

【原発事故10年】日本人はなぜ取り憑かれたように原発を推進したのか(後編) アラブに追い詰められた東京電力

日本人はなぜ、取り憑かれたように原発を推進したのか

 今日で事故から10年を迎える東京電力の福島第一原子力発電所。メルトダウンした3基の原子炉は、今も強い放射線を放つ核燃料が溜まっている。建屋はひしゃげた鉄骨がむき出しで、周囲には大量の汚染水のタンクが墓標のように並ぶ。かつて最先端の科学技術で作られた原発、それが廃墟の中で聳(そび)える姿は、何とも言えないわびしさを感じさせた。(ジャーナリスト・徳本栄一郎)

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 この間、東京電力は世間の指弾を受け続けてきた。ある者は利益偏重と安全対策の軽視を責め、ある者は原子力ムラの閉鎖性を、またある者は官と民の癒着を指摘する。

 たしかに彼らが地震と津波に有効な手立てをせず、史上最悪レベルの事故を起こしたのは事実だ。長年の奢り、打算、放漫の産物だが、これだけでは余りに短絡的すぎる。

 そもそも東京電力、いや日本人はなぜ、取り憑かれたように原発を推進したのか。それにより恩恵を受けたのは誰で、真の責任は誰にあるのか。原発を作った側と同様、それを与え、駆り立てた側も追及されるべきでは。

 そう考えて海外のアーカイブを回り、半世紀以上に遡って東京電力を巡るファイルを集めた。そこから浮かんだのは、まるで加害者がじつは被害者で、その逆もあり、関わった人間全てが共犯の「オリエント急行殺人事件」であった。

 その一人が日本人に原発を与えて外交の武器にした米国、特にニクソン政権の国家安全保障担当大統領補佐官、ヘンリー・キッシンジャーだったのは、前編「【原発事故10年】日本人はなぜ取り憑かれたように原発を推進したのか 機密ファイルが明らかにする米国の思惑」で述べた。

 そしてメルトダウンへの道を開いた、もう一人の役者、それが70年代に未曽有の石油危機を起こしたアラブだった。この結果、わが国は火力発電用原油の枯渇に怯え、原発の推進が絶対善となっていくが、その危機の兆候に最初に気づいたのもキッシンジャーであった。


■福島第一原発誕生の背景にあったもの


 福島第一原発が営業運転を始める2ヵ月前、71年1月18日、キッシンジャーは、ニクソン大統領に4ページの機密メモを送った。タイトルは「国際石油情勢」、彼らしいストレートな文言で迫りくる危機への準備を進言していた。

「米国が大勢を占める国際石油資本と中東産油国の対立で、近く世界的な石油危機の恐れがあります。その場合、われわれが石油会社を支持すれば、アラブとイスラエルの紛争に波及する政治的意味合いを孕みます」

「中でもリビアは要求内容を吊り上げ、石油会社の資産没収や生産停止を求めています……彼らが成功すれば、他の産油国も更に高い要求を出すでしょう。そうなれば、中東原油に大きく依存する欧州や日本を直撃し、原油不足と大幅な値上げに繋がります」

 徹底した現実主義としたたかさで米外交を牛耳るキッシンジャー、その彼が珍しく動揺した印象すら受けた。これを理解するには、アラブ、そして「オイル・メジャー」と呼ばれた国際石油資本が辿ってきた歴史を見る必要がある。

 第二次大戦後、中東では次々に大油田が発見されたが、その採掘から精製、販売を握ったのが「セブン・シスターズ(七姉妹)」、欧米の7社の国際石油資本だった。すなわち米国のエクソン、モービル、ガルフ、英国のBPなどで、一方的に決めた原油価格で算定する利権料、所得税を払い、莫大な利益を手にした。だが、産油国は自分で油を掘って売るノウハウもなく、まさに蹂躙(じゅうりん)と言ってよかった。

 その象徴がメジャー独自の中東の地図である。そこには国の名前や境界線はなく、代わりに各社の鉱区の区割りと略称が書かれていた。欧米列強で油田を手に入れ、もちろん、一般のアラブ人には一言の相談もない。

 帝国主義ここに極まれりだが、流れが変ったのは60年代に入ってからである。サウジアラビアやイランなどがOPEC(石油輸出国機構)を結成、原油の公示価格見直しを求め始めた。そして、キッシンジャーが大統領にメモを送った頃、イランの首都テヘランでメジャーとまさに交渉の最中だった。

 その反メジャーの感情は、イランのパーレビ国王が、英BBCのインタビューで語った言葉で分かる。

「全ての産油国は石油会社に騙されているのを知っている……。全知全能のシックス、またはセブン・シスターズは目を見開いて、今が1948年、1949年でなく1971年であることに気づくべきだ」

 代弁すると、こういう調子だろうか。

“人の国を勝手に線引きし、神が贈った石油を奪い、儲けは仲間で山分けする。そんな真似は、もう我慢できん。今後は価格も生産量もこっちで決める。それが嫌なら油田没収も覚悟すべきだ。”

 このアラブ民族主義の急先鋒が、60年代末にクーデターで政権を奪ったリビアのムアンマル・カダフィ大佐だった。後に「中東の狂犬」と呼ばれ、国際テロでも名前が隠見するが、メジャーに対して最も戦闘的な男だ。そうした思想が広がるのをキッシンジャーは危惧していた。

 結局、71年2月、テヘランでの交渉で、OPECは原油の大幅値上げを飲ませるのに成功する。いわゆる「テヘラン協定」で、戦後の産油国とメジャーの関係を見ると歴史的とさえ言えた。

 この翌月に営業運転を始めたのが福島第一原発の1号機で、隣では2、3号機の建設も進んでいた。いずれメルトダウンを起こす3基の原子炉、それは、長年、欧米に蹂躙されたアラブが蜂起する中で誕生したのだった。

 今度、中東で戦火が起きれば、アラブは間違いなく原油をカードに使う。そうした不穏な空気を米国も察知したようだ。テヘラン協定直前、キッシンジャーは国家安全保障会議で、石油危機への対応を検討するよう指示した。その報告によると、もう今までのようなメジャーの権益は難しいという。

「中東と北アフリカの産油国は明らかに石油供給を支配し、収入を増やして、政治的譲歩を狙っている。OPECとの交渉の流れは、今後も続くと見なければならない……。1ヵ国または複数の産油国が政治的、経済的理由で禁輸に踏み切る場合、その危機管理計画を作っておく必要がある」

 そして、この危惧は2年後に現実のものとなった。73年10月6日、エジプトとシリアがイスラエルに奇襲攻撃をかけ、第四次中東戦争が始まる。その直後、ついにアラブは石油戦略を発動したのだった。

 開戦から10日後、OPECは原油公示価格を一気に70%引き上げると発表した。その翌日には、イスラエルが前の中東戦争で占領した土地から撤退するまで、生産を毎月5%減らすと決定する。だが、これはまだ序の口に過ぎなかった。

 11月4日には友好国以外に対し、原油生産を9月比で25%減らし、毎月5%ずつ上積みすると発表した。つまりアラブの言うことを聞かないと、半年後に半分、1年後には8割の油が入ってこない計算になる。それに震え上がったのが日本の電力業界だった。

 当時、九電力会社は火力発電に年間5,000万キロリットル以上の燃料を使ったが、国内の備蓄は約25日分しかなく、禁輸、すなわち火力発電の停止を意味した。業界リーダーの東京電力も事情は同じで、木川田一隆会長は、インタビューでこう漏らした。

「量的確保の問題に加え、予想をはるかに上回る値上げ幅なので、最近の中東原油の動きには驚いている。こんなコストの上昇ではもはや経営合理化の限界をはるかに超えており、現行料金水準の維持は明らかに限度に近づいている」

「例えば、1バレルで1ドル値上げとなった場合でも、油の質にもよるが、ざっと300億円の支出増となる。これは当社の資本金(3000億円)に対する1割配当分に相当するものだ。これでは経営努力も何もかもふっ飛んでしまう」(電気新聞、同年10月29日)

 そして決定打は12月23日、テヘランで開かれたOPECの会議だった。この場で彼らは翌月から公示価格を11ドル65セントにすると決定した。それまでの水準の倍で、日本の輸入量を当てはめると1年で外貨保有がなくなるともされた。

 これでは、いくら節電を呼びかけても焼け石に水だ。いや、それどころか、原油があっても買えないかもしれない。至急、アラブに頼らない新たな電力源が必要だ。その最中の株主総会で木川田会長は、今後は火力に代わり「エネルギーの本道」の原発を推進する方針を述べる。

 それを政府もバックアップした。翌年には国会で電源開発促進税法を柱とする、いわゆる電源三法が成立した。これが原発立地地域に莫大な交付金を落とし、原発マネーになったのはよく知られる。また、建設中の福島第二原発への行政不服審査の異議申し立てを棄却、推進を鮮明にした。

 そして12月24日、東京電力へのクリスマス・プレゼントのように初送電したのが、完成直後の福島第一原発、その2号機だった。まさに干天の慈雨で、この頃、同社の副社長で原子力開発本部長だった田中直治郎の言葉が残っている。

「確かに原子力発電には安全性の問題があり、これを徹底的に研究し解明する必要があるが、しかし、現在の軽水炉は【絶対に安全】だ。二重、三重に安全装置を設計してあるし、大きな事故は考えられない」(【】部分は筆者)

「賛成、反対の両者が理論的な争いだけを戦わして平行線を辿っていては日本のエネルギー問題は解決しないだろう」(電気新聞、同年12月6日)

 今、この木川田会長と田中副社長の言葉を読むと、様々な感情が浮かぶ。むろん、われわれは10年前、福島で【絶対安全な】軽水炉に何が起きたか知っている。後知恵で責めるつもりはないが、重要なのは当時、東京電力、いや業界全体に生じた変化である。それは恐怖が生んだ強烈な使命感とでも言おうか。想像してみると、こうなる。

“他の業界と違って、うちは油がないからと店仕舞いできない。何としても発電を続けないと国が潰れてしまう。それにはもはや、原発しかないじゃないか。反対するなら対案を出せ。それもなしに、ただ批判するのは無責任過ぎる。”

 この使命感がやがて奢りへ変わり、あのメルトダウンにつながるのだが、そのきっかけは、欧米のメジャーに蹂躙されたアラブだった。かつての被害者が、加害者となって原発に駆り立てる。そして福島の事故の加害者、東京電力もまたアラブの被害者だった。

 登場する全ての人間が、少しずつ共犯関係を結んでいく、まさに「オリエント急行殺人事件」である。そして、この石油危機には重大な後日談があった。


■彼らは国策として原発を作り続ける


 74年の1月下旬、通産省は石油統計速報で前月分の原油輸入量を発表した。それによると、73年12月の輸入は前月比で7%増えていた。インドネシアなど南方からは16・9%、供給を減らしたはずの中東からでさえ1・3%増えた。これは一体、どういうことなのか。

 じつは危機の間、通産省は原油供給のシミュレーションを行ったが、
 その際、洋上のタンカーの輸送量を間違っていた。海上保安庁も入港したタンカーの積み荷を把握しつつ、報告されてなかった。何と油は足りていた、日本は幻の石油危機に踊っていたのである。それだけではない。

 当時の国内は、いくら金を払っても、絶対、原油を手に入れろという空気だった。そして大手商社は、イラン原油をバレル当たり17ドルの超高値で落札する。これが他の産油国を強気にさせ、更なる値上げを招いてしまった。被害者である日本が自分の首を絞めていた。これは、石油危機を検証した米議会報告や英外務省の機密解除文書でも確認できる。

 まさに悲喜劇としか言いようがないが、それにより最も恩恵を受けたのは誰か。日本に原発を与え、燃料の濃縮ウランで生殺与奪を握ろうとした米国である。これらの経緯をフィクションという形で書いたのが拙著「臨界」(新潮社)だが、キッシンジャーをモデルにした人物の次の言葉で結んだ。

“幻の石油危機だろうが何だろうが、日本は原発推進に舵を切った。今後、彼らは国策として原発を作り続ける。われわれが与えた軽水炉をね。核武装の懸念もあるが、それは米国にとって朗報でもある……原発を推進すればする程、わが国の重要性は増す。これは対日外交上、強力な武器となる。”

 ここまで見たように、福島第一原発の事故は根深く、複雑な歴史的背景を背負っていた。現代史が幾重に絡み合い、単純な白黒、二元論で片づけられない。まして原発推進は保守派の右翼で、反対は反日の左翼と批判するなど論外だ。

 ここから、われわれはどんな教訓を学ぶべきか。それは軽々しく「絶対」と口にする者、特に専門家に用心しろ、ということだろう。

 先に「軽水炉は絶対に安全だ」という東京電力副社長の言葉を紹介した。絶対に安全な原発などないのと同様、絶対の正義、正しい政策というのもない。ある危機が起きると、人は恐怖に震え、ある思想や手段にすがり易い。そして、ごく真っ当な疑問や慎重さに「対案があるのか」と凄み、冷静な思考を失ってしまう。

 それは、あの昭和の戦争や、今の新型コロナウィルスの危機にも通じる。昭和の時代に救世主として生まれた原発が、平成に史上最悪レベルの事故を起こした。福島で廃墟のように聳える3基の原子炉、それは未来の世代への雄弁な戒めと言える。(終わり)

徳本栄一郎(とくもと・えいいちろう)
英国ロイター通信特派員を経て、ジャーナリストとして活躍。国際政治・経済を主なテーマに取材活動を続けている。ノンフィクションの著書に『エンペラー・ファイル』(文藝春秋)、『田中角栄の悲劇』(光文社)、『1945 日本占領』(新潮社)、小説に『臨界』(新潮社)等がある。

デイリー新潮取材班編集

2021年3月11日 掲載

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