「教育無償化」の功罪。真の学問のためにもお金の話をしよう

大学全入時代の幕開けによって、大学に行く目的は良質な授業で学ぶことよりも、大学に合格して就職のための資格を得ることになってしまっています。大学が、学問が、本来あるべき姿に戻るためにはどうしたらいいのでしょうか? 国際情勢アナリストの渡瀬裕哉氏が、このままの教育制度を続けた日本の行く末と学問のあり方について解説します。

※本記事は、渡瀬裕哉:著『無駄(規制)をやめたらいいことだらけ-令和の大減税と規制緩和-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■大学全入時代となりズレていく教育制度

日本で近代教育制度が導入されたのは、明治5年(1872)のことです。江戸時代を通じて、各藩や地域の教育を担ってきた藩校や寺子屋が、それぞれ中・高等教育、初等教育の土台となって支え、中央政府が国民の教育を統括する形が整備されていきました。

明治10年(1877)には、最高学府として東京大学が設立され、当初は、法・理・文・医の4学部制でUniversityとして出発します。Universityの訳語に「大学」が当てられたのは、古代律令制の時代から学問を司る府として「大学」の語があったからです。

▲東京帝国大学赤門(1905年1月2日) 出典:ウィキメディアコモンズ

明治20年(1887)には学位令が制定され、日本での学位称号の規定ができました。翌明治21年5月、日本で初めて博士号が授与されます。対象となったのは25人の学者でした。欧米の技術や制度を輸入して追いつこうという時代に、日本で科学技術や最先端の制度などの研究の第一人者として、最初に認められた人たちです。

現在、高等学校を卒業したあとに大学へ進学する人がとても増えています。文部科学省の「学校基本調査」によれば、令和2年(2020)度の数値で高校を卒業したあと、なんらかの高等教育機関へ進学する人は83.5%にのぼり、大学の学部進学率は過去最高の54.4%となりました。

▲東京大学安田講堂 出典:haku / PIXTA

1970年代から大学への進学率は、継続して増加を続けてきました。1980年代から大学進学熱が過熱化し、90年代にかけて団塊ジュニア世代と呼ばれる、出生数の多かった世代が高校を卒業する頃になると、私立大学でも早稲田・慶應・明治・立教などの合格倍率は20倍を超えるところも出始めました。

現役で合格ができなければ浪人をして予備校に通い、それでも合格できない狭き門だったので、大学に合格すること自体が目的化してしまう傾向も強まっていきます。その後、少子化が進み、不合格率が極めて低下したことで「大学全入時代」と呼ばれる現在に至り、大学のあり方について問題も多くなってきています。

少し前までの大学は、半分は遊園地のような状態でした。みんなで遊びに来て、学位を取って卒業するようなことが続いてきました。最近は出欠確認も厳しくなり、少しはマシになりましたが、今度は教える側にも10年前や20年前と同じことを教えているという問題が出てきました。教える側が内容の更新や工夫もなく、学生たちは出席日数のために大学に通って、それで単位を取得して卒業していくわけです。

これでは大学自体の質も下がっていきますし、学生もまともに勉強できないので、大学を卒業した人材の質も担保できなくなってしまいます。

大学に多くの人たちが進学するようになり、今度は高校の問題も出てきます。「大学に入るための勉強をするところ」という意味合いが強くなっていますが、「高校に通う生徒たちは、大学での教育を受けられるだけの学力を高校教育で得られるのか」ということです。

日本の教育制度では、大学の位置付けが非常に曖昧かつ、最高学府という本来の目的にはあまり役に立たないものとなっているため、教育システムの全部がおかしくなっているのです。

■「教育無償化」は根本的な解決にはならない

こうしたシステムの狂いは、政府の政策にも現れます。

平成22年(2010)、高校無償化の法整備が行われました。公立高校の授業料無償化と、国立・私立高校の授業料を援助する、高等学校等就学支援金制度による実質無償化の導入です。

さらに令和2年4月からは、高等教育の修学支援新制度として、一定以下の所得世帯に対する大学無償化も始まりました。家庭の所得に応じて大学の入学金や授業料を減免する制度で、さらに学生の生活費を補助する給付型奨学金があります。

これは、大学での学位取得が“就職のための資格”のようになっていることで、各家庭の金銭的な事情で子どもが大学に行けないのは困るからです。また、もうひとつは大学を作りすぎてしまったという国側の事情もあります。

私立を中心に増えた大学や短期大学のなかには、大学として成り立たないようなものも多くできてしまいました。大学教員の質も問題ですし、学生たちも勉強しに行っているわけではないような、「名ばかり大学」です。大学によっては、日本人の学生が集まらなくて、仕方がないので外国人留学生を大量に入れて、なんとか成り立たせるようなところもできてしまいました。実際に、私立大学の3分の1は定員割れを起こしています。

大学は就職のための資格を得る場になってしまいました。そして誰もが進学するようになったのですが、大学の定員に対して学生数は減少しています。大学も一度作ってしまったら今さら潰すわけにもいきません。だから、教員や働いている職員の雇用を確保するための無償化でもあったのです。経営が成り立たないような大学を、税負担によって生き残らせているのです。

▲大学が学生に奨学金を用意する方法も イメージ:PIXTA

問題を改めていくことで、研究者は研究に力を注げるようにする、大学に通う学生のために質の高い教育を提供するなどの改革は、教育無償化という税負担化ではできません。もっと自由に大学側に経営させ、「潰れるところは潰れるしかないでしょう」というやり方のほうが重要です。

こうした自由化に対して、大学の学費が上がることを心配する人もいるでしょう。実は、学費についてはもっと別の考え方ができます。本当に優れた教育を提供できるのであれば、大学が学生に奨学金を用意すればよいのです。

現在、国の制度でも複数の奨学金制度がありますが、利用者が多いのは貸与型です。これを大学が行うというのはどうでしょうか。

■「教育は国が保護する」という発想からの転換

2020年から世界中で流行している新型コロナウイルス感染症に対応するため、全国の大学がオンライン授業に切り替えています。これに対しても、通学をしないのだったら、もっと学費を下げてほしいという声が上がっています。当然のことです。

入学金を除いて、学生が大学に支払う金額には大学の施設設備費も含まれます。このほかに実験や実習のある理系学部は、文系学部よりも金額が大きくなるのが一般的です。「講堂で授業を行わないのに、その施設は必要なのか?」ということも、これからは考えていかねばならない部分です。

昭和31年(1956)の文部省令第28号「大学設置基準」では、大学が設置しなければならない施設について、細かく規定されています。こうした規定は、一種の規制です。大学の施設を作ることが目的なのではなく、質の高い授業を提供し、質の高い学生を輩出することが目的なのですから、形式の部分をもっと安く抑えられるのであれば、当然安く抑えることが経営上の判断になるのです。

大学生活のなかで、学生同士のコミュニケーションが必要だということもあるでしょう。でも、学生が集まれる機会を別途、大学がいくつか用意すればよいだけの話です。

▲オンライン授業が進むなかで大学施設は必要なのか? イメージ:papa88 / PIXTA

授業自体が学生のコミュニケーションを満たすものだという形をやめて、機能を分化していけばよい。より良い教育と学生へのサービスが提供できる大学は、当然、ほかの大学に比べてより優秀な学生を集めることができます。

「税金が入らないと授業料が得られません」というような大学に通うことはありません。無償で学生に通ってもらわなければならないような条件で提供される教育など、根本的に間違っています。これは、学生にとっても不幸ですし、なによりも日本国全体の損失です。

教育は国が保護しなければならないという発想を転換して、学問が本来あるべき場所に収まることで、学生にとっても社会全体にとっても大きな恩恵となるのです。

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