仕事と子育てのどちらを選ぶ? こそが少子高齢化の問題点

悪化していく少子高齢化問題。子育てはツラいことだとして、子どもを産まないことを選ぶ夫婦も増えてきている。ところで、なぜ日本は少子高齢化に陥ってしまったのだろうか。元外交官の馬渕睦夫氏が、日本が少子高齢化に陥り、また加速させている社会風潮について紐解きます。

※本記事は、馬渕睦夫:著『道標(みちしるべ) -日本人として生きる-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■子育ては貴重な経験ができる時間

――少子高齢化と言われ続けて久しい近年ですが、なぜ日本は少子社会なのでしょう? 子どもを持つことが嫌われているのでしょうか?

馬渕 今、若いお母さんのなかには、子育てが大変だといってノイローゼになる人がいるでしょう? しかし、子育てこそ無償の与える行為です。人間として最も貴重な経験ですよね。

そのチャンスを逃すことは、人生のつじつまを合わせるうえで、大きなミスと言わざるを得ません。将来、必ずや後悔することになるでしょう。よく言われることですが、「人生における最大の後悔とは、何か馬鹿なことをしてしまったということではなく、何かをするチャンスを逃したことだ」と……。

それから、待機児童の問題もありますね。「家族」というものが機能していた時代は、そんな問題がマスコミで騒がれるなんてことはなかったのです。それこそ、おじいちゃん、おばあちゃんの「手」と「知恵」が借りられた。

――昭和の頃までは、自営業や共働きの家庭では、昼間はおじいちゃんやおばあちゃんが子どもの面倒を見る、という家が少なくなかったですね。

▲「家族」なら子育ても助け合えたはず イメージ:ふじよ / PIXTA

馬渕 そもそも、子育ては大変なものという先入観があるから、しんどくなってしまうのですね。逆にいえば、子育てというのは若いお母さんにとって(お父さんもそうかもしれないけれど)、将来後悔しないためのチャンス、と考えてみたらどうでしょうか。

私はよく言うのです。働くことはいつでもできる。でも、子育てというのはやるべきときがある。やれるときは限られている。だから、仕事と子育ての選択なら、子育てを優先すべきなのです。

この考えが浸透していない。浸透させようとする人もいない。というより、今の若い人自身から、そういう発想が奪われているような気がします。これはいわゆる、ポリティカル・コレクトネスによる洗脳とも言えますね。

子どもを生んだはいいが、「早く職場に戻らなくてはいけない」と焦ったり。メディアもそうやって焦るように誘導しているけれど、そんなことでは少子化に歯止めなんかかかりません。

■仕事は代替がきくが、子育てはきかない

馬渕 はっきり言いましょう。ほとんどの仕事は代替がききます。だけど、子育ての代替はきかないのです。実のお母さんは何物にも代替できない。

子育てというものは、厄介な仕事で、その労力をいかに軽減するか、という部分ばかりに視点が集中しているでしょう? しかし、子育てというのは若いお母さんにとって、先に述べた通り、人生の中で、ものすごく重要な期間なわけです。

少し前に、流行語にまでなった「保育園落ちた、日本死ね」という投稿がありましたね。(※2016年2月、このタイトルのブログが国会で取り上げられ話題になった)

これに野党が飛びついて、待機児童問題が国会でクローズアップされました。ところが、この「待機児童」という言葉自体が本末転倒です。児童が保育園に行きたいと待機しているのではありません。母親が会社で働くために、「母親が子どもを保育園に行かせようと待機している」のです。

――待機しているのは児童ではなく母親であると。

馬渕 他の仕事では味わうことのできない子育ての経験、それを積むことができる時期を、できるだけ少なく、また手軽に済ませてしまおうというのが、今の社会風潮でしょう。

そもそも発想が逆なのです。まったく逆です。子育てを苦役と思うから、長じて落ち着きのない子どもが育ってみたり、親は親で、育児放棄や幼児虐待に走ったりするわけです。

▲保育園を必要としているのは子どもではなく親 イメージ:CORA / PIXTA

■子どもと母親の強い関係は生命の根源

――例えば、左翼リベラル系の人からは「それは大家族制度への懐古主義だ」とか「子育て環境と子どもの問題行動に因果関係を示せ」というような声が聞こえてきそうです。

馬渕 昔から「子どもの情操は3歳までの育て方で決まる」とか、「どんな状況にあっても、3歳までは親元で育てよ」と言われていますが、これは経験則なのですね。言葉を替えれば「先人の知恵」です。

先日、ある新聞記事を読んでいたら、「3歳までは母親が育てるべきだ、という意見には科学的根拠がない」と書いてあったのですけど、科学的根拠なんて必要ないのです。そういう考え方自体が、実に唯物的発想だと思いますね。

例えば、赤ちゃんを100人ずつ二組に分けて、母親に育てられた組と、そうではない組の子の情緒や性格の比較データを出す実験を行うとか……科学的根拠を示せというのはそういう馬鹿げたことですよ。

そんなことをしなくたって、母親が子どもを育てるのが最良であることを、我々は本能的に知っているわけです。一つの真実としてね。答えは簡単なことです。我々は皆、母親から生まれているということなのです。

――真理と言ってもいいかもしれませんね。

馬渕 その真理がなかなか通じない。ひところDINKs(ディンクス)という言葉が流行りました。これはDouble Income No Kidsの略で、共働きで子どもをつくらない夫婦のことを言います。子どもに煩わされない、余分なお金と時間は趣味に使える、新しい夫婦のスタイルだ、ということで、随分ともてはやされたものです。

しかし、その夫婦に「あなたたちが今、生活をエンジョイできるのはどうしてですか? あなた方のご両親がDINKsを選択しなかったからですよ」と言えば、そこでDINKs理論なんて破綻してしまうわけです。

「産む、産まないは女性の権利」というのは私からすれば、間違った考え方です。堕胎は、この世に誕生する生命を奪うことです。人間は生命を奪うことはできるけれど、生命をつくり出すことはできない。

私たちの生命というのは、お父さん、お母さん、そしてさまざまな偶然が重なって授かったものです。偶然の結晶である生命を人為的に絶ってはいけない。それを我々は常識として持つべきなのです。

▲堕ろすのは簡単でも人為的に産むことはできない 出典:Zffoto / PIXTA

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