日本人が知る「偽物の世界史」を作ったのは誰か?

憲政史研究家の倉山満氏が教える歴史のリアル。日本人が世界史と思い込んでいるのは、東洋史と西洋史を合わせただけの「偽物の世界史」である。しかも、東洋史は単なる中華王朝の興亡史であり、西洋史はもとをたどればギリシャ文明に行き着くヨーロッパ史にすぎないのだ。

※本記事は、倉山満:著『若者に伝えたい 英雄たちの世界史』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです

■日本人が習う「世界史」=「4か国とオマケの歴史」

東は朝鮮半島から西はポーランドまで、モンゴル帝国はユーラシア大陸を闊歩した大帝国です。そのモンゴル帝国を築いたのがチンギス・ハーンです。そしてチンギス・ハーンとは「世界史を作った人」です。

では、その「世界史」とは何か。日本人が世界史と思い込んでいるのは「偽物の世界史」です。東洋史と西洋史を合わせただけで、世界史だと思い込んでいます。東洋史は単なる中華王朝の興亡史であり、西洋史はもとをたどればギリシャ文明に行き着くヨーロッパ史にすぎません。

しかも、イギリス・フランス・ドイツだけでヨーロッパ全部を語っています。その他の大多数の国々はオマケ扱いです。日本人が習う世界史とは「4か国とオマケの歴史」なのです。人によって世界史の定義は変わって良いとは思いますが、これはひどすぎます。

▲チンギス・ハーン

チンギス・ハーンが作った世界史とは「人類の過半数が関わった最初の歴史」です。チンギス・ハーンが登場するまで、ユーラシア大陸全土が1つの歴史でつながることはありませんでした。

チンギス・ハーンの登場で、初めてアジアとヨーロッパがつながりました。この時代は、1人の人間、1つの国の影響下にあった最初の時代。そんな見方ができるでしょう。

モンゴルが影響を与えた範囲は、日本からヨーロッパまでです。モンゴル人が実際に足を延ばした西端はポーランドでした。しかしブリテン島まで含めてモンゴルの影響を受けています。

一方で、アフリカ大陸のほとんどや南北アメリカ大陸、南半球の人たちにとっては関係ないかもしれません。しかし彼らの人口を全部足しても、当時の人類の半分以下です。だから「人類の過半数が関わった歴史」なのです。

チンギス・ハーンは、人間が住む大半の地であるユーラシア大陸全土に影響を及ぼした最初の人です。ではそれまでの世界に、人類の過半数に影響を与えるような人はいなかったのでしょうか。振り返ってみましょう。

▲モンゴル帝国はユーラシア大陸全土に影響を及ぼした

■最近では使われなくなった「世界四大文明」

文明が出現したのは、約5000年前(紀元前3000年ごろ)。エジプトで都市が作られ始めたころです。今から約4600年前(紀元前2500年ごろ)には、そのエジプトでクフ王のピラミッドを含むギザの大ピラミッドが建設されました。

世界中のあちらこちらに文明がありました。エジプト・メソポタミア・インダス・黄河の「四大文明」の他に、エーゲ海文明もありましたし、メソアメリカ(中米)にはオルメカ文明があり、マヤ文明やテオティワカン文明(メキシコ)などが出現しました。しかし、それぞれの文明は点在するだけでした。ちなみに最近では「四大文明」という言い方をしなくなっています。

▲大ピラミッド

文明が出現するのは、原始人と変わらない生活から、だんだん発展していくのを意味します。たとえば、武器です。人間は手があり、道具が使えるので、武器を持つようになりました。そして単に持つだけでは終わらず、武器を独占する者が現れます。

最強の武器を独占するようになった人たちが、権力者です。今の国家が軍事力・警察力を独占し、国民個人には持たせないようにしているのと同じです。強い者は、弱い者に武器を持たせないようにします。そして、ますます弱い者は強い者に逆らえなくなります。当時は、剣や鎧などが権力の象徴であり、今の世界で核兵器の所持が大国の証であるのと同じです。

エジプト文明、メソポタミア文明とはいっても、権力を持つ者が浮かんでは消えを繰り返します。オリエントにおける、その移り変わりを概観しておきましょう。オリエントとは東方のことで「日が昇る」の意味です。

エジプトでは、最初の王朝が登場した紀元前3000年ごろから、紀元前332年にアレキサンダー大王に征服されるまで、31の王朝を数えています。その間、紀元前18世紀ごろに、小アジア(アナトリア)にヒッタイトの王国ができます。ヒッタイトは最初に鉄器を使用した民族です。

メソポタミアには、紀元前1894年にバビロニアができ、アッシリアも登場します。紀元前1000年ごろ、パレスチナにできたヘブライ王国などはマイナー国家です。今のイスラエルぐらいの狭い地域に、最大で7つの国に分かれるほど、まとまりがありませんでした。

紀元前715年に、アッシリアがオリエントを統一します。紀元前680年に小アジアにリディアが建国されます。リディアは、世界で最初の硬貨を使用したことで知られます。このリディアに関しては史料が少なく、謎が多いといわれますが、当時にあっては強大な国でした。

紀元前525年に、オリエントを統一するのはアケメネス朝ペルシャです。アケメネス朝ペルシャは、紀元前330年にマケドニアのアレキサンダー大王に滅ぼされます。

しかしそのあとすぐ、紀元前312年にセレウコス朝が成立し、オリエントに中心が戻ります。紀元前248年ごろセレウコス朝から独立し、イランの地にできたパルティアも大国でした。

なお、ローマ帝国が中心になったのも一時的です。ざっと追っただけでも、中心はオリエントであって、決してヨーロッパではなかったのが見てとれます。「ギリシャ・ローマが世界の中心」などというのは大ウソですので、騙されないようにしましょう。

▲ヨーロッパの歴史観を作ったとされるヘロトドス

■「歴史を書いた」ヨーロッパ人や中国人

権力者が変わっていくなかで、歴史を持った人たちが登場します。のちに「中華帝国」を名乗る人たちとヨーロッパ人です。「中華帝国の歴史観は司馬遷が作り、ヨーロッパ人の歴史観はヘロドトスが作った」といわれます[岡田英弘:著『歴史とは何か』文春新書/2001]。

▲中華帝国の歴史観を作ったとされる司馬遷

日本人が、ギリシャに始まるヨーロッパと中国を世界史の中心と勘違いしてしまうのは、彼らが最初に「歴史を書いた」からです。ヨーロッパ人や中国人は、人類の曙からヨーロッパや中華帝国が、世界の中心であったかのように書いています。最終的に文字を持つ彼らが勝ったから、好き勝手に書いているのです。

本当は中央ユーラシアの方が、中国より強くて豊かな時代が長かったのですが、いかんせん中央ユーラシアの人たちで、文字を持っているのは少数でした。13世紀に「世界史を作った」チンギス・ハーンでさえ文字を知ったのは1204年でした。

歴代中華帝国の歴史を概観すれば、中央ユーラシアの北方騎馬民族に対して、負けている時期のほうが長いとわかります。さらに言うと、中華王朝が統一した時期すら短く、動乱状態の方が長いのです。

たとえば、漢王朝(前漢:紀元前206年〜後8年、後漢:25年〜220年)は「漢字」や「漢民族」などの言葉にその名を残し、中華帝国を代表するかのように思われています。ところが、その漢王朝、前漢の初代皇帝である劉邦からして、北方騎馬民族の匈奴に朝貢し、毎年大量の貢物を差し出して、ようやく国の安全を保っている有り様でした。

その後、漢が滅ぶと三国時代(220年〜280年)の大動乱です。三国時代を統一した晋(265年〜420年)も安定せず、五胡十六国(304年〜439年)の動乱に突入します。5つの民族が中国本土を荒らしまわって、次々と国が浮かんでは消えたので、五胡十六国です。

ちなみに、本当に十六の国だった訳ではなく、主な国と後世の中国人が認定した国が十六ということです。それが少しマシになって、南北朝時代(439年〜589年)になります。華北流域に騎馬民族が次々と王朝をたて、漢人は南に逃げつつ次々と王朝が交代した時代です。これを統一したのが隋(581年〜618年)で、北方の王朝です。

その隋に取って代わったのが唐(618年〜907年)です。隋も唐も北方騎馬民族のトルコ人が、漢民族を征服して樹立した王朝です。その唐が安定したのも、最初の50年くらいです。周辺諸国との戦争や内乱に明け暮れたあげく滅んで、五代十国時代(907年〜960年)に突入します。この時代も騎馬民族が暴れまわりました。ようやく宋(960年〜1279年)が統一しましたが、弱体王朝でした。

満洲人やモンゴル人に朝貢して(=カツアゲされて)、生き延びるような情けない国です。そして元(1271年〜1368年)に滅ぼされます。元は、モンゴル人が漢民族を征服して樹立した王朝です。さらに先取りして言うと、元が出て行ったあとに打ち立てた漢民族の明(1368年〜1644年)は、常に周辺民族に脅かされていました。

西から北に時計回りにチベット、ウイグル、モンゴル、満洲と陸続きで、そして海を隔てた東の日本にも怯えていました。明に代わった清(1644年〜1911年)は、満洲人が漢民族を征服して樹立した王朝です。

清が滅んだ後の中華民国(1911年〜1949年)は、政府が大陸にいる間は一日も休みなく動乱状態でした。今の中華人民共和国(1949年〜?年)は、内に強大な権力を打ち立て、周辺民族に威張り散らしている漢民族の政権ですが、中国の歴史では珍しい状態なのです。

要するに、中国はいつも内輪で喧嘩ばかりしていますし、周辺民族に負けっぱなしなのです。人類の曙から中華民族が文明の中心だったなど、フィクション(作り話)なのです。

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