日本国憲法と合わせて必ず歴史について言及されていた上皇陛下

明治維新以降の国家と皇室をめぐる百五十年にわたる議論から、日本国憲法体制において初めて皇位を引き継がれた上皇陛下が、自由と民主主義を奉じる日本を根底から支えるために、いかなる戦いを繰り広げてこられたのか。まずは「憲法」と「憲法典」の違いを理解しなくてはならないと、近現代史研究家の江崎道朗氏は言います。

■日本国憲法より先に皇室があった

皇室の伝統を守っていくうえで、憲法解釈や運用が重要なのだが、政府も宮内庁も、東京大学の宮澤憲法学と、その影響を受けた内閣法制局の言いなりになっていく。

この危険な動きを察知されていた方がいた。天皇陛下である。陛下は皇太子時代に、憲法の解釈・運用について、専門的な研究をされていたのである。

天皇陛下は、日本国憲法下で即位された天皇である。如何に不備な憲法であれ、また制定過程が如何なるものであれ、帝国憲法がそうであったように、日本国憲法も、時の内閣の全閣僚の副署と、天皇の御名御璽によって成立した。

上皇陛下は「日本国憲法を守る」ことを言われるときには必ず、それと同時に「国民の幸せを念頭におき、たゆまずに天皇の道を進んでいらっしゃった昭和天皇をはじめとする、これまでの天皇に思いをいたし」「長い天皇の歴史を振り返り」「長い皇室の歴史を念頭に置き」というように、昭和天皇の御心や皇室の歴史に触れられている。

象徴とは何かということを語られるときに、必ず歴史に言及されているのと同様、日本国憲法に触れる際にも、必ず歴史に言及されていることは、上皇陛下のお言葉を理解するために見落としてはならない重要なポイントだ。

上皇陛下は、日本国憲法の条文は踏まえるのだが、条文を解釈するための立脚点として「長い皇室の歴史」があることを、何度も示されているのである。

▲東京の皇居を中心とした日々も「長い皇室の歴史」のごく一部 イメージ:PIXTA

天皇と日本国憲法の関係について、葦津珍彦(あしづよしひこ)氏は次のように述べている。

日本国憲法は、象徴の機能が必要なることを考へて「天皇」なる機関を設けたのではない。天皇は議会、政府、裁判所の国家機関のように、憲法によりて生み出されたのではない。その点では「国民」と同じく、憲法に先行し、立憲の前提として現存したものである。(中略)

憲法によって変化したのは天皇と国家権力との関係にすぎないのであって、天皇そのものの本質に変化があったのではない。
[『土民のことば』(葦津珍彦:著 kindle版 葦津事務所)より]

日本国憲法が「天皇制」を作ったのではない。日本国憲法より先に皇室があったのだ。

憲政史家の倉山満氏がよく指摘しているように「憲法」という言葉は本来、その国の歴史や伝統や文化に則った国柄そのものを指す。一方、日本国憲法や帝国憲法のような成文憲法の条文のことは、正確には「憲法典」という。

天皇陛下のお言葉や、葦津氏・井手氏の議論を理解するには「憲法」と「憲法典」の違いを知って、きちんと区別することが必要だ。

「憲法典」イコール「憲法」ではない。「憲法典」である条文を解釈するためには、その国の歴史や国柄を踏まえる必要があるのだ。

▲「憲法」と「憲法典」の違いを知る イメージ:PIXTA

■歴史を踏まえるか、それとも過去と断絶するか

歴史に立脚せず、日本国憲法という「憲法典」の条文だけが、全てであるかのように解釈したらどうなるか。

まさにそれが、宮澤憲法学以来、日本の憲法学界やメディアで起こってきたことだ。内閣法制局第一部長を務めた井手成三氏は次のように慨嘆している。

日本国憲法は第一章を天皇の章とし、第一条において「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定している。

その信奉する観念的な国民主権主義を絶対視し、天皇制を日本国の体制から出来るだけ稀薄にすることをもって進歩主義的な考えの持ち主であると考えている学者たちは、この「日本国民の総意に基く」を解釈して、天皇制は新憲法により(憲法前文に「日本国民は……ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とある)、国民の総意によって設定されたものだ、従って将来、日本国民の総意がかわれば、天皇制廃止も可能だというような飛んでもない方向へ結論づける(たとえば、前掲注解日本国憲法[法学協会:編『注解日本国憲法』上巻 有斐閣/1953年]は「天皇の地位は、主権者たる国民の意思による根拠づけによってはじめて、象徴としての存在が認容されていることを意味するものであり、そのような法的根拠を失えば、天皇の地位は変動せざるをえないのである」と解説している)。

天皇制そのものが、新憲法の制定において、にわかに発案され、制設されたなどと解することは常識外れである。
[『じゅん刊世界と日本』(1973年10月15日号)より]

では、第一条を歴史に立脚して解釈するとどうなるか。井手氏はこう続けている。

憲法第一条の「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」は、天皇が日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴たることを創設する国民の総意に基づくというのではなく、天皇が日本国の象徴であり日本国民統合の象徴たることを確認する国民の総意に基づくということなのである。

日本国の象徴であり日本国民統合の象徴たることを本質として連綿現代に至った天皇制を確認し新憲法においても当然これを護持する。これが国民全体の厳然たる総意であるとして、この第一条の条文となったというべきである。わが国において、天皇が常に日本国の象徴的地位にあり、日本国民統合の中心であることは(時代時代により、天皇の統治作用における権能、職能には変遷はあっても)、歴史的にゆるぎのない事実である。この天皇制を古来不文法的にも相承け、相継いで来た国の体制についての国民の総意を確認して、新憲法は第一条に明文化したものである。〔同前、太字強調は原文のまま〕

▲『日本国憲法』 イメージ:PIXTA

同じ条文でも、歴史を踏まえるか、それとも過去と断絶するかで、これほど解釈が変わってくるのだ。上皇陛下や天皇陛下が日本国憲法に言及されるとき、必ず歴史に触れられていることは、極めて重大な意味を持っている。

※本記事は、江崎道朗著『天皇家 百五十年の戦い』(ビジネス社:刊)より一部を抜粋編集したものです。

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