すべては「平和主義」の誤訳から始まった! 憲法第9条を考える
2021年02月09日 07時00分 WANI BOOKS NewsCrunch
世界の安定に直結しているのは、約70年も続く日米安全保障条約と日米同盟、つまり日本とアメリカの関係性にかかっている。そんな世界のキープレイヤーとして注目されている日本を覚醒させるべく、歯に衣着せぬケント・ギルバート氏が解説。ここでは、誤訳に基づいた「平和主義」の言葉が独り歩きした理由を明らかにする。
※本記事は、ケント・ギルバート:著『強い日本が平和をもたらす 日米同盟の真実』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
■間違って翻訳された「平和主義」
「平和主義」という言葉ほど、日本人がよく使う言葉はないと同時に、これほど日本人がよくわかっていない言葉はないでしょう。
あらためてよく考えてみてください。平和主義って、なんですか?
戦わなければ平和になるのでしょうか。日本の隣には核兵器を持ち軍備拡充に余念のない、PRC(People’s Republic of China =中華人民共和国)という国があり、北朝鮮という国があります。そういった国々に対して塀を建てないでいれば平和になるとでも言うのでしょうか。玄関に鍵もかけないでいることが平和につながるのでしょうか。
「平和」という言葉自体に意味はありません。「平和」という言葉に明確な定義などありません。その言葉を使う人の主観だけで決まっていくものです。したがって「平和」という言葉には、実は意味はないのです。
さらに、ちゃんと知っていて欲しいのは、日本語の「平和主義」は誤訳である、ということです。「平和主義」は、実は間違った翻訳です。
英語に「pacifism(パシフィズム)」という言葉があります。「不戦主義」または「反戦主義」という意味です。この「パシフィズム」を日本語に訳したとき、不戦主義ではなく「平和主義」にしてしまったのです。
ここに「平和=絶対に戦わないこと」という致命的な勘違いが誕生しました。勘違いというよりも「願望」と言ったほうが正しいでしょう。軍隊を持たずに戦争のできない国でいれば平和になると言いたい人たちが、不戦主義を平和主義と訳して広めたのです。これは、プロパガンダの一種だと言えるでしょう。

▲降伏文書に署名する梅津美治郎 出典:ウィキメディア・コモンズ
■平和ボケの原因を作っている憲法第9条
日本国憲法は平和主義憲法だとよく言われます。特に、憲法第9条があるから日本は平和なんだ、と言うわけです。
【日本国憲法 第9条】
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
何度読み返しても、これはひどい条文だと思います。とはいえ誤解のないように付け加えておきますが、私は日本国憲法をまるごと完全否定しているわけではありません。

▲連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー 出典:ウィキメディア・コモンズ
いずれは、すべての条文を見直してGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)草案からの翻訳ではない「自主憲法」を制定すべきだとは思いますが、それ自体は緊急課題ではありません。私は講演会などでよく、日本国憲法は、今日の社会に必要なものはだいたい盛り込まれている、機能的でまあまあ使える「既製品」だと言っています。世界のどこにでも通用する汎用的な既製品であることは間違いありません。
ただし、日本国憲法は第9条があることでXYZ状態になっています。「Examine Your Zipper=社会の窓が開いている」状態です。これではいけません。
憲法第9条は世界には通用しません。「ファスナーを開けっ放しで恥ずかしくないのか」と嘲笑されるだけです。実際、憲法9条のわずか数行の文章は、戦後日本を弱体化させ、無用な議論を生んで人々を悩ませ、とりわけ国防を担う自衛隊員に多大な制約と我慢を強いてきました。
外国に対して憲法第9条を臆面もなく誇らしげに語るのは、実はとても恥ずかしいことなのだ、ということは知っておいたほうがよいでしょう。
■究極に無責任な平和主義者
いわゆる平和主義者とは、何が起きても戦争に参加しないことが高い理想であるかのように考える人たちです。実体は不戦主義であるいわゆる平和主義者の正体は、無責任な楽園主義者です。国境のことひとつをとっても、今このとき、すでに日本がどれだけ危ない状況にあるかということがわかっていません。「戦わない」と言えば侵略されないのか。そんなことはありません。それが世界の常識というものです。
国防のうえで、戦後の日本がなんとかやってくることができたのは、在日米軍と自衛隊の活動によります。この在日米軍と自衛隊を、いわゆる平和主義者たちは敵視します。
しかし、日本がまったく軍備のない丸腰の国になったらどうなるでしょうか。日本に向けてミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮や、海洋侵略を繰り返す中国の指導者は大喜びするでしょう。中国に至っては、尖閣諸島はもちろん沖縄もただちに占領してしまうでしょう。
そして、この在日米軍の活動を主に規定しているのが、日米安保条約という条約です。正式名称を「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States and Japan)」と言います。
1951年(昭和26年)、日本はアメリカ合衆国をはじめとする第二次世界大戦の連合国側49カ国との間に、サンフランシスコ平和条約を締結して国家主権を回復し独立します。同時に旧日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)が結ばれ、GHQとして駐留していた連合国側軍部隊のうち、アメリカ軍部隊が在日米軍として残留しました。
日米安保条約は1960年(昭和35年)に改正、調印されて新日米安全保障条約となり、10年毎に更新を迎えながら今日に至っています。

▲サンフランシスコ平和条約に署名する吉田茂 出典:ウィキメディア・コモンズ
■アメリカにとっての国益のための条約
日米安保条約に基づく日本とアメリカの関係を、一般的に「日米同盟」と呼びます。「日米同盟」という言葉は公式な用語で、外務省のウェブサイトにも「日米同盟は、日本の安全とアジア太平洋地域の平和と安定のために不可欠な基礎。同盟に基づいた緊密かつ協力的な関係は、世界における課題に対処する上で重要な役割を果たす」と概説されています。
歴史の教科書で教えられる日独伊三国同盟など軍事同盟の印象が強く、日本は軍隊を持っていないのになぜ同盟? といった疑問を持つ人もいるようです。2017年(平成29年)に立憲民主党の山川百合子衆議院議員が「日米同盟はいつ始まったのか」という質問を含む、質問趣意書を内閣に提出したことがありますが、政府は「日米両国がその基本的価値及び利益を共にする国として、安全保障面を始め、政治及び経済の各分野で緊密に協調・協力していく関係を総称するもの」という意味で「従来から」と答えています。
日米安保条約の第6条の冒頭には、こう書かれています。
日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
同盟とは、基本的に平等なものです。アメリカが日本に軍隊を置くのは、もちろんアメリカの国益のためです。
では、アメリカの国益とはなんでしょうか。「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与する」。つまり、日本という同盟国の安全を保障することがアメリカの国益なのです。

▲ドナルド・トランプ 出典:ウィキメディア・コモンズ(photo:Gage Skidmore/2016)
少し乱暴な言い方になりますが、そのついでに日本という国自体が助かっているということです。日本の安全が危うい、つまり日本が弱ければ、世界のパワーバランスが崩れてアメリカが困る、ということで日米安保条約に基づく日米同盟が続いているわけです。国益として合わないのであれば、決して同盟など結びません。
ところが、日本の人たちは、この「国益」というものを考える習慣がないようです。
有権者はもちろん、政治家においても、日本独自の国益ということをようやく考え始めたのはつい最近、2017年にドナルド・トランプが米大統領になって国益という言葉を頻繁に使うようになってからのことでしょう。
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