「ポツンと一軒家」人気にも繋がる“解放されたい”欲求…孤独本が静かなブーム

「ポツンと一軒家」人気にも繋がる“解放されたい”欲求…孤独本が静かなブーム

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画像: Dean Drobot / shutterstock

「孤独」を肯定的に捉えた書籍が、ここ数年、にわかに世に出回るようになった。



最近出版された『「孤独」という生き方』(光文社新書)もその1冊だ。しかし、他の「孤独本」と一線を画するのは、著者の経験や想いに加え、「孤独を好む」多くの人たちへの豊富な取材を通したノンフィクション形式を取ることで、人間の根源的な欲求を突き止め、真に「生きる」とは何かを考察していることだろう。


本書は、最愛の息子を失った著者のノンフィクション作家・織田淳太郎氏が、「誤魔化すことのできない孤独から逃れるという孤独にさえ耐えきれず」、野生動物が跋扈する、さらに深い孤独環境へと身を隠すシーンから始まる。


「4年と9カ月前、先妻との一人息子を病で亡くしました。形容しがたい喪失感の中で、なぜか『この都会の雑踏を離れたい』『独りにさせてほしい』という想いが噴き出してきて、どうしようもなくなったんです」(織田氏)


まず、織田氏は関東西部の標高850メートルの人里遠く離れた山中にある禅寺に身を隠した。そこは住職が一人暮らす文字通りの秘境の地だったが、しばらくして緑深いひっそりした山の奥に自分だけの庵を構える。織田氏の心が哀しみや喪失感に揺れながらも、緩やかに、しかも確実に癒やされていったのは、そのプロセスにおいてだったという。


催眠療法の第一人者で公認心理師の国家資格を持つ米倉一哉氏は、こうした孤独を求める心理をこう分析している。


「これまでは人と繋がることを良しとし、多くの人と一緒になることが善とされる時代が続いてきました。ツイッターやフェイスブックなどSNSの爆発的な普及は、それをいかにも象徴していますし、多くの人がご自分の中の淋しさもあって、群れ集うことを求めてきた。ただ、それはある種の弊害も生むのです。つまり、『監視されている』『価値判断されている』といった窮屈な感覚です。実際、ネット上のバッシングは後を絶ちませんし、人々が傷つけ合う土壌にもなってきました。しかも、多くの人と繋がると言っても、それは形骸化した繋がりでしかなく、それによって孤立感が逆に深まることもある。すると、今度は『解放されたい』『ありのままの自分でいたい』という欲求が、潜在的に喚起されるものなのです」


群れることへのアンチテーゼ

現代人の多くが潜在的に抱える「解放されたい」という欲求。たとえば、テレビ朝日系の『ポツンと一軒家』が、長期にわたって20%近くの高視聴率を誇ってきた要因も、そうした人々の欲求がそこに投影されているからだという。


「いわば、群れることへのアンチテーゼでしょう。群れることの煩わしさから解放されて生きている彼らは、いったいどんな暮らしをしているのか、どういう気持ちで毎日を生きているのか…。そういった興味が多くの人の中で喚起されたはずですが、裏を返せば、それは人びとの『解放されたい』という欲求を物語っています。そして、時代はいまや『人々が群れ集いたい時代』から『人々が離れたがっている時代』へと移り変わりつつあるのは、間違いないと思いますよ」(同)


米倉氏によると、良くも悪くも、その時代の価値観の転換に大きく関与したのが、新型コロナウイルスの世界的蔓延ではないか、という。事実、昨年5月下旬の緊急事態宣言の全面的解除後、内閣府が1万人を対象に調査した生活意識や生活様式の変化についても、興味深いデータが残されている。それによると、リモートワーク経験者の24.6%が地方移住への関心を高め、64.2%が「仕事より生活を優先させたい」と答えるなど、ライフワークにおける顕著な志向傾向が浮き彫りになった。若い世代にもその傾向は目立ち、都内23区在住の20代の35.4%が地方移住への関心を寄せている。


田舎物件を扱う、ある不動産会社経営者が言う。


「昨年後半になって、田舎物件を見学したいという人がやたらと増え、都市から別荘地帯に移り住んだ人も多く出てきました。山そのものを購入したいと相談に来る人もいて、実際に購入した人もいたほどです。いま流行のソロキャンプの影響でしょうが、誰にも気兼ねなくキャンプを楽しみたいというのが理由でした。やはり、都会の煩雑さに辟易した人、人間関係にうんざりした人が、コロナを機に心のオアシスを求めるようになったのでしょう」


ありのままの自分でいたい

前出の織田氏はいま、山の深みにある自分の庵で月の半分近くをすごし、ときに先述した標高850メートルの禅寺にも、留守番を兼ねて籠もっているという。


「都会にいて夥しい情報や人々の情念などに触れていると、あれこれ余計なことを考え、イライラしてくることもあります。でも、誰もいない静かな自分の庵に独りでいるときは、心の雑音が不思議なほど静まり、自分の中の自然な感覚と溶け合うことができる。山の自然はいつも『ありのままの自分』を無条件に受け入れてくれますし、何を考えようが、何をしようが、私を非難するものも存在しません。私は息子を失った当初、自死まで考えていましたが、いまでは以前とはまるで違う穏やかな自分が、そこにいることが分かるようになりました」


織田氏のこの心の状態は、孤立としての「孤独」と明らかに違う。織田氏はこれを「独り在ること」と呼んでいるという。以下が、織田氏によるその定義だ。


《いまここにいる自分以外の何かになろうとすることを放棄した心の状態》


そして、鎌倉時代に『方丈記』を記した鴨長明がそうであったように、こうした心の状態は人びとが普遍的に求めてきた欲求であることも、紛れもない事実なのかもしれない。


何よりも孤独を愛した思想家のヘンリー・ソローは、200年近くも前にこんな言葉を残している。


『僕たちは群れて暮らし、たがいに邪魔をしあい、つまずきあっている。こうして人は、たがいに尊敬の念を失くしていくのではないだろうか。そんなに頻繁に会わなくても、大切な、心のこもったつきあいはじゅうぶんに続けられるはずだ』(イースト・プレス刊『孤独の愉しみ方』より)



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