「なんで邦楽流してんだよ」MTV大改革で直面した社内の猛反発…たどり着いた“たったひとつのこと”

「なんで邦楽流してんだよ」MTV大改革で直面した社内の猛反発…たどり着いた“たったひとつのこと”

©佐藤亘/文藝春秋

 2014年からツイッタージャパンの代表取締役を務める笹本裕氏。35歳のとき、ヘッドハンティングされ、MTVジャパンの副社長に就任する。ところが華々しい肩書きとは裏腹に、待っていたのはストレスで神経痛になるほど苦しい日々だった。

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■ヘッドハンティングで転職。ポストは「副社長」

 ぼくは新卒でリクルートに入って、そのあと仲間と一緒に起業しました。しかし事業は思うように大きくならず、会社を売却することになります。仕事がなくなって「この先どうしよう」と思っていたときに、ヘッドハンティングされたんです。

 転職先は「MTV」というケーブル放送のチャンネルでした。本社はアメリカにあるのですが、日本に上陸するためにある会社を買収して、日本支社を立ち上げていた。その日本支社の「副社長」としてのオファーでした。2000年に入社して、その後2002年には代表取締役社長兼CEOになりました。

 ぼくにお声がかかったのは、リクルート時代にMTVと「日本進出のためのパートナー契約」の交渉をしたことがあったからでした。 そのときは契約には至らず、MTVは結局べつの会社を買収しました。でも日本支社の立ち上げにあたって「そういえば笹本というやつがいたな」と思い出してくださったのです。

 MTVのブランドはもともと知っていたので「あのMTVの副社長か」とワクワクしていました。端から見ると「なんて魅力的なポストなんだ」と思われていたでしょう。

 ところがいざ入ってみると、実態は聞いていた話とはまったく違っていたのです――。

■「え、人事も財務も後任はぜんぶぼくってことですか!?」

 それこそ笑い話ですが、面接をした場所はすごくカッコいいオフィスだったので、実際に働く場所はさぞかしすごいんだろうと思っていました。でも行ってみるとまったく違って「これはだまされたかな?」と(苦笑)。おそらく面接のときのオフィスは、そのとき使っていた採用エージェンシーのものだったのでしょう。

 実際問題の仕事内容は……というと、最初に言われていた以上のことを求められました。

「買収した会社をMTV色に変えて成長させろ」というのが、ぼくの当初のミッションでした。買収した会社のもともとの事業体を解体して、人員も整理して、収益をあげていく。その全体の統括がぼくの役割のはずでした。

 ところが蓋を開けてみたら、買収した会社にいる人のほとんどは親会社の人で、その人たちは買収をうけて、親会社に戻ってしまうというのです。

 ぼくはなにも知らされていませんでした。突然、「実はぼくら明日からいなくなるんです」と言われたのです。「ええっ、人事部長がいなくなるんですね。えっ、財務部長も。え、後任はぜんぶぼくってことですか!?」

 結局、人事も財務もぼくがやるハメになったのです。生まれて初めて人事規定を読んで勉強するなど、それからはもう本当にハードな日々でした。

■本社と社員との板挟み…ストレスで神経痛に

 ぼくは当時35歳くらいだったので、社内には年上の方もけっこういました。外部からきた若造が、いきなりリストラしないといけない状況です。

 なかには「逆の立場になってみるといいですよ」という捨て台詞で出ていく人もいました。ぼくはもう心身ともに限界。買収したとき200人弱いた社員は、最終的に半分ぐらいになりました。

 社員だけでなく、本社とのやりとりも大変でした。当時のMTVジャパンには、パートナーが2社いました。1社はMTV本社、もう1社はファンドです。

 ファンドは支援した会社の市場価値を上げて売却したいので「なんでもいいから、とにかく収益を上げていこう」というマインドが強いんです。「売上は毎月あげろ。利益も出せ。こんな成長率じゃ、株価は上がらないぞ」と、つねに発破をかけられていました。

 そんななかで、人はどんどん減らさないといけません。辞めてもらう人たちとの面談もしないといけない。本社と社員との板挟みの状態。ストレスで身体中がひどい神経痛になってしまいました。「もう無理だ。いますぐにでも辞めたい」と思っていました。

■「お前はここでシャベルを投げるのか?」

 そんななか、リクルートの先輩に相談しました。

 ぼくが開口一番「辞めたいんです」と言うと、先輩は「おまえは今、砂漠を歩いているんだ」と言うのです。「砂漠にいて、蜃気楼も見えているかもしれない。つらい気持ちはわかる。でもいまは、砂を掘って、水脈を掘り出そうとしているタイミングだと思う。あともう一掘りしたら出てくるかもしれないのに、おまえはここでシャベルを投げるのか?」と。

 いまだったら「そんな先の見えないこと、やってられるか」と思うかもしれません。でも当時まだ若かったぼくは、その先輩の言葉を真に受けて「そうか。もっと掘ろう」と思いました。

 すると、本当に「水脈」があらわれてきたのです。

■会社を変えたい。でも、投資はできない

 当時のMTVは、世間にまったく認知されていませんでした。まずはMTVのプレゼンスを上げないといけない。そのためには「起爆剤」が必要でした。

 ぼくが考えた起爆剤とは「MTV ビデオ・ミュージック・アワード」を日本に持ってくること。これはもともとアメリカのMTVが主宰する世界最大の賞です。それを日本でも立ち上げようと考えたのです。

 ただし、それにはお金がかかります。でも会社としては、収益も売上も両方上げないといけません。投資をすると売上は伸びますが、収益は悪化します。収益を下げずに、インパクトがあることをしないといけない。そこで「とにかくスポンサーさんに頼るしかない」と思ったわけです。

■社内外からの反発をうけた編成の大転換

 しかし、日本のスポンサー企業のほとんどは、MTVに関心を持ってくれていませんでした。というのも、当時の日本のマーケットは、洋楽が2割で邦楽が8割ぐらいでした。それなのに当時のMTVジャパンは、洋楽しか流していなかった。しかも視聴率がどのぐらいとれているかというのも、まったく意識されていませんでした。「好きな人だけ観ていればいい」という雰囲気だったわけです。

 そこでぼくは「視聴者が増えてスポンサーがつくように、編成を変えよう」と言いました。スポンサーを集めるために、これまで洋楽しか流さなかったチャンネルで邦楽を流す。それはものすごい戦いでした。ブランドのカルチャーをも変えてしまうぐらいの、大きな決断です。

 もし当時ツイッターがあったら、ぼくはボコボコに叩かれていたでしょう。「MTVのことをわかってない。なんで邦楽流してんだよ」と。「2ちゃんねる」はすでにあったので、そこではけっこうひどいことを書かれていたのを覚えています。

■「感性」ではなく「数字」で判断する

 当然、社員からも反発されました。それでも社員についてきてもらうために、ぼくが気をつけていたのは「感性で判断しない」ということです。

 ぼくはある意味、ズブの素人です。別に音楽業界にいた人間でもない。自分のことをセンスのある人間だとは全く思いません。でも、経営陣として「数字」を見ることはできます。だから絶対に感性では判断せずに、結果の数字で判断すると決めているんです。

 ぼくは制作現場の社員に「選択肢は二つある」と言いました。

 ひとつは、ガンガン洋楽をかけたりして、好きなものをやる。その代わり、視聴率がどれぐらい伸びるかの数字目標は約束すること。

 もうひとつは、スポンサーがつく番組をつくること。もちろん、決してMTVのブランドを傷つけてはいけないというのが前提です。「この二択で選んでくれ」といいました。

「そんなんじゃ、自分の思う芸術作品はつくれない」といって辞めていく人もけっこういました。でも結果的に、残った人たちの自由度はわりと高かったと思います。ぼくは制作のプロセスで細かく「こうしろ、ああしろ」と言うわけではなく「数字かスポンサー、どちらかの結果を残してくれ」と言うだけだったからです。

 実際に、それからいろいろなクリエイティブが生まれました。そのひとつに、アニメテイストの作品がありました。ぼくはパッと見たときには、その作品のよさがぜんぜんわかりませんでした。でも、数字は出たんです。結果的にDVDでも販売しようということになって、けっこう売れました。もし数字ではなく感性で判断していたら、そういう作品も生まれなかったかもしれません。

■数字にこだわるからこそ、クリエイティブが発揮される

 番組の根幹である編成を変えていく。反発が生まれることだからこそ、きちんと数字で指標を作ってあげるのは大切です。

 クリエイティブな仕事だと、カルチャーを重んじすぎて、数字やお金の話を毛嫌いする風潮があったりします。「お金のためにやっているんじゃないんだ」みたいなやりとりも、最初のうちはありました。

 でもきちんと数字を見て経営することで、結果的には給料も上がっていくし、予算もついて、やりたい番組ができていきました。彼らの制作者としてのプライドも一旦は崩されたかもしれませんが、その後はちゃんと尊重することができていたのではないかと思います。

「ビデオ・ミュージック・アワード」はその後、MTVジャパンの看板番組になりました。マイケル・ジャクソンに出演していただいたときの映像は、いまだに特集番組で使われていたりします。毎年ものすごく大きな文化祭をやるような感じで、準備は大変なのですが、その分やり切ったときの満足感も大きかったです。

 MTVに入社して、最初はリストラもしないといけないし、すごく苦しかった。でも「あのときシャベルを投げずに、掘り続けてよかった」といまは思っています。

構成=竹村俊助? @tshun423
写真=佐藤亘/文藝春秋

(笹本 裕,竹村 俊助)

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