「毎日スパイスカレーを食べる女子大生って変人扱いだった」「マニアの食べものだと…」若手料理研究家が直面した“カレーへの偏見”
2022年04月12日 07時00分 文春オンライン

印度カリー子さん
スパイスカレーに目覚めた漫画家・西倉新久さんによる「カレー」と「音楽」についての漫画 『ピリピリとビリビリ』 (文藝春秋)が2022年4月12日に発売された。
作中のスパイス料理の監修を務めた印度カリー子さんのインタビューを再掲する(2019年10月21日初出、年齢や肩書きは当時のもの)。
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2019年9月、文春オンライン編集部に異変が起きた。編集部員が次々とスパイスカレー作りにハマってしまったのである。
記者は特に極端で、自炊をまったくしない生活から、スパイスカレーを週3、4回作る生活へと暮らしが様変わりしてしまった。
今年の夏だけでも、『dancyu』2019年9月号や『RiCE』2019年夏号、『料理通信』2019年8月号や『Meets Regional』2019年9月号がスパイスカレーの特集を組んでいる。
スパイスカレーに抗いがたい魅力があるのは間違いない。ブームも到来しつつある。しかし、なぜスパイスカレーってこんなにも魅力的なのだろう?
その謎を解明すべく、東大大学院で栄養学を研究する現役大学院生であり、スパイスカレーの本を4冊上梓している印度カリー子さん(22)にお話を伺った。
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■「そっか、毎日カレー食べてもいいんだ」と気づいた
――今日は、なぜスパイスカレーは「沼」なのかを聞きたくて、伺いました。その前に、まず印度さんがスパイスカレーにハマったきっかけを教えてください。
印度カリー子さん(以下、印度) 3年半前の大学1年生の終わり頃に、同居していた姉のためにスパイスカレーを作ったのが始まりです。
――ハマってからたった3年で、スパイスカレーを題材に4冊も。ものすごいハマりようではないですか。
印度 たしかに(笑)。最初に作ったときから、ずーっと好きなんですよ。
あえて転換点を言うと、作り始めてから半年くらい経ったときに、全国には毎日カレーを食べているカレーマニアたちがいることを知りました。「そっか、毎日カレー食べてもいいんだ」って気づいてからは、毎日食べてますね。
――スパイスカレー作りって、なんでこんなにハマるんでしょう。
印度 まず、素材が馴染みのあるものばかりじゃないですか。玉ねぎ、トマト、にんにく、しょうが、塩。それにたった3種類や4種類のスパイスを組み合わせるだけで、一気にお店で出てくるようなカレーになっちゃう驚きがあると思うんですよ。「えっ、できちゃった」っていう感動があるというか。
あとは、言うなれば作り方は全部同じなのに、ちょっと素材を変えたり、スパイスをいじったりするだけで全然違う味になるんですよね。バリエーションが無限なんです。
■カレーを作るようになってから気づいた“偏見”
――ちなみに、最初にカレーにハマったときの周囲の反応は?
印度 もうすごいドライで。「なんでカレーなの」って。
――冷たい!
印度 スパイスカレーって今でこそだんだんメジャーになってきましたけど、数年前は毎日スパイスカレー食べてる女子大生って、完全に変人扱いだったんですよ(笑)。
印度 そこで、スパイスカレーに対して偏見がすごくあることに気づいて。当時は南アジアの人がおたま持って作ってるっていうエスニックのイメージか、こだわりの強い男性がスパイスを調合して……というマニアなイメージが強かったんですよね。
――たしかに、今でもそういうイメージはあるかもしれません。
印度 そうですよね。でも、それって大きな誤解だと思ってます。こんなに簡単にたくさんのバリエーションが作れる料理って、食卓の一品としてすごくポテンシャルがあると思うんです。特に、主婦の方にはこの良さを絶対に分かってもらえると確信してました。
■日本の食卓は多国籍だ
――主婦ですか。一番スパイスカレーからかけ離れている印象かも……。
印度 そう思いますよね。でも、よくよく考えたら、日本の主婦の方って非常に好奇心旺盛なんですよ。
日本の食卓って、グラタンも出てくるし、餃子も出てくる。非常に多国籍なんです。日本の主婦の方は「いいものだ」って感じたら、なんでも作ってしまう。だから、最初からツイッターやインスタでは、主婦の方とつながるよう心がけていました。
――当初はブログで発信していたと聞きました。ハマってから、どれくらい経った頃でしょう。
印度 大学2年生の4月なので、ハマってから2ヶ月目くらいですね。
――もう、さっそく広めるべきだと。
印度 はい。日本で広める活動をすれば受け入れられることは、その時点で気づいていて。
スパイスが受け入れられるために必要だと思ったのが、スパイスを簡単に買える環境と、カレーのレシピでした。それで、まずはレシピをブログにあげることから始めたんです。
――レシピも、ハマってからすぐ作っていたのですか?
印度 ほとんど最初からです。というのも、当時は日本語のレシピがあまりなかったので英語のレシピを参考にしていたんですけど、海外のレシピは油っこいものが多くて……。アレンジを加えて、油少なめのレシピを考えていました。
■レシピ本では、ハードルをとにかく低く
――スパイスカレーにはマニアックなイメージがあるとおっしゃっていましたが、印度さんのレシピ本はマニア感がないですよね。
印度 とにかくスパイスカレーを作るまでのハードルを低くしたいので、マニア感、エスニック感はなるべく排しています。
それに、いろいろな人に作ってもらいたいのはもちろんなのですが、一番のお客さんは女性です。中でも、主婦の方。主婦の方ってレシピに「玉ねぎ1個」と書いてあったら、「大きい玉ねぎでも小さい玉ねぎでも、まあおいしくできるだろう」って判断するような方が多いと思うんですよ。
――たしかに、毎日食事を作っていると、グラム単位では考えないですよね。
印度 そうなんです。だから、直感的に作ってもおいしいレシピを意識してます。パッと見てわかりやすいよう、工程の写真もたくさん入れるようにしてますね。
写真で言えば、従来のカレー本って、寄り寄りで、ふちが切れてる写真が多いんですよ。「どうだ、お腹が空くだろう」って言わんばかりの。
――言われてみれば、カレーの写真ってそんなイメージです。
印度 それって男性が好きな撮り方なんですよね。私のレシピ本では、あえて寄らずに、お皿や全体を写す写真を多く使っています。ヘルシーで可愛らしくて、日常の一コマっぽく見えるようにしたいな、と思って。
■大学でも教授に「カリー子」と呼ばれていた
――印度さんのお話って、すごく理路整然としています。実はゴリゴリの理系だったと伺いました。
印度 いやあ、そうですかね……。学部時代の専攻は物理でした。カレーとは全然関係ない学部です(笑)。
――じゃあ、当時は研究と、スパイスカレー生活の両立を。
印度 はい。でも、卒業する頃にはスパイスと関係がない研究だとなかなかモチベーションが湧かなくて……。卒論は無理やりスパイスに絡めていました。その頃には教授にも「カリー子」って呼ばれてましたね。
――学部時代に、スパイスショップも立ち上げています。
印度 大学3年生の頃ですね。先ほども言ったように、日本でスパイスカレーを広めるにはレシピの他に気軽にスパイスが買える環境が必要だと思ったので、自分で立ち上げよう、と。
最初に手掛けたのが、「はじめてのスパイスキッチン」です。自分でスパイスを調合してみたいけど、どこで買えばいいのか分からないし、買っても余りそう、という声が多かったので、1回作る上で必要な分をセットにしたもの。
あとは、百貨店向けに開発した「Dear. Curry」という商品。ホールスパイス(原形のままのスパイス)とペーストが入っていて、具材だけ用意していただければ10分で本格的なカレーが作れます。今、東急ハンズさんで4店舗に置いていただいていますね。
今は、毎月約3,000セットほど、人数にしておよそ1万人分ほどを全国にお届けしています。
――ここまでくるのに、苦労も多かったのでは。
印度 学生ということもあって、スパイスを扱ってくれる工場を探すのが一番大変でした。お願いできる工場が見つかってからも、わたしのスケジュールがいっぱいいっぱいになっちゃって、欠品が続いてしまった時期もありましたし。
でも、ありがたいことに注文がすごく増えてきたので、新しく工場ができることになったんです。それに伴い、個人事業主としてではなく、会社としてショップを運営することになりました。
――すごい! それでは、これからは会社経営者としても活動を。
印度 もう、倒産するまでやります(笑)。スパイスカレーのブームが来たって言っても、実際のところはまだまだなんです。
■来年、再来年には爆発的なブームが到来する
――昨年、今年とメディアがスパイスカレーを取り上げることが増えた印象ですが、それでもまだまだ?
印度 まだまだです。ブームが来たと言っても、まだ都内の現象でしかないんですよ。私は宮城県出身なんですが、地方には来ていません。
それに、カレーブームがくることは、カレーにハマり始めた大学1年生の頃にすでに予想してたことなんです。カレー作りの手軽さ、バリエーションの多様さについても話しましたが、そもそも日本人の味覚が変わってきているんですよね。
――味覚が変わってきている?
印度 まず、確実に健康志向が浸透してきています。スパイスは身体に非常にいいので、スパイスカレーと健康志向の相性はとてもいいです。
次に、数年前のパクチーブーム。あれだけ香りにクセがあるのに、ブームの後は、多くの人がパクチーを受け入れました。さらに言えば、その後のケバブブーム。パクチーはタイ料理で、ケバブはトルコ料理なので、残るはインドだな、と思ったんですよね。
だから、来年、再来年にはもっと爆発的なブームが到来するはずなんです。そのブームが来たら回る歯車を、つまり言い換えれば基盤を確実に作っておかなきゃ、という気持ちでやっています。
■原石を見つけちゃったから、磨くしかなかった
――説得力がある……。起業家マインドとはこのことか、という気持ちです。
印度 いやいや、起業は成り行きで、本当は専業主婦になりたかったんですけど。
――えーっ! 今日聞いたお話の中で、一番びっくりしています。
印度 将来の夢もなかったですし、人付き合いも得意なほうではないので、研究者になって将来の旦那さんを探そうかなって思ってたんですけど。
でも、ある日スパイスカレーに出会っちゃって。絶対に成長することが約束されている原石を見つけちゃった感じだったんですよ。磨けばめちゃめちゃデカいダイヤモンドになることがわかってる原石を見つけちゃったら、もう磨くしかないじゃないですか。
――たしかに、そのへんに捨てておこう、とはならない。
印度 ならないですよね? もっと言えば、私と同じタイミングで「これは原石だ」って気づいている人がいっぱいいるはずだと思ったんですよ。他の人に先を越されたときに、「私のほうが先に見つけてたのに」って言っても負け犬の遠吠えにしかならない。それだけは絶対に嫌だったんですよね。
当時は大学1年生だったので、在学中にやれば、もっと多くの人が注目してくれるかもしれない。学生という肩書を使えば、スパイスカレーに対して「簡単」「手軽」といったイメージを持ってもらえるかもしれない。
そうやってがむしゃらにやっているうちに、人生も変わったし、名前も「カリー子」に変わっちゃいました(笑)。
――スパイスカレーで人生も、名前も変わっちゃった。後悔することはありますか?
印度 もちろんありません! スパイスカレーにハマってから、人生が本当に楽しくなっちゃったので。読者の方にも、ぜひぜひにカレーにハマってほしいですね。
写真=平松市聖/文藝春秋
(「文春オンライン」編集部)
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