【追悼】「ソニーを復活させた男」出井伸之の功績、過去には“世界のワースト経営者”と酷評されたことも

【追悼】「ソニーを復活させた男」出井伸之の功績、過去には“世界のワースト経営者”と酷評されたことも

元ソニーCEO・出井伸之とはどんな経営者だったのか? ©文藝春秋

 元ソニーCEOで、日本を代表する経営者の出井伸之さんが2022年6月2日、東京都内の病院にて肝不全で亡くなったことがわかった。84歳だった。

 かつて「世界のワースト経営者」とも評されるなど毀誉褒貶の激しい出井氏だったが、純利益初の1兆円超えるなど“今のソニーの成功”は彼がCEO時代に蒔いた種が実った結果と言っても過言ではない。出井氏と交流のあったノンフィクション作家・児玉博氏の評を、ここに再公開する(初出・2022年5月23日)。

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■「うちは製造業の会社なんだぞ」

 個人、法人に対し金融サービスを提供する会社「マネーフォワード」。2012年に創業された新興企業だが、株式市場が低迷する中でも、時価総額は1800億円を超え、投資家からの信頼は厚い。

 創業者の辻庸介は京大を卒業後、入社したソニーでこんな体験をしている。大学でバイオの研究をしていた辻はソニーの入社式で同社CEOだった出井伸之の言葉に胸躍る思いを感じた。

「ソニー創業者、井深大、盛田昭夫、岩間和夫、そして大賀典雄らが描いた夢をインターネットで、デジタルで実現していこう」

 辻はこの言葉を聞き、震えるほどに感動し、「ソニーを選んで良かった」と独り言ちた。その感動を配属先の上司らに「ソニーはインターネットの会社になるんですね。デジタルの会社になるんですね。素晴らしいですね」と素直に伝えた。

 ところが、上司からは思わぬ言葉が返って来た。

「あのな、ソニーは製造業の会社なんだよ。社長ももうすぐ変わるんだよ。忘れるなよ、うちは製造業の会社なんだぞ」

 辻は入社から3年後にソニーが出資し、投資銀行「ゴールドマン・サックス」出身の松本大と立ち上げたインターネット証券の先駆者「マネックス証券」に出向、後に転籍し、ソニーに戻ることなく起業する。

 1995年に社長に就任し、「Re-Generation」「Digital Dream Kids」を掲げ、ソニーをインターネット・コンテンツの会社へと舵を切った出井の10年間。それは、辻が体験した“製造業のソニー”との軋轢の10年間でもあった。

■創業者・盛田昭夫が覚えた危機感

 社長就任直後、出井は2つの標語、「Re-Generation」「Digital Dream Kids」を携えて、創業者であり、当時もなお“ソニーの顔”であった盛田昭夫を訪ね、感想を求めた。すると、盛田は顔を曇らせた。

「おい」

 盛田は、出井が入社した時から可愛がり、若造の出井を誘ってはゴルフをともにするなど、会社の上司部下を離れて気心の知れる間柄だった。だから、敢えて盛田も明け透けな言い方をした。

「お前、これじゃ社内から反発が出るぞ。……社内だけじゃなくて、製造業すべてを敵にまわしはしないか……」

 一介の町工場だった東京通信工業を世界のソニーに育てただけではなく、金融の世界に足を踏み入れ世界的な映画会社を傘下に収めるなど、製造業でありながらそうでない道も切り開いてきた盛田だった。だが、その盛田でも若い経営者の決断に、その趣旨に理解を示しながらも、不安を覚えたようだった。

 その後、盛田は病に倒れ、“出井ソニー”を見届けることなく他界する。

■「ソニーも隕石で滅んだ恐竜のようになってしまう」

 出井が、来たるべき時代は製造業の時代ではない、と確信したのは1994年のことだった。

 当時、広告宣伝本部長だった出井の姿は米シリコンバレーにあった。米副大統領アル・ゴアが発表するという「情報スーパーハイウェイ構想」を聞くためだった。全米を高速デジタル通信網でつなぎ、インターネットを国のインフラにしようとする壮大な計画だった。インフラが整えば、情報は瞬時に世界を駆け巡る。出井はこの構想に衝撃を受ける。

「(ソニーも)変化しなければ、隕石で滅んだ恐竜のようになってしまう」

 インターネットに衝撃を受けた出井は、当時の社長の大賀典雄、副社長の伊庭保に建白書を提出する。この建白書では、「ネットワークを利用した巨大企業の誕生の可能性(現在で言うGAFAであろうか)」「通信ビジネスを利用した統合者の成長」「メディアは一方通行から双方性に移行する(対話型のパーソナルメディア)」などが記されていた。

 そして、この翌年、出井は創業世代とは無縁の、しかも理系ではない人間として社長に選ばれる。本人が一番驚いたというように、出井は前年に常務に昇格したばかりの“末端”役員の1人に過ぎなかった。

 社長交代を発表する記者会見で、出井選出の理由を聞かれた大賀が「消去法だった」と述べるなど、出井選出に異論があったことを暗に認める発言をしている。それ自体が異例のことではあるのだが。

■「有形資産」から「無形資産」へ

 社長となった出井のとった方策はわかりやすかった。従来のソニーのコアビジネスである「エレクトロニクス」はもちろんだが、「映画」「音楽」「ゲーム」もコアビジネスと明確に定義づけた。それはインターネットの時代、デジタルの時代には従来の「有形資産」から「無形資産」への転換が起こると確信していたからだった。つまり、「ビッグデータ」「特許」「情報」「ブランド」「アルゴリズム」……こういったものが「無形資産」だが、出井は意識して「エレクトロニクス」主体のソニーのビジネスモデルを転換していった。

 世界を席巻する「グーグル」「アップル」「アマゾン」などはまさに「無形資産」時代の申し子である。

 社長就任時、ソニーの売上はおよそ4兆円。しかし、有利子負債も2兆円を超えていた。半ば聖域とされていた「エレクトロニクス」部門の技術開発費にメスを入れつつ、大量生産モデルの限界が大賀体制後半からはっきりしてきていた。それに反して、インターネットの普及、デジタル化への波は強まるばかりだった。

 1996年、「パーソナルコンピュータ」事業への再参入を宣言した出井は、インテルのアンドルー・グローブ会長、同じく会長だったマイクロソフトのビル・ゲイツとの連合をまとめ上げ、PC「VAIO」1号機を米ニューヨークで華々しく発表する。AV企業からAV/インターネットを融合した会社へ変貌するソニーを象徴するPCの誕生だった。そして、「VAIO」は一世を風靡するほどの大ヒットとなった。翌年にはブラウン管式平面テレビ「WEGA」もヒットする。

 有利子負債の圧縮も順調に進む。また「ソニーコミュニケーションネットワーク」(現、ソニーネットワークコミュニケーションズ)やスウェーデンの通信機器メーカー「エリクソン」との合弁「ソニー・エリクソン・モバイル・コミュニケ―ション」(現、ソニーモバイルコミュニケーションズ)などを設立。ソニーのネットワーク化を進める。

 一方、ゴールドマン・サックス出身の松本大と折半でネット証券の走りであった「マネックス証券」を立ち上げ、デジタル化が著しかった音楽業界でもレコード大手「独BMG」を買収し、「ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント」を設立。コンテンツビジネスでも布石を打っていた。

■「僕はいつも10年早すぎるって言われてるんですよ」

 ところが、2003年、エレクトロニクスの不調が呼び水となり株価が暴落する「ソニーショック」や、また、「ウォークマン」がアップルのiPod、iTunesに完敗することも重なり、国内外、特にソニーOBやソニー支持者たち、かつてのソニー製品に郷愁を持つ者たちの間から出井退陣要求が強まる。1997年には出井を「世界のトップビジネスマン」と讃えた米ビジネスウィーク誌は一転、出井を「世界のワースト経営者」と酷評した。

「僕はいつも10年早すぎるって言われてるんですよ」

 出井はこんないい回しで当時を振り返って見せた。

 2021年3月期、ソニーの純利益は初めて1兆円を超え、時価総額は15兆円以上となった。ソニー復活の原因は、そのポートフォリオを見れば一目瞭然だ。出井が社長だった当時、エレクトロニクスの売上は、およそ全体の70%を占めていた。現在では「エレクトロニクス・プロダクツ&ソリューション」のそれは25%程度でしかない。残りはゲーム、映画、音楽、金融といった言わばコンテンツビジネスがソニー復活を支えているのだ。

 なにも出井が蒔いてきた種が現在のソニーを支えているとは言わないが、出井が「有形資産」からコンテンツなどの「無形資産」へと舵を切ろうとし、布石を打ってきたことは忘れてはならない。まさに冒頭での「マネーフォワード」創業者、辻の体験談は“出井ソニー”の象徴だろう。

 減点主義が横行する日本では、多くの場合、サラリーマン社長は、精彩を放つことはない。今もって、サラリーマン出身者のスター経営者といえば、トヨタの奥田碩であり、ソニーの出井だろう。

“井深が見つけ、岩間が作り、盛田が売った”とも評され、ソニー第3の創業者とも言われたのが4代目社長、岩間和夫だった。岩間がいなければ、ソニーはもちろん、日本の半導体産業は育たなかったといわれるほどの技術者だった岩間は、理系ではない文系出身の出井を可愛がった。技術者の牙城だった「オーディオ事業部長」に出井が手を上げた時も、

「出井は“千三つ(せんみつ)”だから面白いかも。やらせてみよう」

“千三つ”というのは、大風呂敷をひろげることだが、岩間はこう言って文系の冒険を面白がった。出井は「コンピュータ部長」も務めるのだが、「オーディオ部長」の時代、初めて大規模集積回路(LSI)の塊である「CD」(コンパクトディスク)を手掛ける。ソニー社内でいち早くデジタル体験をする。

■“追い出し部屋”さながらの大左遷も経験

 事業部を跨いで自らの専門分野の外にでることをソニーでは“越境”と呼んでいた。出井は自ら進んでその“越境”を繰り返した。なぜなら、ソニーは徹底した“技術者”の会社だったからだ。技術者絶対有利な会社で生き残るすべとしての“越境”を出井は意識的に続ける。文系ながらインターネットの時代、デジタルの時代に果敢に舵を切れたのもそのためだった。

 出井のサラリーマン人生は平坦、順調とは程遠い。意識的に“越境”を繰り返したかと思えば、30代前半でいきなり子会社の物流倉庫に飛ばされた。40代半ばの部長職にある時に社長の大賀の逆鱗に触れ、部長職を解かれ、与えられたのは机1つと電話だけだった。“追い出し部屋”さながらの大左遷も経験している。

 こうした経験から出井は言う。

「サラリーマンこそ、最もベンチャー起業家に向いている」と。

 出井は『 人生の経営 』を上梓した。この本は、サラリーマン出井の記録であり、その中でサラリーマンこそが可能性の“塊”であることを体験的に語っている。コロナ禍の中、社会の在りようが大きく変化し、働き方も様変わりした。サラリーマンという生き方の中に自らの可能性を見つけた出井の経営者としての視点、視座は多くの示唆を与えてくれるはずだ。

(児玉 博)

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