「みんなが不便で不幸だから麗しい」コロナ対策が何となく支持されている事情

「みんなが不便で不幸だから麗しい」コロナ対策が何となく支持されている事情

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 学校が休校になってしまったので、拙宅山本家の小学生・長男次男もヒマになり、三男と長女も一緒に実家に帰って、お昼ぐらいから公園で遊ばせていたんですよね。

 地元のあまり見知らぬ子たちも一緒になって、かけっこ、鬼ごっこをしていて「やっぱり子どもたちはお日様の下で身体を動かすのがいいな」と思っていたんです。そろそろ春になりそうな暖かな日和に、汗だくになって騒いでいるたくさんの子どもたちを見て、素直にかわいいなと感じます。

■「子どもを外に出すもんじゃない」と詰め寄る爺さん

 そしたら、実家近所のおじいさん数人がやってきて「コロナウイルスが大変なときに、子どもを公園で遊ばせるんじゃない」って近くにいたお母さん方に文句をつけ始めたんですよ。おじいさんとはいえ、スウェットの上下を普段着として華麗に着こなし、充分に健康そうです。

「こんなときに子どもを外に出すもんじゃない」と、困惑顔のお母さん方に鋭い大きな声で文句を言っています。不穏な事態を察知し、遊ぶのをやめた子どもたちも心配そうに詰め寄られているお母さんを見ています。

 何言ってんの、このジジイ。すみやかに滅亡して欲しいんですよね。恥ずかしげもなくハゲ散らかしやがって。これは私の出番ですね、間違いなく。まだ0歳の長女を抱っこしながら大股でお母さん方の横に回り「何か問題ございましたか?」と半オクターブぐらい下げた大きい声で参戦申し込みをするのであります。

■しまいには「年上の言うことは聞くものだ」

 こういうジジイが汚いのは、私のような身体のデカいおっさんに対してではなくて、反論反撃してこなさそうな女性のほうに文句を言うことなんですよ。絶対に、相手を見て論難する相手を選んでいる。許せませんね。

「コロナウイルスが大変だから」おじいさんたちはそう言います。私が「え、大変だから何なんですか」「密閉された屋内のほうが危ないですよ」と丁寧に反論をすると、先方も「君、声が大きいんじゃないか」などと声を荒げて言い、しまいには「年上の言うことは聞くものだ」などとおっしゃってこられました。

 これには世界的に大変穏やかな人柄で知られる私もブチ切れるんですよね。

「馬鹿野郎。この年金暮らしのごく潰しめ。公園は子どもが遊ぶためにあるものだ。ジジイはいますぐ無言の帰宅しろ」

■「子どもの遊ぶ声がうるさくて、テレビの音が聞こえない」

 まあ、コロナウイルスが怖いと思う気持ちは分かりますよ。私が憤慨したように騒いで差し上げると、どうも本音は「子どもの遊ぶ声がうるさくて、テレビの音が聞こえない」というシャレた理由でおじいさんがたは怒って母親たちにクレームをしているようでした。それも、グループホームで皆さん同居されてるようです。そこでまたブチ切れですよ。

「そんな静かな環境がいいなら、私が責任をもっておまえらを墓地や斎場にお連れして差し上げるぞ」

 私も普段溜め込んでいたストレスをここぞとばかりにR-TYPE状態で大声に変えてぶちまけます。

「お目にかかった本日を忘れられないメモリアルデーにしてやる」

■身の回りの小学生中学生からは安倍晋三株は暴騰

 余談ですが、言うことをきかないお年寄りと口論することが皆さんも多いかと存じます。私も、ちょくちょく満員電車で突っ張ってくるジジイや自分の足で立たずに寄りかかってくるジジイ、みんな降りたいのに扉の前で踏ん張って動こうとしないジジイとはよく遭遇して「すみません、ちょっとお隠れになってください」と喧嘩に発展することがあるのですが、電車を遅延させない程度に騒いでこの手のお年寄りを黙らせるには「いい歳して何やってんだよ」と「お前、ちゃんと面倒見てくれる家族はいねえのか」の二つのマジックワードを噛まずに一気にお伝えできると比較的容易に目的を達成することができます。

 ぜひ覚えて帰っていただければと存じます。

 たぶん、こういう老人たちがヒマに任せて自治体や保健所などにクソみたいなクレーム入れて回ってるんじゃないでしょうか。相手に言うことをきかせることで、自分の乏しい存在意義を示したいかのように。

 クレームを私に粉砕され、葬儀のように背中を丸めて帰路につくお年寄りの背中を見ながらも、本当に安倍晋三さんの日本全校休校は良かったんだろうか、とふと思います。もちろん、私の子どもたちや身の回りの小学生中学生からは安倍晋三株は暴騰しており、拙宅兄妹にいたっては「将来は安倍晋三になりたい」とまで世迷いごとを言うようになりました。おいやめろ。

 とはいえ、子どもはやっぱり好きなことをしたいわけでして、お家でおとなしくじっとしているはずもなく、友だちのお家や児童館に学童保育、公園などで思わぬ長い春休みを満喫していることでしょう。結局、学校ではないどこかで子どもたちがたむろする限り、全校休校に何の意味があるのか首をかしげるところはあるのですが、まあ子どもは楽しければなんだっていいんですよ。

■親世代は複雑な心境を抱いています

 一方、それを支える親世代からすると大変です。

 私の周辺の共働きの友人知人は、コロナウイルス対策を打ち出した政府には複雑な心境を抱いています。医師や見識のある人たちからすれば、いまさらアベちゃんが緊急事態だと騒いで学校をお休みにしたところで、さしたる効果がないことは分かっています。

 同じく、もはや国内で感染経路が分からない感染者が続々と見つかっている状況で、いまになって中国人や韓国人の日本への入国後14日間待機を命じたところで「さすがにそれは遅いだろう」ということも理解しています。

 どう考えても中国国家主席・習近平さんが国賓での来日を秋以降に延期することになったので、1月末ぐらいにさっさとやれば効果のあったはずの中国人の入国禁止を実施できる環境が整ったんだろうと思います。遅えんだよ。何で日本国民の感染リスクをともなう公衆衛生より習近平さん来日を政治判断として優先させたのか、さっぱり理解できません。

■満員電車、強制ノマド、サウナにパチンコ……何やってんだ!

 国民は、政治が頼りにならないときは仕方なく自衛するしかありません。感染しても重症化しないことを願って、人混みを避け、日々手洗いし、毎日たくさん食べてよく眠る、これしか対策はないのです。

 しかし、大多数のパパ友・ママ友からやってくる保護者メッセージは、みんな相応に困惑はしつつも「仕方ない」とか「やれることはやろう」などと言い合いながら、自宅に子どもがいるという春休みを受け入れている印象もあります。なんて辛抱強いんだ日本人。

 小学校中学校が休みになってしまったので、近所の人や祖父祖母に子どもを預けて仕事に出るという人たちがほとんど。それだけ「コロナウイルスが怖い」のならば、子どもたちの休校よりもお前らが満員電車に乗って職場に行くことをやめたほうがいいと思うんですよね。

 また、近所の喫茶店ではリモートワークを強要されてしまったものの自宅で働く場所のない人たちが、咳込みながら満員の店内で強制ノマドをしています。何してんだよ。職場よりよっぽど衛生環境良くないだろ。友人たちのメッセを見ていると、駄目な人ほどパチンコに行き、サウナを楽しんでいます。ライブハウスで中年が大勢感染してる状況を見れば、何を禁じなければいけないか分かるはずなんですよね。報道では、感染したお年寄りが、発熱してるのにスポーツクラブいってサウナに入ったとかで、大迷惑じゃないですか。

■意味はなくとも「頑張って能動的に防いでいる気持ち」

 身の回りの年寄りたちの行動を見るにつけ、本当にコロナウイルスが基礎疾患のある高齢者にとって脅威とするならば、満員電車やパチンコ、銭湯・サウナあたりはさっさと営業中止させたほうがいいと思うんですよ。ライブハウスに集まった中年がガッツリ感染してるんですから。

 それでも、朝の時間帯の電車は随分とガラガラになりました。私が愛する大正義・中央線も、まさか朝普通に座れるようになってしまうとは思いもよりませんでした。それどころか、いつもは人でごった返す夕方のスーパーも、歩道はすれ違うのも困難な銀座の街並みも、まるで正月なのかと思うぐらい人がいません。こんなに人が歩いていない東京を、久しぶりに体感しました。

 そんな不自由をしても、いまの安倍政権のコロナウイルス対策については半数以上の国民がなんとなく賛成しているのは「本来防ぐことのできないウイルス感染に対して、せめて日ごろの行動でみんながちょっとずつ不便を強いられた結果、頑張って能動的に防いでいる気持ちになれる」からなんだろうなあと思います。もちろん、疫学的にはさしたる意味はないんでしょう、全校休校に。でも頑張ってるから美しい。みんなが不便で不幸だから麗しい。

■これが本来の「働き方改革」だったんですよ

 みんな、お湯を飲んでコロナウイルスを防げるなんて心から信じているわけではなく、トイレットペーパーがなくなるなんて思っているわけではない。

 でも、周りの人たちが「お湯を飲んでいる」とかトイレットペーパーを買うためにスーパーやドラッグストアで並んでいるのを見ると、「私もなにか対策しなくては」と焦る。馬鹿なことをしている自覚はあっても、万が一、本当にトイレットペーパーがなくなってしまったらどうするんだという危機感だけが残る。そういう「普通でないことが起きそう」なので、「デマと分かっているけど他の人がそうしているので対策をとろうとする」のが人間の性(さが)なのだろう、と。

 コロナ前の生活がいかにかけがえのないものであったか痛感するとともに、背伸びに背伸びをして、頑張って経済を回してきていたんだな日本人は、と思うわけです。家庭の時間が増えることで、意外とまだまだ子どもたちとの触れ合いに時間を割けていなかったのだなという反省もあります。

 思い返せば、これが本来の働き方改革だったんですよ。時短勤務にリモートワーク、ワークライフバランスも含めて。遠隔医療に、マイナンバーでマスクの売買管理。いままでしがらみがあってできなかった施策のあれこれが、突然印籠のように「コロナウイルス対策により」という必殺のお言葉で抵抗勢力がみなひれ伏し、自治体ごとにバラバラの「個人情報2000個問題」も有事の際の位置情報利活用解禁も一気に進む。

 そして、「強制的に自宅で働かされる環境を作らなければならない」ことで、実は日本人は自宅で働けないほど狭い家に住み、無駄な通勤を長い時間やり、子どもや地域と関わることは乏しいことに気づく。むしろ、地方で暮らしている人たちのほうが、こういう「緊急時」の耐性は高いのかもしれないんですよ。「平常時」ですでに人間関係が息苦しいのかもしれないけど。

 逆に言えば、いままでどれだけ満員電車や通勤渋滞で私たちは消耗し、不要な会議や宴会で時間を無駄に費やし、生活や幸せとは無縁な社会的関わりで苦労してきたのか、コロナウイルスによる人との接触の減少で再発見できたのです。死ぬのは嫌だけど、本当の人間の姿を見せてくれてありがとう、コロナウイルス。

■少しでも変われば怪我の功名?

 そして、この状況に陥ってなお、政治的にも社会的にも救ってもらえない個人事業主・フリーランスや小規模事業者は、休業補償も満足に出してもらえず、支援される内容もすべては「おカネを返さなければならない」低利子無保証の緊急融資だけで、まるでフリーランスは死ねと言わんばかりです。というか、いまの安倍政権は「フリーランスとは、どんな生態の人たちか」をまったく理解してなくない? 働き場所や仕事が突然なくなって収入が途絶えた人に、政府が緊急融資と称してカネを貸してどうするんだよ。返すカネがなくなる人たちだよ?

 確かに今回の政府から出た対策案では、正規も非正規も給与補償がされることになったけれど、非正規は働きに出なければ給料がなくなってしまう仕組みであることが多いわけですから、そりゃ感染のリスクを冒してでも、這ってでも満員電車に乗って職場に向かうわけです。

 それでもようやく政府がまがりなりの対策を発表したので、辛そうに満員電車に乗るサラリーマンや非正規の皆さんが解放され、朝の大混雑が緩和されました。

 これを機に、日本人の働き方が大きく変わってくれれば。また、日本人が幸せな生活をどう送るのか考え直す機会になればと思ったりもするのですが、コロナウイルスのような生き物かどうかも定かではない存在の流行によって、日本人が少しでも生き方・働き方が変わったのであれば怪我の功名なのかな、と思ったりもします。

 そもそも、毎年1万人単位で人が亡くなるインフルエンザが日本人の手洗い励行のついでに激減し、公衆衛生とはこれほど大事なものなのかと日本人が身をもって学ぶことができたのは、未来に向けた日本社会のちょっとした財産になってくれれば、と願います。みんな、毎年手を洗おうね。

(山本 一郎)

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