新型コロナワクチン“開発競争と争奪戦” 世界の3分の2は今年ワクチン接種ができない?

新型コロナワクチン“開発競争と争奪戦” 世界の3分の2は今年ワクチン接種ができない?

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本記事は2020年11月20日発売『 文藝春秋オピニオン 2021年の論点 』からの抜粋です。

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 新型コロナウイルスのワクチンをめぐる開発競争が激しさを増している。

 WHO(世界保健機関)の2020年10月19日時点のまとめでは、実際に人に投与して安全性や有効性を調べる臨床試験に入ったワクチン候補は44種類。そのうち10種類では、最終段階となる数万人規模の第三相試験を実施中だ。先頭グループの企業は、大量生産に向けた製造拠点の整備も同時並行で進めている。

■ワクチン開発に破壊的イノベーションが起きている

 通常、ワクチンの開発には動物を使った前臨床試験だけで数年、承認まで10年はかかるとされるなか、極めて異例のスピードだ。

 石井健・東京大学教授(ワクチン科学)は、この状況を「まさに、破壊的イノベーションが起きている真っ最中だ」と解説する。「20年ほど前から、ワクチン業界ではイノベーションの地殻変動がずっと起きており、言葉は悪いが『筋トレ』ができている業界だった。医学的にも科学的にも爆発前夜だったところへ、今回のパンデミックが起きた」

 実際、第三相試験に入った10種類のうち6種類は、まだ広く使われたことのない、新しいタイプのワクチンだ。

 中でも最も早く臨床試験にたどり着いたのが、NIH(米国立衛生研究所)と共同開発を進める米国のバイオベンチャー、モデルナだった。

 20年1月11日に中国の研究チームが新型コロナウイルスの遺伝子配列を公表すると、その2日後にはワクチンの設計を終え、3月16日には第一相試験の被験者への投与を発表した。

 なぜこれほど速かったのか。それを説明する前に、まず「ワクチンとは何か」を簡単におさらいしておきたい。

■ワクチンの基本コンセプト

 私たちの体には、過去に侵入してきたウイルスや細菌などの病原体を記憶した「抗体」を作り、再び同じ病原体がやってきたときに撃退する「獲得免疫」という仕組みが備わっている。

 病原性を弱めたり(弱毒化)、体内で増えないようにしたり(不活化)した病原体、あるいは病原体の一部を、「抗原」として投与すると、免疫反応が起きて抗体が作られる。すると、本物の病原体が侵入してきたときに、発症や重症化を防ぐことができる。これがワクチンの基本的なコンセプトだ。

■モデルナがこれほど早くワクチンを開発できた理由

 一方、モデルナのワクチンの場合は、抗原そのものではなく、その「設計図」となる遺伝物質を投与する。体内で設計図通りに抗原が作られると、あとは従来ワクチンと同様に抗体が作られる。言わば人の体を、従来型ワクチンの「生産工場」として使うアイデアなのだ。

 設計図として使うのは、メッセンジャーRNA(リボ核酸)。生物の細胞の1つ1つに収まったDNA(デオキシリボ核酸)からさまざまなタンパク質が作られる際、DNA上の必要な指令をコピーして、細胞内でタンパク質を生産している小器官に伝える分子だ。

 RNAもDNAも、4種類の塩基という物質が連なってできていて、その配列さえ決まれば実験室で合成できる。鶏卵を使って病原体のウイルスを大量に増やして作る従来のワクチンに比べ、はるかに容易で時間もかからない。

 だが、モデルナの速さの理由はそれだけではない。新型コロナの流行前に、すでに同じコンセプトで、ジカ熱やRSウイルスなど7つの感染症のワクチンで臨床試験を開始していた。いずれも市販化に至ってはいないものの、RNAを脂質でくるんで製剤化する基本的な技術はすでにあった。石井教授の言葉を借りれば「筋トレ」が十分にできていたわけだ。

「実は、これは『日本』から始まった。山中伸弥教授による素晴らしい発見が、アイデアの発端になっている」

 モデルナの共同創業者で生物学者のデリック・ロッシ氏は、NewsPicksの取材で創業の意外な経緯を語った。

■細胞内で多種多様なタンパク質を作り出す画期的な手法

 京都大学の山中教授らは2006年、マウスの体細胞にわずか4種類の遺伝子(DNA)を導入し、受精卵に近い状態に「初期化」してiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作製したと発表した。

 ロッシ氏は論文に感銘を受け、翌年ハーバード大学医科大学院に自分の研究室を持った際、DNAではなくRNAを使ってiPS細胞を作ろうと試みた。細胞に導入したDNAからRNAができる過程を「ショートカット」し、RNAから直接、初期化に必要なタンパク質を作らせようと考えたのだ。

 ところが、当初の実験は失敗する。細胞の外から入れたRNAが異物と認識され、強い免疫反応が起きてしまうのが原因だった。

 打開策を探したロッシ氏は、ハンガリー出身の女性研究者、カタリン・カリコ氏らが2005年に書いた論文に着目する。RNAにある修正を施せば、細胞や生体に入れても「異物」扱いされないことを示す、画期的な内容だった。

 ロッシ氏らはこの方法で修正したRNAを細胞に入れ、iPS細胞を作製することに成功。さらに、入れるRNAの設計を変えれば、細胞内で多種多様なタンパク質――医薬品として働くタンパク質すらも――を作り出せると気づいた。これが、2010年に起業するきっかけになったという。

■ライバル企業同士で情報交換することも

 一方、RNAの修正技術を発明したカリコ氏も、研究当初から医療応用を目指していた。現在はドイツのバイオベンチャー、ビオンテックで役員を務める。同社も米ファイザーと共同で新型コロナのRNAワクチンの開発を進め、第三相試験に入っている。

 NewsPicksの取材にカリコ氏は、「RNAを治療に使うというアイデアは、モデルナが最初だったわけではない。私は80年代半ばからアイデアを温めていた」と自負を見せつつも、RNA医薬品を開発する企業同士で情報交換することもあると明かし、「モデルナはライバル企業だが、新しいテクノロジーを世に出そうとしているという意味では仲間でもある」と語った。

■他にも「設計図を送り込む」2つのタイプ

 さて、人の体内に設計図を送り込み、抗原を体内で作らせるという発想のワクチンには、他に2つのタイプがある。

 いずれも、抗原の設計図として、RNAではなく、DNAを細胞に送り込むのだが、その手法が異なる。

 その1つは、DNAの運び役(ベクター)として、風邪を引き起こすウイルスの一種、アデノウイルスを使う。接種するとアデノウイルスがヒト細胞に感染し、組み込まれたDNAが細胞内に入って抗原を作る仕組みだ。

 もう1つのタイプでは、「プラスミド」という環状のDNA分子を運び役に使っている。日本のバイオベンチャー、アンジェスと大阪大学、米国のバイオ企業、イノビオ・ファーマシューティカルズがそれぞれ開発に取り組み、第一/二相試験を実施中だ。

 アンジェスには、プラスミドを使った遺伝子治療薬を上市した経験があり、高血圧治療を目的としたワクチンの臨床試験も海外で並行して進めている。創業者の森下竜一・大阪大学教授(臨床遺伝子治療学)は「世界でも、臨床用のプラスミド製品を医薬品として発売しているのは我々だけ。製造・販売を含めたノウハウがあり、川上ではなく、川下から発想できるのが最大の強み」と強調する。

 前者の「ウイルスベクター」タイプでは、英国のアストラゼネカとオックスフォード大学、米ジョンソン・エンド・ジョンソングループのヤンセンファーマ、ロシア国営のガマレヤ研究所、中国のバイオ企業、カンシノ・バイオロジクスが、それぞれ第三相試験に入っている。

■続々と接種、開発が進むが、有効性はまだ未知数

 アデノウイルスのワクチンも研究の歴史は長く、エボラウイルスワクチンで承認された製品もあるが、まだ投与実績は少ない。細胞に送り込みやすいのが利点だが、すでにアデノウイルスに感染したことがある人には免疫があるため、効きにくいとされる。

 そこで、人には免疫のないチンパンジーのアデノウイルスを使ったり、異なる種類のアデノウイルスを組み合わせ、2回に分けて接種するようにしたりと、各社が工夫している。

 ガマレヤ研究所のワクチンは、まだ小規模の臨床試験しか終えていなかった8月に、ロシアで世界に先駆け「承認」され、物議を醸した。カンシノのワクチンも、中国ですでに軍の要員に限って使用が認められていると報じられている。

 第三相試験にはさらに、従来型の不活化ワクチンを開発する中国の製薬企業シノバック・バイオテックとシノファームの2社、「組み換えタンパク質」という別の従来型ワクチンを開発する米国のノババックスも取り組む。

 早ければ20年内にも米国などで第1号のワクチンが承認される可能性があるが、その有効性はまだ未知数だ。

■承認プロセスを短縮することで「何かを諦めている」

 米食品医薬品局(FDA)が示す新型コロナワクチンの指針では、接種した人の少なくとも50%で、発症や重症化を予防できることを求めている。

 この条件について、冒頭の石井教授は「医学的にこれはダメだと言われない最低限のレベル。承認を見越して製造を始めた企業もある中で、ハードルを高くして使えるワクチンがなくなるというリスクを避けたのだろう」とみる。少なくとも初期のワクチンの予防効果については、過度な期待は禁物だろう。

 最も気になるのは安全性だ。過去には、大規模な臨床試験を経て承認されても、市販後に重篤な副作用が出て接種が中断されたワクチンが幾つもある。

 片山和彦・北里大学教授(ワクチン学)は「通常は承認プロセスだけでも2年ほどかかる」と指摘したうえで、「これだけ短縮しているということは、通常の試験で確認している基準のうち、何かを諦めているということ。承認直後の接種は事実上、第三・五相臨床試験の様相となる。ある程度の副反応の発生は覚悟する必要があるだろう」と懸念する。

 日本政府は、接種による健康被害が生じた際に救済措置を取ったり、損害賠償をしたメーカーに損失補償をしたりできるよう、法的措置を講じる方針だ。

 ワクチンの効果がどれほど持続するかも未知数だ。自然感染した患者では、数カ月で抗体が検出できなくなった例も報告されている。前述の森下教授も「ワクチンは効果が持続するように設計するもの。1年は持つのではないかと言われている」としつつも「実際どうなるかはまだ分からない」と認める。

■自国優先の「ワクチン・ナショナリズム」に集まる批判

 開発競争と並行して、先進国の間ではワクチン争奪戦も過熱している。

 日本政府は、ファイザーとアストラゼネカからそれぞれ1.2億回分の供給を受けることで基本合意。ノババックスのワクチンも、武田薬品工業が国内で年間2.5億回分以上を生産する体制を整備する予定だ。モデルナとも5000万回分の供給を受けるという契約を結び、合計すると5.4億回分に上る。

 仮にすべての供給が実現すれば国民1人あたり4回接種できる計算だが、厚生労働省の担当者は「どのワクチン候補も成功するとは限らない。確保を目指すには手段を増やすしかない」と説明した。

 米国や欧州連合(EU)、英国、カナダなどもそれぞれ主要な開発企業と交渉を進めるが、自国優先のこうした動きは「ワクチン・ナショナリズム」と呼ばれ、批判や懸念の声も挙がっている。国際協力団体オックスファムは20年9月中旬、「世界人口のわずか13%にあたる富裕国が、主要なワクチン候補の予定生産量の半分以上を囲い込んでいる」と指摘。仮に最も開発が進む5種類のワクチンすべてが実用化に成功したとしても、世界の3分の2の人々は22年まで接種することができない、という試算を示した。

■WHOの訴え「ワクチン・ナショナリズムはパンデミックを長引かせる」

 その一方で、世界中に平等にワクチンを分配するための国際的な取り組みも始まっている。WHOなどが主導する「COVAXファシリティ」は、高・中所得国の拠出金でワクチンを共同購入し、途上国にも行き渡らせる枠組みで、21年末までに少なくとも20億回分を供給することを目指す。

 20年8月下旬時点で日本を含む172カ国が参加を表明。態度を保留していた中国も10月9日にようやく参加を発表したが、米国とロシアは不参加で、国際協調の足並みは揃っていない。

 WHOのテドロス・アダノム事務局長は、9月4日の記者会見でこう訴えた。

「もし有効なワクチンができたら、有効に使わなければならない。ワクチン・ナショナリズムは、パンデミックを短縮させるのではなく、長引かせるだろう」

追記(2021年1月5日):

本稿執筆後、モデルナとファイザー/ビオンテックはそれぞれ、両者が開発したワクチンの有効性が90%超と高く、重症患者を減らす効果もみられたと発表。2020年12月には、ファイザー/ビオンテックのワクチンの接種が、承認を受けた英国、カナダ、欧州連合(EU)、米国などで始まり、モデルナのワクチンの接種も米国で開始した。ファイザー/ビオンテックのワクチンについては、WHOも12月31日に緊急使用を承認。日本でも承認申請がなされており、早ければ今年2月中にも結論が出る見通し。アストラゼネカ/ハーバード大学が共同開発したワクチンも、12月30日に英国で初めて承認され、年明けの1月4日に接種が始まった。

(須田 桃子/文春ムック 文藝春秋オピニオン 2021年の論点100)

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