皇室の弥栄は皇胤の存続があってこそ 眞子・佳子内親王の言行に違和感

皇室の弥栄は皇胤の存続があってこそ 眞子・佳子内親王の言行に違和感

即位礼正殿の儀:会場を後にする天皇陛下を見送る秋篠宮家

 第126代の天皇陛下が5月践祚され、10月22日に「即位礼正殿の儀」で国際社会に向かって宣明された。

 この晴れやかな席には秋篠宮皇嗣殿下・同妃殿下とともに、十二単(じゅうにひとえ)に身を包まれた2人の内親王も参列された。

 お2人は貴人ゆえにその場においでになったわけであるが、結婚観や普段の振る舞いに於いては畏れ多いことながら自分のお立場をお忘れかあまり気にかけておられないようである。

 筆者は一介の国民でしかないので皇室関連を報じる言論紙誌や践祚・即位等に関するテレビ報道で感得した思い意外に語れない。

 この思いは、皇室が日本人の心の師表であるし、また政治という権力に左右されない権威で日本の安定に不可欠であるところから来ている。

 世上では「愛子天皇」などの言の葉も飛び交っている。

 皇室典範に明記され、男系天皇で続いてきた万世一系の伝統に、歴史家などによる根源的な議論を得た「輿論」ではなく、マスコミの煽動する男女同権・平等などの現代的感覚のみの「世論」に基づく多数決原理で、皇統の連続性に楔を打ち込もうというのである。

 皇族として息苦しいこともあり、そうしたことも学習院ではなく一般大学に進学される動機の一つになったのかもしれないし、自由奔放な生き方もある限度は許されるであろう。

 しかし、皇室の正統性維持のために、例えば婚約などでは独断によらない慎重な配慮が必要であることは言うまでもない。

 秋篠宮殿下はいまや皇嗣(皇太子)となられ、皇室の一員であられる。となれば、内親王方には従来にも増してお考えにも行動にも深い自覚が求められていよう。

関連記事(外部サイト)