やばいぞ内申書優等生、仕事がなくなるかも またもやらかした文科省、改善のはずが改悪に

やばいぞ内申書優等生、仕事がなくなるかも またもやらかした文科省、改善のはずが改悪に

「日本を元気に!」、山本寛斎氏指揮のファッション・アートイベント

 前回同様、日本の教育制度に関連して、個別具体的な案件ですが、1つ社会に提案したいと思うポイントをまとめてみたいと思います。

 内申書というものがありますね。あれ、やめたらいいんじゃないでしょうか?

 もっとはっきり言えば、まるで趨勢に逆行するようなことをあえて記すなら、調査書の類などを入試で考査に織り込むことは法律で禁止した方が良いのではないかとすら思うのです。

何のための内申書?

 こんなことを考えたのは、まるで逆の方向にある記事を目にしたからでした。

 文部科学省が大学入試改革の一貫として内申書の「デジタル化」「点数化」を検討、推進しているという。

 「ペーパーテストでの『一発勝負』を脱却し、主体性や学ぶ意欲を・・・」

 あたりは、一見すると悪くはない。ところが直後からおかしくなっていきます。

 「主体性や学ぶ意欲を測るため、評価基準を開発し・・・」

 この瞬間、もうアウトです。単なる「担当した官僚が成果を業績にするシナリオ」に堕ちてしまった感が漂いまくってしまう。

 なぜかと言うと「ペーパーテストの一発勝負」より、多分数段悪質な「学生時代の主体性や学ぶ意欲を画一評価する、救いようのない「阿呆公式」がでっち上げられるであろうことが目に見えるから。

 申し訳ないけれど、人間の学ぶ意欲や主体性をデジタル化、点数化、さらに「線形順序な数値評価」化しようなどと言い出した瞬間、仮に動機がどんなに高尚高邁であれ、一度出来上がってしまった後には、現在の「偏差値」よりはるかに悪質な人間の序列化が進みます。

 もう少し露骨に言えば、「人の主体性を奪い、学ぶ意欲を踏みにじる」魔の数字として悪用されるリスクを否定できない。

 こんなの、まともに頭を働かせれば、誰でもすぐに想像がつくと思います。

続きはJBpressで

関連記事(外部サイト)