ノーベル賞シーズン、日本で起きている深刻な事態 専門教育に軽薄短小の流れ、東大は揺り戻しつつあるが・・・

ノーベル賞シーズン、日本で起きている深刻な事態 専門教育に軽薄短小の流れ、東大は揺り戻しつつあるが・・・

カズオ・イシグロ氏 ソーシャルワーカーからノーベル賞作家に

 ノーベル文学賞が日系英国人のカズオ・イシグロに、またノーベル平和賞が、2017年7月7日に国連採択された核兵器禁止条約の推進に尽力した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に、それぞれ与えられました。

 カズオ・イシグロの受賞は個人的に大変嬉しく、また一音楽家として、彼の全作品に目を通し直してから改めて何か書きますので、しばらくご猶予ください。

 ただ、日本という言葉に関連して微妙なニュアンスも目にするので、内容以前に1つだけ。

 日本は、国会議員などでもいろいろ問題になったように複数国籍の留保を認めていません。子供の頃、複数の国籍がある人は、日本を取るか、捨てるか、どちらかの選択を迫られることになります。

 カズオは、日本を捨てたとは言いませんが、少なくとも「英国を選んだ」英国人作家で、彼の文学は英文学の伝統の上に、英国〜国際社会、あえて言えば人類社会の問題に正面から向き合う性質のものです。

 彼の生い立ちや記憶の一部に、日本は確かに関わっているけれど、それをナショナリスティックに喜ぶようなことはお門違いと言うべきでしょう。

 むしろICANには日本人幹部、何より広島・長崎の被爆者が多数コミットしており、これこそまさに「日本人が受賞した」すなわち「実戦で核兵器を投下された唯一の国の国民がノーベル平和賞を受けた!」として国を挙げて歓迎すべきものであるはずです。

 本来ならば・・・。

 もしそうでないとすれば、どこか根本的におかしいので、おかしい要素は昨今の流行の言葉でいえば「排除」の対象とした方がいいのかもしれません。

 ともあれ、日本人は「ノーベル賞」に対して、どこかアサッテな反応を示しやすい。先日は「日本人がサイエンスでノーベル賞を受賞すると理系に進む子供が減る」という、「ほんまかいな話」すら目にしました。

続きはJBpressで

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