昭和生まれが「オタク文化の大衆化にがっかり」する理由「コンテンツがメジャーなほどオタク気質が少数派だと突きつけられる」

昭和生まれが「オタク文化の大衆化にがっかり」する理由「コンテンツがメジャーなほどオタク気質が少数派だと突きつけられる」

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ここ10年くらいで、"オタク"に対する視線は優しくなった。オタクを名乗ることへのハードルはとても低くなったように思える。

ただ、この現状を喜びつつも、どこか腑に落ちない人もいるようだ。1月11日、はてな匿名ダイアリーに「オタク文化の大衆化に少しだけがっかりした話」というエントリーが寄せられた。投稿者は昭和生まれのオタクで、学生時代はオタクであることを周囲に隠しながら生活していた。SNSで自身のオタク活動を発信し、同士と気軽に交流できるようになった今の時代に喜びを感じていたという。(文:石川祐介)

「オタク気質な人と普通の人の比率は今も昔も変わっていない」

しかし、若い世代のオタクと接していると、移り気の速さに違和感を覚えるという。そのうち、オタク向けだったコンテンツがテレビや歌などの娯楽の選択肢の中に紛れ込むようになっただけで、彼ら彼女らは、1つのコンテンツを深めていく「いわゆるオタク」ではないと思い始めたそうだ。

投稿者をさらに悲しませるのは、オタク文化の大衆化が進んでも「肝心のオタク自体はそのコンテンツを取り巻き楽しむ人々の中に入っていけない」ことだ。オタクでいることに後ろ指をさされにくい社会になっても、「オタク気質な人と普通の人の比率は今も昔も変わっていない」と分析する。

「結局のところ、オタクコンテンツがどれだけメジャーなものになろうと、いやメジャーであればあるだけ、オタク気質な(掘り下げ型の)人間が少数派であり、孤立しがちであることを突きつけられるだけなのだ」

「毎クール嫁が変わる層と、好きな分野を突き詰める層を同じく分類するのは無理がある」

投稿には、「今アニメを楽しんでる若者は90年代にテレビドラマを楽しんでた若者と変わらないよな」と、アニメが大衆化していることに同調する声が挙がった。

1つのアニメが1クール12回の放送で終わってしまうことも、オタク文化が大衆化した原因という声もある。昔に比べ1つの作品の放送期間が短いため、製作側は複雑なメッセージを込めた作品を作る余裕がない、視聴者も、考察する時間がないまま別の作品を見ざるを得ないということだろう。

確かに、アニメの作品数は急激な伸びを見せている。一般社団法人日本動画協会が発表した「アニメ産業レポート2018」によれば、2000年に年間109本だった作品数が、2017年では340本にまで増えている。

アニメの楽しみ方を、1つの作品に深く入り込む方法と作品を広く浅く知ろうとする方法に分ければ、かつての「オタク」という言葉には、前者の楽しみ方をするイメージがつきまとう。しかしここまで本数が増えれば、たくさんの作品を網羅的に知っていることにも一定の価値が生まれる。となれば、投稿者の楽しみ方が柔軟性に欠けていると指摘する意見も妥当に思えてくる。

後に投稿者は、「オタク同士なら仲良くなれるかと思ったらみんなパリピだった件」というタイトルで追記している。「同じオタクの前では自分を過度に虚飾しなくてもいい、劣等感を感じることなく己のコンテンツへの造詣を語っても構わないという安心感」から、オタクを名乗る人たちとSNSで繋がったものの、その人達は全員、「オタクにネガティブなニュアンスなどなくパリピだった」ことに肩を落としていた。

「毎クール嫁が変わる層と、好きな分野を突き詰める層を、同じ『オタク』に分類するのは無理がある」と、投稿者の気持ちに理解を示す人もいる。しかしそれも少数派だ。「オタク」が従来の「オタク」と変わっていくことも、旧来のオタクたちの孤独が深まっていくことも、もはや止められない時代の流れなのかもしれない。

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